一休さんの「そもさん」「せっぱ」って、どういう意味?

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一休さんといえば、昭和の時代にアニメ放送をしていたのでご存知の方も多いでしょう。

お寺で修行している一休さんが、将軍様からの無理難題や人々の困りごとをとんちで解決していくお話です。

その中で「そもさん」「せっぱ」という掛け声があります。

「そもさん」と「せっぱ」って、どういう意味なのでしょうか?

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目次

一休さんとは?

 読み方は「いっきゅうさん」です。

 「一休さん」とは、室町時代(1336年~1573年)の臨済宗の僧侶である一休宗純(いっきゅうそうじゅん・1394年~1481年)の愛称です。

一休宗純

一休宗純

「一休」は道号(どうごう)です。

道号とは、戒名(かいみょう)の上に付けられる2文字のことで、その人の人柄や性格などを表した呼び方です。

なぜ「一休」という道号が付けらたかについては後ほどご紹介します。

戒名とは、仏教修行のために仏門に入る際、仏教の規則を守ることを約束した証としていただく名前で、「宗純」が戒名になります。

 戒名についての詳細はこちらをご覧ください。

関連:位牌と戒名って何?意味や由来とは?位牌と戒名は必要?

後小松天皇

後小松天皇

一休さんの両親が誰なのか定かではありませんが、父親は第100代の後小松天皇(ごこまつてんのう)、母親は宮中に仕えていた女性だったという説があります。

当時は、身分の高い家の子どもが政治的な争いに巻き込まれないように保護するため、幼いころから寺に預けることがよくあったそうです。

こうして一休さんは6歳の時に京都の安国寺に入門したといわれています。

そして、1415年に京都の大徳寺の僧侶である華叟宗曇(かそうそうどん・1352年~1428年)の弟子となり、「一休」という道号を授かりました。

禅問答

禅問答

「一休」という道号の由来は、禅問答(ぜんもんどう)の「洞山三頓の棒(とうざんさんとんのぼう)」という公案(こうあん)が由来です。

禅問答とは、禅僧が悟りに至るために師と行う修行法で、公案とは、師が弟子に与える“なぞなぞ”のような問いのことです。

禅問答・公案の詳細はこちらの記事をご覧ください。

関連:禅の意味や由来とは?禅問答ってなに?

 

「洞山三頓の棒(とうざんさんとんのぼう)」という公案には、雲門(うんもん・864年~949年)と洞山(とうざん・910年~990年)という二人の中国の禅僧が登場します。

三頓の棒とは、禅僧が師が弟子に弟子を警策(けいさく)で激しく打つことで、「痛棒」ともいいます。

内容は以下のとおりです。

 洞山が雲門に会った時、

雲門「どこから来た?」

洞山「査渡(さと)です」

雲門「夏はどこにいた?」

洞山「湖南(こなん)の報慈寺にいました」

雲門「いつそこを発った?」

洞山「八月二十五日です」

雲門は激しく怒り、「本来なら三頓の棒で叩いてるところだ!」と言いました。

洞山は翌日、雲門に問いました。

洞山「昨日、三頓の棒で叩いているところだと言われましたが、私のどこが悪かったのかわかりません」

雲門「この無駄飯食らいが!査渡や湖南もこの調子で渡り歩いていたのだろう!」

洞山はここで雲門が何を問うていたのか理解しました。

そして、華叟宗曇は一休さんに

「なぜ正直に答えた洞山は怒られたのか?」と問いました。

長い時間考えていた一休さんは

「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

と答えました。

有漏路とは、迷いや煩悩の世界のこと(この世)
無漏路とは、悟り、仏の世界のこと(あの世)

現代語に訳すと以下の意味になります。

「人生というものは、この世からあの世へと向かうまでの一休みの時間でしかない。雨が降ろうが風が吹こうが大したことではない」

 一休さんの答えを聞き、華叟宗曇は「では、これからは一休と名乗るが良い」と、名前を授けました。

 

ちなみにこの公案の中で雲門は、

「どこから来た?」は生まれ育ちや出家までの経緯

「夏はどこにいた?」は夏の修行でどのようなことを学んだのか

「いつそこを発った?」は修行の成果があったのか、あったのならどのようなことなのか

などを訪ねているのですが、洞山は問をまったく理解していなかったので怒られたと考えるのが一般的です。

 

一休さんは、1428年に寺を出て各地で仏さまの教えを人々に伝え、1481年に京都で亡くなりました。

各地を巡る中で、いろいろなエピソードが生まれています。

  • 仏教で禁じられていた飲酒、肉食をしていた
  • 風変わりな格好をして街を歩き回っていた
  • 阿弥陀如来像を枕に昼寝をした

など

 一休さんの、戒律や形式にとらわれない生き方は人々の共感を呼び、江戸時代(1603年~1868年)には一休さんをモデルにした数多くの頓知咄(とんちばなし)が生まれました。

中でも1668年に発行された作者不明の「一休咄(いっきゅうばなし)」では、有名な「この橋渡るべからず」や「屏風の虎退治」などの頓知咄がでてきます。

 

「この橋渡るべからず」

米問屋の桔梗屋が、店の前の橋に「このはしわたるべからず」という張り紙をして、一休さんがお店に来られなくてよいようにしました。

桔梗屋は「この橋を渡るな」という意味で貼り紙をしたのですが、一休さんは橋の真ん中を堂々と歩いて行きました。

なぜ橋を渡ったのか尋ねると「端を渡ってはいけないというから、真ん中を渡りました」と答えました。

 

「屏風の虎退治」

室町幕府第三代将軍の足利義満(あしかがよしみつ・1358年~1408年)が一休さんに「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出してくるから退治してほしい」と訴えました。

一休さんは「捕まえますから、屏風絵から虎を出してください」と答え、義満を感服させました。

 

これらの頓知咄は一休さんが亡くなってから200年近く経ってから書かれたものなので、すべてが一休さんの逸話ではなく、史実とはいえません。

他の僧侶を一休さんに置き換えた咄なども多く含まれており、当時の江戸の人々が楽しめるような読み物にしたといわれています。

また、一休さんと足利義満は同時代の人物であったことは間違いないものの、義満が一休さんを頻繁に呼び、直接対話を繰り返したという具体的な記録は残っていません。

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「そもさん」「せっぱ」ってどういう意味?

先ほど説明した通り、師が弟子に与える“なぞなぞ”のような禅問答の問いのことを公案といいますが、公案を出す際に「そもさん」「せっぱ」という掛け声が師弟の間で交わされます。

 

「そもさん」は「作麼生」と書きます。

中国の宋の時代(960年~1279年)に日常的に使われていた言葉で

  • 「さあどうだ」
  • 「どうしてだ?」
  • 「答えてみろ」
  • 「これから質問するぞ」

などの意味があります。

 

「せっぱ」は「説破」と書きます。

  • 「説き伏せる」
  • 「その謎、解けたぞ」
  • 「論破したぞ」
  • 「どんな問題でも解いてみせるぞ」

などの意味があります。

 

実際に使う場合は、

問いかける人「そもさん(これから質問をする、準備は良いか!)」

答える人「せっぱ(どんな問題でも解いて見せる、さあこい!)」

という風に、問答の準備ができたかどうかを確認する意味合いで使います。

 そして、「そもさん」「せっぱ」のやり取りの後、公案、問答が行われます。 

 いかがでしたでしょうか?

「そもさん」と「せっぱ」は、問いかける人と答える人の掛け声なのですね。

アニメの「一休さん」を見ていた人たちは「そもさん」と言われたらすぐに「せっぱ」と答えてしまう人もいるのではないでしょうか。

一休さんの逸話は数多くありますが、そのすべてが史実というわけではありません。

しかし、一休さんは実在の人物ですから、修行中に「そもさん」「せっぱ」というやり取りをたくさんの人と行っていただろうなと想像することができますね。

 

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