子どもの名前にはその時代ごとにブームがありますよね。
では、明治・大正・昭和の女性の名前はどうでしたでしょうか?
「ウメ」や「タカ」のようなカタカナ二文字や、「花子」や「和子」のように「子」がつく名前が多かったように思いませんか?
今回は、明治・大正・昭和の女性の名前になぜ「カタカナ二文字」や「〇子」が多かったのか、その理由についてわかりやすく解説します。
「カタカナ二文字」が多かったのはいつ?
「カタカナ二文字」の名前が多かったのは、明治時代(1868年~1912年)です。
「カタカナ二文字」が多かった理由
まず、明治時代当時、女性の名前は、
「生まれた順番」
「縁起が良い」
「音の響きが美しい」
などの理由で付けられることが多かったようです。
例えば、
「生まれた順番」としての名前は、
初めての子だから「ハツ」や「イチ」
末っ子だから「スエ」
などです。
「縁起が良い」名前は、
長寿の象徴である「ツル」や「カメ」
長寿を祈る「チヨ(千代)」や「ヒサ(久しい)」
そのほか、「マツ・タケ・ウメ(松竹梅)」
などです。
「音の響きが美しい」名前は、
「サキ」「ハル」「ハナ」などです。
漢字ではなくカタカナの名前が多かった理由は、当時、庶民の多くが漢字を学ぶ機会があまりなかったことと、男尊女卑が影響しているようです。
男児は後継ぎや稼ぎ手として喜ばれ、学識のある人にお願いをして立派な漢字の名前を付けていましたが、
女児はあまり歓迎されておらず、
「女性の名前に漢字を使う必要がない」
「名前に漢字が使われている女性は可愛げがない」
「どの世代も読み書きできる」
などの理由で、カタカナの名前がほとんどだったようです。
また、その当時は、ひらがなよりカタカナのほうが覚えやすいという理由で、カタカナを先に学んだそうです。
そのため、ひらがなを読み書きできない人もいたため、多くの人が読み書きできるカタカナの名前を付けたといわれています。
また他の理由として、当時は富国強兵(ふこくきょうへい・経済を発展させて軍事力の増強を図る国家的スローガン)が叫ばれており、女性的な印象を与えるひらがなよりも、男性的な印象のカタカナを使うことが推奨されたことも理由のひとつといわれています。
ちなみに戦後になるとカタカナよりひらがなの名前が多くなったのは、最初にひらがなを学ぶようになったためです。
新聞や本など日常生活で用いられるのはカタカナよりもひらがなが多かったため、学校でひらがなを先に教えるようになったそうです。
それに伴い、ひらがなの名前が多くなっていったようです。
「カタカナ二文字」が多い理由については、時代劇などを見るとわかるように女性の名前に「お」をつけて呼ぶ習慣がありました。
たとえば「ハツ」なら「おハツ」、「マツ」なら「おマツ」のように呼ぶので、二文字のほうが語呂が良かったのではないかといわれています。
「〇子」が多かったのはいつ?
「〇子」という名前が多かったのは、大正時代(1912年~1926年)から昭和45年(1970年)ごろまでです。
大正時代(1912年~1926年)から昭和30年代(1950年代)までは、女性の名前ランキングでは「〇子」が上位を独占していました。
昭和45年(1970年)ごろまでは「〇子」という名前がとても多かったのです。
「〇子」が多かった理由
もともと「子」は男性の名前に用いられていました。
飛鳥時代(592年~710年)の小野妹子(おののいもこ)や蘇我馬子(そがのうまこ)が有名ですが、歴史の授業で初めて名前を見たときは女性だと思ったという人も少なくないと思います。
これは、中国の思想家である孔子(こうし)や、孟子(もうし)がそうであるように、中国では尊称(そんしょう・尊敬の気持ちを込めた呼び方)として「先生」を意味する「子」が用いられていました。
それに倣(なら)い、日本でも身分の高い男性に尊称として「子」を付けるようになったといわれています。
平安時代(794年~1185年)になると、身分の高い女性にも「子」が用いられるようになりました。
平安時代前期、嵯峨天皇(786年~842年、第52代天皇 在位809年~823年)の時代には、皇室の女性の名前に「子」を付けることが定着したといわれています。
法律で定められているわけではありませんが、現在も、「愛子さま」や「佳子さま」のように、女性皇族は「子」が付くお名前の方ばかりですよね。
その後、皇族や華族や貴族など身分の高い女性の名前だけに「子」を用いる時代が長く続きますが、明治時代の後半になると身分の意識が薄まって、少しずつ庶民の間でも女性の名前に「子」を用いるようになりました。
大正時代になると、庶民も教育を受ける機会が増え、カタカナではなく漢字で名前を付ける人が増えていきました。
そして、大正時代から昭和30年代ごろまで「〇子」がブームとなったのです。
その理由として、もともとは身分の高い女性にだけ用いられていた「子」に憧れがあったのではないかと考えられています。
また、戸籍上は漢字一文字や二文字の名前でも、最後に「子」をつけて呼ぶことが礼儀正しいという考え方もあったようです。
例えば、戸籍上は「梅」という名前を「梅子さん」と呼んだり、「千代」という名前を「千代子さん」と呼んだりしたそうです。
そういった理由から戸籍上の名前にも「子」をつける人が増えていったようです。
昭和45年(1970年)ごろまでは「〇子」という名前がとても多かったのですが、一般家庭のカラーテレビ普及率が9割を超えた昭和50年(1975年)ごろからは、テレビドラマなどの影響で名づけのバリエーションが一気に増えました。
平成(1989年~2019年)の中ごろからはインターネットの普及により、さらに名づけのバリエーションが増え、難しい漢字や当て字を使った「キラキラネーム」と呼ばれる名前も増えています。
「カタカナ二文字」や「〇子」が多かった理由がわかりましたね。
明治時代は男尊女卑の影響でカタカナの名前が多いというのは、残念な理由でしたね。
男性には頑張って漢字の名前を付けたのに、女性はそこまでしなくても良いと思われていた時代があったということです。
現在は、名づけの時に男尊女卑という考えはなくなり、男の子でも女の子でもご両親が一生懸命考えて名前を付けるようになりましたよね。
最近は難しい読み方や当て字、外国人のような名前、奇抜な名前などが増えていますが、今後も名づけのバリエーションはさらに増えていきそうですね。
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