お正月の風物詩のひとつ「出初式」を見たことはありますか?
梯子(はしご)の高いところでさまざまな技を競う姿はとても迫力がありますよね。
今回は、出初式はいつ行われるのか、はしごに乗るのはなぜなのか、また出初式の目的や意味についてわかりやすく解説します。
出初式の目的と意味とは?
読み方は「でぞめしき」です。
消防士、消防団など、消防関係者により、1月初旬に行われる新春恒例行事の一つで、「消防出初式(しょうぼうでぞめしき)」とも呼ばれます。
「出初(でぞめ)」は「初めて出る」という意味があり、その年の初めて消防演習を行う式を「出初式」といいます。
出初式は、 地域の住民の前で消防士、消防団の設備や技術を披露して安心してもらう目的があります。
また、 出初式を通して地域の住民に火災予防に対する意識を持たせることも目的のひとつです。
出初式の歴史や由来は?
江戸時代、木造住宅が密集する江戸では火事が頻発していました。
そのため、江戸幕府は消防組織である「火消(ひけし)」を制度化し、
「大名火消(だいみょうひけし)」
「定火消(じょうびけし)」
「町火消(まちびけし)」
という三つの組織が消防にあたりました。
大名火消(だいみょうびけし)
寛永20年(1643年)に江戸幕府は16の大名家を指名し、大名自らが指揮を取る「大名火消」を作りました。
大名火消は、江戸城や武家の居住地域の消防にあたる組織です。
大名火消は、大名自らが火事場に向かうこともあり、その際には大名のみならず家臣も派手な火事装束に身を包んでおり、なかには消火活動中に火事装束の着替えを行う大名まであらわれ、大勢の見物人が集まったそうです。
明暦3年(1657年)に発生した「明暦の大火(めいれきのたいか)」では2日間に渡って火災が続き、江戸城天守閣を含む江戸の大半が焼失し、犠牲者は3万人から10万人と推計され、江戸の歴史上最悪の火災といわれています。
江戸城の天守閣はこれ以降再建されることはありませんでした。
明暦の大火では、従来の大名火消では火勢を食い止めることができませんでした。
定火消(じょうびけし)
大名火消だけでは明暦の大火が防げなかったため、翌年の万治元年(1658年)に、追加で作られたのが、「定火消」です。
定火消は、江戸幕府の職名のひとつで旗本が指揮を執りました。
この役職には、最初は旗本が2家選出され、それぞれに「与力(よりき・上官の補佐をする人)」6名、「同心(どうしん・与力のもとで庶務や警備をする人)」30名がついていました。
旗本の数は少しずつ増え、最終的には10家が選出されたそうです。
また、定火消は「臥煙(がえん)」と呼ばれる火消人足(ひけしにんそく・消防活動を行う人)を雇い、現在の消防署の原型といわれる「火消屋敷(ひけしやしき)」に住み、江戸の警備や防火活動、消火活動に当たりました。
大名火消と定火消は、どちらも江戸城や武家の居住地域の消防にあたる組織ですが、定火消は、明暦の大火を大名火消だけでは防げなかったという反省を踏まえて作られた組織なので、火消屋敷に旗本が住めるようにしたり、火消屋敷に火消人足を待機させ、火事が起こったらすぐに消火活動に行けるよう準備するなど改善が加えられています。
町火消
明暦の大火後、享保3年(1718年)に8代将軍吉宗の享保の改革の一環として、南町奉行の大岡忠相によって町人による消防組織「町火消」が制度化されました。
町火消は、町人地区の消防にあたる組織です。
いくつかの町を「組」としてまとめ、「いろは47組」(後に一つ増えて48組)などを設けたとされます。
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明暦の大火で江戸の大半を焼かれ、江戸の人々は絶望にくれながら復興作業を行っていました。
そのような状況の中、万治2年(1659年)1月4日に、老中・稲葉正則に率いられた定火消4組が「上野東照宮」に集まり、史上初の「出初(でぞめ)」を行い、江戸の人々に大きな希望と信頼を与えました。
これが出初式の起源だといわれています。
翌年以降、毎年1月4日に上野東照宮で出初式が行われるようになりました。
町火消も定火消の「出初」に倣(なら)って仕事始めの儀式を行うようになりましたが、「出初(でぞめ)」と区別するため「初出(はつで)」と呼んだそうです。
明治7年(1874年)には東京警視庁が設けられ、翌明治8年(1875年)1月4日に現在行われている東京消防出初式の前身である『第1回東京警視庁消防出初式』が行われました。翌年以降も毎年1月4日に開催されました。
また、明治32年(1899年)には出初式の規定である「消防出初式順序」が制定されました。
第一条では「消防出初式は毎年1月4日に行う。但し当日雨雪の時は同月6日とする。6日も雨雪ならば中止」ということが定められていました。
その後、大正5年(1916年)から終戦後にかけては1月6日や1月15日に開催されたそうです。
そして、昭和23年(1948年)3月7日に東京消防庁が誕生し、翌年の昭和24年(1949年)1月15日に東京消防出初式が開催されました。
昭和28年(1953年)以降は1月6日になり現在に至ります。
2025年の出初式はいつ?
出初式の日程は場所によって異なり、1月上旬、中旬に行うところが多いです。
日本各地で行われていますので、いくつかご紹介します。
※日付が2024年のものは昨年の情報です。2025年は分かり次第更新いたします。
令和7年(2025年)東京消防出初式
日時:2025年1月6日(月)
屋外式典会場の開場:午前8時30分
開式:午前9時30分
閉式:午前11時30分ごろ
場所:東京ビッグサイト東棟屋外臨時駐車場
屋内展示会場は9時30分~14時
場所:東京ビッグサイト東展示棟 第7・8ホール
外部リンク:東京消防庁 令和7年東京消防出初式
※屋外式典会場は事前申し込みが必要です。応募者多数の場合は抽選となります。
令和6年(2024年)大阪市消防出初式
日時:2024年1月6日(土)10時~13時
場所:ATC(アジア太平洋トレードセンター)オズ岸壁周辺
外部リンク:令和6年大阪市消防出初式
※能登半島地震への対応に伴い、出初式は中止となりました。
令和6年(2024年)名古屋市消防出初式
日時:2024年1月6日(土)10時~11時30分
場所:庄内緑地
外部リンク:令和6年名古屋市消防出初式
※能登半島地震への対応に伴い、出初式は中止となりました。
令和7年(2025)横浜消防出初式
日時:2025年1月12日(日)10時~15時
場所:横浜赤レンガ倉庫&象の鼻パーク
外部リンク:横浜消防出初式2025
出初式にはしごに乗るのはなぜ?
江戸時代、火消しは火事が起こった際にははしごに乗って高い位置から、火元や風向き、建物の配置など火災の状況を把握していたそうです。
また、火災現場にいち早く到着し、火災を止められそうなギリギリの家屋にはしごを使って登り、纏(まとい・旗印の一種)を回すのですが、「この先には火災を広げない」という意味がありました。
そのため、梯子乗り(はしごのり)と纏持ち(まといもち)は危険な火災現場で高所に登り、命をかけて江戸を守る町火消として、江戸時代の花形職業だったようです。
梯子乗りはバランスがとても大事なので、日ごろからはしごに乗る練習をし、曲芸のようなことをすることで度胸をつけ、火災に備えていたといわれています。
そしていつしか、出初式で火消がはしごに乗って技を披露するようになり、現在もその伝統が引き継がれているのです。
梯子乗りの技は以下の通り、大きく4種類に分けることができ、あわせて50以上のバリエーションがあり、複数の技を組み合わせて連続技を披露することもあります。
技の種類 | 概要 |
頂上技 | はしごの頂上で行う技。
一本遠見(いっぽんとおみ)、一本邯鄲(いっぽんかんたん)など 16近くバリエーションがあります。 |
返し技 | 主に背面(背中)を使う難しい技。
肝つぶし(きもつぶし)、背亀(せがめ)など 12近くバリエーションがあります。 |
輪っぱ | 「輪っぱ」とよばれる長さ1.3mの紐を輪にしたものをはしごに取り付け、その輪に手や足を絡ませる技。
吹き流し、つるしなど 12近くバリエーションがあります。 |
途中技 | 頂上技の途中や、梯子を昇降する際に行う技。
谷覗き(たにのぞき)、膝掛(ひざかけ)など 12近くバリエーションがあります。 |
今ははしご車などがありますが、消火活動をする人たちが命の危険と隣り合わせなのは今も昔も変わりません。
出初式が開催される時期は、空気が乾燥している時期でもあります。
消防車からの一斉放水や、梯子乗りの披露などを楽しむのと同時に、火災を起こさないためにはどうしたらいいのか、ひとりひとりが考える機会になればいいですね。
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