忠犬ハチ公といえば、東京の渋谷駅にある銅像が有名ですよね。
渋谷駅前の待ち合わせ場所や、観光名所として国内外の観光客にも人気です。
さて、4月8日は「忠犬ハチ公の日」という記念日になっているのですが、どのような意味や由来があるのでしょうか?
今回は「忠犬ハチ公」についてご紹介します。
忠犬ハチ公とは?
「忠犬ハチ公」と呼ばれていますが、名前は「ハチ」で、犬種は秋田犬(あきたいぬ)です。
秋田犬は日本犬の一種で、国の天然記念物に指定されている大型犬種です。
主人に忠実な性質をもち、番犬に最適といわれています。
ハチの飼い主は、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に住んでいた上野英三郎(うえのひでざぶろう・1872年~1925年)という、東京帝国大学(現在の東京大学)の教授です。
ハチは秋田犬を飼いたいという英三郎の希望で、秋田県から東京までやってきました。
英三郎は、大正13年(1924年)にハチを飼い始め、ハチは英三郎が出かける際には玄関や門前で見送り、最寄り駅の渋谷駅まで送り迎えをすることもあったそうです。
しかし、翌年の大正14年(1925年)に英三郎は職場で急死してしまいました。
英三郎が亡くなったあと、ハチは上野の親戚の家などに預けられますが、英三郎を迎えに行こうとしてか渋谷駅を目指して逃げ出すこともありました。
そんなことがあったので、最終的には、ハチのことを小さいころから可愛がっていた渋谷の隣町(現:渋谷区富ヶ谷)の植木職人の家に預けられました。
この頃から、英三郎が帰宅していた時刻になると、ハチが渋谷駅にいるのを多くの人が目撃するようになりました。
ハチは食事のために植木職人の家に戻っては、また渋谷駅で英三郎を待ったそうです。
渋谷駅でハチは、子どもたちにいたずらされたり、心無い大人から虐待されたりしていたため、その姿を哀れんだ日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉(さいとうひろきち・1899年~1964年)が昭和7年(1932年)に新聞にハチのことを寄稿しました。
渋谷駅で亡き主人を待ち続けるハチの様子が新聞で報道されると、人々はその健気な姿に感動し、「忠犬ハチ公」と呼んでかわいがるようになりました。
渋谷駅ではハチが寝泊まりすることを許可し、人々はエサを与えるようになったそうです。
翌年の昭和9年(1934年)には、ハチの姿に感動した彫刻家の安藤照(あんどうてる・1892年~1945年)の発案により、ハチの銅像を作るための募金が始まりました。
そして渋谷駅に「忠犬ハチ公像」が設置され、同年4月21日に除幕式が行われました。
この除幕式にはハチも参加したそうですよ。
しかし、英三郎が亡くなって10年目の昭和10年(1935年)3月8日の午前6時過ぎに、渋谷駅の反対側にある稲荷橋付近で、ハチが死んでいるのが発見されたそうです。
4日後の3月12日には渋谷駅でハチの告別式が行われ、青山霊園にある、英三郎の墓石の隣にハチのお墓が作られました。
ハチの死体はその後はく製にされ、現在は東京都上野にある国立科学博物館に所蔵されています。
ハチの死因はフィラリア症で、心臓と肝臓に大量のフィラリアという虫が寄生して、それが原因で腹水が貯まっていたそうです。
また、胃の中から焼き鳥の串が3,4本見つかっているそうですが、こちらは直接の死因ではないようです。
この頃、日中戦争・太平洋戦争と続き、金属物資の不足から昭和16年(1941年)に「金属類回収令」が施行されました。
ハチの銅像も例外ではなく、金属として回収され、機関車の部品として生まれ変わったそうです。
現在の忠犬ハチ公像は二代目です。
戦後、ハチ公像の復活を望む声は多く、終戦から3年後の昭和23年(1948年)8月15日に再建されました。
安藤照は東京大空襲で亡くなったので、二代目は安藤照の長男である安藤士(あんどうたけし・1923年~2019年)が制作しました。
戦後ということで物資が不足しており、安藤士は父の「大空に」という作品を溶かして、ハチ公像を作ったそうです。
その後時は流れ、ハチ公の没後80年にあたる2015年3月8日、東京大学にハチ公と上野栄三郎の銅像が作られ、除幕式がおこなわれました。
この銅像は、ハチが栄三郎に飛びつき喜んでいる様子を表現したものになっており、90年ぶりにハチと栄三郎が再会を果たすことができたということで話題になりました。
4月8日は「忠犬ハチ公の日」意味と由来とは?
毎年4月8日は「忠犬ハチ公の日」です。
「忠犬ハチ公銅像お呼び秋田犬群像維持会」が制定し、昭和11年(1936年)から毎年この日に慰霊祭が行われています。
ハチの命日は3月8日ですが、3月はまだ寒く雪も残るため、一か月後の4月8日が「忠犬ハチ公の日」となったそうです。
また、ハチ公の銅像は4月21日に設置されたと紹介しましたが、一説では4月8日に設置されたともいわれており、そのため4月8日が「忠犬ハチ公の日」になったという説もあるようです。
また、ハチ公が生まれた秋田県大館市にもハチ公の銅像があり、渋谷駅前と同じように、毎年4月8日に慰霊祭が行われています。
ハチ公(秋田犬)が海外で人気の理由
忠犬ハチ公の物語は、日本では映画やドラマがいくつも制作されていますので、日本人のほとんどが知っていますよね。
海外でも2009年にリチャード・ギア主演で「HACHI 約束の犬」という映画が公開され、多くの人に感動を与えました。
映画の影響もあってか秋田犬は有名になり、海外でも人気になっています。
2012年には東日本大震災の際のロシアからの被災地支援に対してプーチン大統領に秋田犬の「ゆめ」が贈られました。
さらに2018年には平昌五輪の女子フィギュアスケートで金メダルを獲得したアリーナ・ザギトワ選手に「マサル」が贈られ、秋田犬の人気はさらに高まっているようです。
初めて海外に渡った秋田犬は、ヘレン・ケラー(1880年~1968年 アメリカの社会福祉活動家)に贈られた「神風号」です。
ヘレン・ケラーは、幼少期に視力と聴力を失い、話すこともできない「三重苦」を抱えながらも、教師のサリバンに出会ったことで障がいを克服し、社会福祉活動に尽力しました。
昭和12年(1937年)にヘレンが初来日したとき、忠犬ハチ公のエピソードはアメリカでも大変話題になっており、ヘレンが「秋田犬をぜひ連れて帰りたい」と熱望したことで「神風号」がプレゼントされたそうです。
残念ながら神風号はアメリカに到着して2カ月後に感染症で死亡してしまいました。
ヘレンは1936年にも恩師のサリバンを亡くしており、神風号が死亡した際「私の人生からもう一つの喜びが消えてしまった」と嘆き悲しんだそうです。
ヘレンの悲しみの声は日本にも伝わり、神風号の死から2年後に「剣山号」という名前の秋田犬が、再び贈られたそうです。
その後、ヘレンが昭和23年(1948年)8月30日に来日した際には、渋谷駅前に再建されたばかりの二代目ハチ公像に触れ、愛おしむようにハチ公像を撫でる様子が写真に残されています。
ハチ公の銅像をよく見ると、左耳が垂れていることに気づきませんでしたか?
これは、飼い主である上野英三郎が亡くなったあと、ずっと渋谷駅で待ち続けていた際に、野犬に襲われて左耳を噛まれたからだといわれています。
国立科学博物館のハチ公のはく製は、両方の耳が立っている若い頃の姿が再現されていますので、渋谷駅前の銅像と見比べてみるといいかもしれません。
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