元号とは?日本の元号一覧!その決め方とは?

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日本の元号一覧

明治、大正、昭和、平成、令和・・・これらを「元号(げんごう)」といいます。

もちろん、明治以前にも元号はあります。

日本の今までの元号を一覧にしてみました。

元号とはどんなものなのか、元号の決め方などについてわかりやすく解説します。

 

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目次

元号とは?

歴代元号

元号とは、特定の年代に付けられる称号のことで「年号(ねんごう)」と呼ばれることもあります。

「元号」は古代中国で作られたものです。(このころはまだ中国という国名ではなく、国土も現在とは異なりますが、便宜上「中国」とします。)

 

中国は専制君主制(支配者が独断で思いのままに行う政治)だったため、皇帝が即位した年に名前をつけたのが元号です。

武帝

武帝

前漢(紀元前206年~8年)の時代、紀元前114年に武帝(ぶてい・紀元前156年~87年)は、自分の即位した年である紀元前140年に遡って「建元」とました。

これが元号の始まりといわれています。

それ以来、中国では新しい帝が即位した時だけでなく、良い事が起こった時や逆に災難が起こった時にも改元をしました。

そして、次第に中国の近隣諸国でも独自の元号が用いられるようになりました。

 

また、中国に服属(ふくぞく・服従して下につくこと)すると、自分の国の元号をやめて中国の元号を使用するようになりました。

中国の元号を用いるということはひとつの国(服属している)である証でもあります。

たとえば「高麗(こうらい・918年~1392年、現在の朝鮮半島)」は、1259年に元(現在の中国・1271年~1368年)に服属した時に元の元号を用いていました。

 

中国では、清王朝(1644年~1912年)が1912年に滅亡し、アジア最初の共和国家(皇帝や王様などの君主を置かない国)である中華民国になってから元号を使わなくなりました。

中大兄皇子

中大兄皇子

現在、元号を使用しているのは日本だけです。

日本では、飛鳥時代(592年~710年)に元号が使用されるようになったといわれています。

日本は一度も中国に服属していませんので、中国の元号を用いることはなく、日本独自の元号を使ってきました。

日本で最初の元号は「大化(たいか)」で、645年7月17日~650年3月22日までです。

その後、長い歴史の中で数多くの元号が生まれ、現在の「令和」に至ります。

 

関連:天皇誕生日(祝日)は今後変わる?年号が変わるたびに増える?

 

元号の決め方とは?

昔は決まりがなく、占いや、天変地異などの理由で短期間で改元されることがありました。

 

慶応4年(1868年)に明治元年に改元(元号を改めること)したときに、一世一元と決められました。

一世一元とは、天皇ひとりにひとつの元号ということです。

しかし、これは法律ではなく天皇の詔勅(しょうちょく・天皇の意思、当時は法律と同じかそれ以上の意味をもつ)でした。

 

令和の発表

 

現在の元号の決め方は、昭和54年(1979年)に成立した元号法によって定められています。

 

元号法には

●第1項:
元号は、政令で定める。

●第2項:
元号は、皇位の継承があった場合に限り改める(一世一元の制)

と書かれています。

 

具体的には、内閣総理大臣が数名の有識者に委任し、それぞれが2~5個の候補を提出し、内閣官房長官が提出されたものを検討、整理し、結果を内閣総理大臣に報告します。

 

元号の候補には、いくつかの条件があります。

●国民の理想としてふさわしいような意味を持つものであること

 

●漢字2字であること

 

●書きやすいこと

 

●読みやすいこと

 

●これまでに元号またはおくり名として用いられたものでないこと

 

●俗用されているものでないこと

その後、総理府総務長官、内閣官房長官、内閣法制局長官らによって精査され、数個の案を選定し、全閣僚会議で新元号の原案について協議し、閣議において改元の政令の決定という形で決められます。

 

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日本の元号一覧

それでは以下、日本の元号一覧にしてご紹介します。

西暦 元号
(年号)
読み
645~650 大化 たいか
650~654 白雉 はくち
686 朱鳥 しゅちょう(すちょう)
701~704 大宝 たいほう(だいほう)
704~708 慶雲 きょううん(けいうん)
708~715 和銅 わどう
715~717 霊亀 れいき
717~724 養老 ようろう
724~729 神亀 じんき
729~749 天平 てんぴょう
749 天平感宝 てんぴょうかんぽう
749~757 天平勝宝 てんぴょうしょうほう
757~765 天平宝字 てんぴょうほうじ
765~767 天平神護 てんぴょうじんご
767~770 神護景雲 じんごけいうん
770~781 宝亀 ほうき
781~782 天応 てんおう(てんのう)
782~806 延暦 えんりゃく
806~810 大同 だいどう
810~824 弘仁 こうにん
824~834 天長 てんちょう
834~848 承和 じょうわ(しょうわ)
848~851 嘉祥 かしょう(かじょう)
851~854 仁寿 にんじゅ
854~857 斉衡 さいこう
857~859 天安 てんあん(てんなん)
859~877 貞観 じょうがん(じょうかん)
877~885 元慶 がんぎょう(げんけい)
885~889 仁和 にんな(にんわ)
889~898 寛平 かんぴょう(かんぺい・かんへい)
898~901 昌泰 しょうたい
901~923 延喜 えんぎ
923~931 延長 えんちょう
931~938 承平 じょうへい(しょうへい)
938~947 天慶 てんぎょう(てんきょう)
947~957 天暦 てんりゃく
957~961 天徳 てんとく
961~964 応和 おうわ
964~968 康保 こうほう
968~970 安和 あんな(あんわ)
970~973 天禄 てんろく
973~976 天延 てんえん
976~978 貞元 じょうげん
978~983 天元 てんげん
983~985 永観 えいかん
985~987 寛和 かんな(かんわ)
987~989 永延 えいえん
989~990 永祚 えいそ
990~995 正暦 しょうりゃく
995~999 長徳 ちょうとく
999~1004 長保 ちょうほう(ちょうほ)
1004~1012 寛弘 かんこう
1012~1017 長和 ちょうわ
1017~1021 寛仁 かんにん
1021~1024 治安 じあん
1024~1028 万寿 まんじゅ
1028~1037 長元 ちょうげん
1037~1040 長暦 ちょうりゃく
1040~1044 長久 ちょうきゅう
1044~1046 寛徳 かんとく
1046~1053 永承 えいしょう(えいじょう)
1053~1058 天喜 てんぎ(てんき)
1058~1065 康平 こうへい
1065~1069 治暦 じりゃく
1069~1074 延久 えんきゅう
1074~1077 承保 じょうほう(しょうほう)
1077~1081 承暦 じょうりゃく(しょうりゃく)
1081~1084 永保 えいほう(えいほ)
1084~1087 応徳 おうとく
1087~1094 寛治 かんじ
1094~1096 嘉保 かほう
1096~1097 永長 えいちょう
1097~1099 承徳 じょうとく(しょうとく)
1099~1104 康和 こうわ
1104~1106 長治 ちょうじ
1106~1108 嘉承 かしょう(かじょう)
1108~1110 天仁 てんにん
1110~1113 天永 てんえい
1113~1118 永久 えいきゅう
1118~1120 元永 げんえい
1120~1124 保安 ほうあん
1124~1126 天治 てんじ
1126~1131 大治 だいじ
1131~1132 天承 てんしょう(てんじょう)
1132~1135 長承 ちょうしょう(ちょうじょう)
1135~1141 保延 ほうえん
1141~1142 永治 えいじ
1142~1144 康治 こうじ
1144~1145 天養 てんよう
1145~1151 久安 きゅうあん
1151~1154 仁平 にんぺい(にんぴょう)
1154~1156 久寿 きゅうじゅ
1156~1159 保元 ほうげん
1159~1160 平治 へいじ
1160~1161 永暦 えいりゃく
1161~1163 応保 おうほう(おうほ)
1163~1165 長寛 ちょうかん
1165~1166 永万 えいまん
1166~1169 仁安 にんあん(にんなん)
1169~1171 嘉応 かおう
1171~1175 承安 じょうあん(しょうあん)
1175~1177 安元 あんげん
1177~1181 治承 じしょう
1181~1182 養和 ようわ
1182~1184 寿永 じゅえい
1184~1185 元暦 げんりゃく
1185~1190 文治 ぶんじ
1190~1199 建久 けんきゅう
1199~1201 正治 しょうじ
1201~1204 建仁 けんにん
1204~1206 元久 げんきゅう
1206~1207 建永 けんえい
1207~1211 承元 じょうげん
1211~1213 建暦 けんりゃく
1213~1219 建保 けんぽう(けんぽ)
1219~1222 承久 じょうきゅう(しょうきゅう)
1222~1224 貞応 じょうおう
1224~1225 元仁 げんにん
1225~1227 嘉禄 かろく
1227~1229 安貞 あんてい
1229~1232 寛喜 かんぎ
1232~1233 貞永 じょうえい
1233~1234 天福 てんぷく
1234~1235 文暦 ぶんりゃく
1235~1238 嘉禎 かてい
1238~1239 暦仁 りゃくにん
1239~1240 延応 えんおう
1240~1243 仁治 にんじ
1243~1247 寛元 かんげん
1247~1249 宝治 ほうじ
1249~1256 建長 けんちょう
1256~1257 康元 こうげん
1257~1259 正嘉 しょうか
1259~1260 正元 しょうげん
1260~1261 文応 ぶんおう
1261~1264 弘長 こうちょう
1264~1275 文永 ぶんえい
1275~1278 建治 けんじ
1278~1288 弘安 こうあん
1288~1293 正応 しょうおう
1293~1299 永仁 えいにん
1299~1302 正安 しょうあん
1302~1303 乾元 けんげん
1303~1306 嘉元 かげん
1306~1308 徳治 とくじ
1308~1311 延慶 えんぎょう(えんきょう)
1311~1312 応長 おうちょう
1312~1317 正和 しょうわ
1317~1319 文保 ぶんぽう(ぶんぽ)
1319~1321 元応 げんおう
1321~1324 元亨 げんこう
1324~1326 正中 しょうちゅう
1326~1329 嘉暦 かりゃく
1329~1331 元徳 げんとく
1329~1332 元徳 げんとく
1331~1334 元弘 げんこう
1332~1333 正慶 しょうけい(しょうきょう)
1334~1336 建武 けんむ
1334~1338 建武 けんむ(北朝)
1336~1340 延元 えんげん(南朝)
1338~1342 暦応 りゃくおう(北朝)
1340~1346 興国 こうこく(南朝)
1342~1345 康永 こうえい(北朝)
1345~1350 貞和 じょうわ(ていわ)(北朝)
1346~1370 正平 しょうへい(南朝)
1350~1352 観応 かんおう(かんのう)(北朝)
1352~1356 文和 ぶんな(ぶんわ)(北朝)
1356~1361 延文 えんぶん(北朝)
1361~1362 康安 こうあん(北朝)
1362~1368 貞治 じょうじ(ていじ)(北朝)
1368~1375 応安 おうあん(北朝)
1370~1372 建徳 けんとく(南朝)
1372~1375 文中 ぶんちゅう(南朝)
1375~1381 天授 てんじゅ(南朝)
1375~1379 永和 えいわ(北朝)
1379~1381 康暦 こうりゃく(北朝)
1381~1384 弘和 こうわ(南朝)
1381~1384 永徳 えいとく(北朝)
1384~1392 元中 げんちゅう(南朝)
1384~1387 至徳 しとく(北朝)
1387~1389 嘉慶 かきょう(かけい)(北朝)
1389~1390 康応 こうおう(北朝)
1390~1394 明徳 めいとく(北朝)
1392~1394 明徳 めいとく(南北朝合一)
1394~1428 応永 おうえい
1428~1429 正長 しょうちょう
1429~1441 永享 えいきょう
1441~1444 嘉吉 かきつ
1444~1449 文安 ぶんあん
1449~1452 宝徳 ほうとく
1452~1455 享徳 きょうとく
1455~1457 康正 こうしょう
1457~1460 長禄 ちょうろく
1460~1466 寛正 かんしょう
1466~1467 文正 ぶんしょう
1467~1469 応仁 おうにん
1469~1487 文明 ぶんめい
1487~1489 長享 ちょうきょう
1489~1492 延徳 えんとく
1492~1501 明応 めいおう
1501~1504 文亀 ぶんき
1504~1521 永正 えいしょう
1521~1528 大永 たいえい(だいえい)
1528~1532 享禄 きょうろく
1532~1555 天文 てんぶん
1555~1558 弘治 こうじ
1558~1570 永禄 えいろく
1570~1573 元亀 げんき
1573~1592 天正 てんしょう
1592~1596 文禄 ぶんろく
1596~1615 慶長 けいちょう
1615~1624 元和 げんな
1624~1644 寛永 かんえい
1644~1648 正保 しょうほう(しょうほ)
1648~1652 慶安 けいあん
1652~1655 承応 じょうおう
1655~1658 明暦 めいれき
1658~1661 万治 まんじ
1661~1673 寛文 かんぶん
1673~1681 延宝 えんぽう
1681~1684 天和 てんな
1684~1688 貞享 じょうきょう
1688~1704 元禄 げんろく
1704~1711 宝永 ほうえい
1711~1716 正徳 しょうとく
1716~1736 享保 きょうほう(きょうほ)
1736~1741 元文 げんぶん
1741~1744 寛保 かんぽう(かんぽ)
1744~1748 延享 えんきょう
1748~1751 寛延 かんえん
1751~1764 宝暦 ほうれき
1764~1772 明和 めいわ
1772~1781 安永 あんえい
1781~1789 天明 てんめい
1789~1801 寛政 かんせい
1801~1804 享和 きょうわ
1804~1818 文化 ぶんか
1818~1830 文政 ぶんせい
1830~1844 天保 てんぽう
1844~1848 弘化 こうか
1848~1854 嘉永 かえい
1854~1860 安政 あんせい
1860~1861 万延 まんえん
1861~1864 文久 ぶんきゅう
1864~1865 元治 げんじ
1865~1868 慶応 けいおう
1868~1912 明治 めいじ
1912~1926 大正 たいしょう
1926~1989 昭和 しょうわ
1989~2019 平成 へいせい
2019~ 令和 れいわ

 

大化から令和まで、数多くの元号がありましたね。

 

平成という元号に決めるときには、

「修文(しゅうぶん)」

「正化(せいか)」

という候補もあったそうです。

 

話し合いの中で、

「平成がわかりやすくて親しみやすい」

「イニシャルが明治(M)、大正(T)、昭和(S)と重ならないほうが良い」

という意見があり、最終的に平成に決まったといわれています。

 

 

また、

令和のときにも

「英弘(えいこう)」

「久化(きゅうか)」

「広至(こうし)」

「万和(ばんな)」

「万保(ばんぽう)」など

ほかの候補があったそうです。

 

令和(R)も「明治(M)、大正(T)、昭和(S)、平成(H)」とイニシャルが重ならないよう配慮されています。

 

元号とアルファベット

 

また、令和の由来は、万葉集の

「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ」

ですが、令月は2月の異称であり、今上天皇のお誕生月でもあるのですね。

 

今上天皇

 

現在、元号を使っている国は日本だけです。

日本だけが元号を使い続けている理由は、天皇制(象徴天皇制)が続いており廃止する理由が特にないからだと考えられます。

元号と西暦、両方を使うことは時々「面倒だなぁ」と思ってしまいますが、世界で日本しか使っていない元号と考えると、親しみがわきませんか?

 

関連:日本の元号(年号)長い・短いランキング!最も期間が長いのは昭和?

関連:元号「令和」の意味と由来とは?明治・大正・昭和・平成の意味と由来も紹介!

関連:旧暦(陰暦)1月~12月の名称・別名・異名・異称一覧

 

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コメント

コメント一覧 (8件)

  • 休みが増えるのは良いことだろうか?学生の学力低下、生産業では?低賃金で働いてる私のようなパートの人は?今でも苦しい生活なのにこれ以上休みが増えたら!!安倍さんはこの日本をどうしようとしてるのか?休みが増えて喜ぶのは役所や公務員だけでしょ。

  • 個人的な意見としては、元号はやめたほうが良いと思います。

    君主(日本なら天王)が空間・時間を支配するという考え方から元号ができている。
    ようするに大将への絶対服従と言うことです。
    そんな文化は要らない。

  • 『何故、昭和の次が平成になったのか?』
     昭和から平成に変わった頃、テレビで放送されていたのは違います。
     『昭和平成』と縦に書いて、昭和と平成の間に『レ点(返り点)』を打って漢文読みすると、『昭カニ平和成ル』(アキラカニヘイワナル)と読むことができるのです。
     昭和の次こそ、平和な時代にしたいという色々な方の思いが込められたのが『平成』という元号だという事でした。

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