松の内の意味とは?いつからいつまで?なぜ関東と関西で違う?

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松の内の意味

お正月三が日を過ぎると、一気に普段通りの生活に戻る方も多いと思いますが、三が日を過ぎてもお正月飾りはまだ残っていますよね。

門松などのお正月飾りを飾っておく期間にはきちんと決まりがあるそうです。

それが「松の内(まつのうち)」ということなのですがご存知でしょうか?

「松の内」とは、どういう意味があるのか、また、関東と関西での違いについて解説します。

 

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目次

松の内の意味とは?

 「松の内(まつのうち)」とは、門松などのお正月飾りを飾っておく期間のことをいいます。

 

年神様

 

年神様(毎年お正月、各家にやってくる豊作や幸せをもたらす神様)が、迷うことなく家にいらっしゃるよう、目印になるのが門松と考えられています。

また、年神様は鏡餅に宿ると言われており、松の内は鏡餅を飾って年神様をお迎えします。

年神様は門松を目印に各家へいらっしゃり、鏡餅に宿って過ごされるのですね。

 

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松の内はいつからいつまで?

松の内の始まりは元日です。

松の内の終わりは地域によって異なり、関東をはじめほとんどの地域では1月7日まで関西では1月15日までとなっています。

 

よって

関東をはじめほとんどの地域では1月1日~1月7日

関西では1月1日~1月15日

が松の内になります。

 

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どうして関東と関西での違いがあるの?

 松の内は、もともと日本全国で1月15日まででした。

そのころは、鏡開きも日本全国で1月20日に行われていました。

鏡開きとは松の内が過ぎた後に鏡餅を食べる風習のことです。

松の内は年神様が鏡餅に宿っていらっしゃるので、松の内が終わってから、鏡開きをするのです。

鏡開き

しかし、江戸時代の慶安4年(1651年)4月20日に徳川三代将軍である家光が亡くなり、毎月20日は家光の月命日となりました。

そのため、徳川幕府のお膝元である関東では「月命日に鏡開きは良くない」ということで1月20日を避け、鏡開きを1月11日に行うようになりました。

しかし、1月11日は松の内です。

松の内は年神様がいらっしゃるのに鏡開きを行うのは失礼なのではないか?ということになり、1662年に徳川幕府が「1月7日をもって飾り納め」を指示する通達を出します。

そのような経緯で関東では松の内が1月7日までとなり、正確に情報が伝わらなかった関西ではそれまで通りに松の内は1月15日までとなったといわれています。

 

明暦の大火

 

また、明暦3年(1657年)1月18日から1月20日までの3日間、江戸の市街地がほとんど消失するほどの大火災が起こります。

明暦の大火(めいれきのたいか)と呼ばれているもので、それ以降、松飾りなどの燃えやすいものは早く片づけるように・・・ということで松の内の期間が短くなったという説もあります。

 

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しめ飾り

 

松の内は江戸時代までは日本全国同じ日だったのですね。

徳川三代将軍の月命日ということで日程の変更が行われたわけですが、それまでの習慣を変更してしまうほどの影響力が徳川家にはあったということでしょう。

関東と関西で松の内の期間は違いますが、年神様をお迎えして新しい年をお祝いする気持ちは一緒です。

お正月にみんなで集まった時には、松の内について子どもたちと話し合いながら年神様をお迎えしましょう!

 

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