
「村八分」という言葉にはあまり良い印象をもたないですよね。
昔の日本だけでなく、現在でも使われている言葉ですが、村八分の意味と由来とはどのようなものでしょうか?
残り二分は何なのでしょうか?
また、なぜ許されたのでしょうか?
この記事では、村八分の意味や由来、残り二分がなぜ許されたのかわかりやすく解説します。
村八分の意味とは?
読み方は「むらはちぶ」です。
「村八分」の意味は、村のしきたりや約束、秩序などを守らなかった人や家族を、村全体で仲間外れにすることです。
日常的な挨拶はもちろん、交流や農作業の助け合いなどもせず、孤立させて困らせます。

また、本来の意味ではなく、集団の中で特定の個人を仲間外れにする場面で「村八分」という言葉を使うことがあります。
村八分の由来とは?
村八分の由来や歴史は定かではありません。
「村八分」は主に江戸時代に(1603年~1868年)行われましたが、それ以前から日本各地で自然発生的に行われていた風習といわれています。
村という小さな集落の秩序を守るために行われた自治的制裁が「村八分」です。
江戸時代の「村八分」では、仲間外れにされることに加えて入会地(いりあいち)の使用が禁止されていました。
入会地とは、山林や原野、水源など村の共有地のことです。
入会地の使用が禁止されると、生活に必要な水や薪(たきぎ・まき)、落ち葉堆肥(腐葉土)、山菜などの調達が出来なくなり、生活に困ることになります。

明治時代以降も日本各地で行われていたようですが、現在も特に高齢者の多い地方などでは行われることもあるようです。
村八分をいじめや嫌がらせ、差別、名誉棄損、脅迫罪と考え、村八分された側の慰謝料請求が認められた事例がいくつもあります。
「村八分」の語源は諸説あります。
八分=「はじく」「はぶく」が語源という説
「村からはじく」「村からはぶく」=村の中で仲間外れにするということです。
八分=「撥撫(はつむ)」が語源という説
撥撫とは、払いのけて信用しない、受け入れることを拒む、という意味があります。
「十ある村の中での付き合いのうち八分は交流を絶ち、二分だけは協力する」という習慣を表した言葉という説
これが最も有名な説です。
八分は八つ、二分は二つという意味です。
八分は、以下の八つのことです。
- 成人式
- 結婚式
- 出産
- 病気の世話
- 新改築の手伝い
- 水害時の世話
- 年忌法要
- 旅行
これらについてはすべて交流を絶たれました。
残り二分は以下の二つです。
- 葬儀
- 火事の消火活動
これらについては村全体で協力しました。
残り二分はなぜ許されたのか?
ではなぜ残り二分の
- 葬儀
- 火事の消火活動
だけは村全体で協力することが許されたのはなぜでしょうか?
その理由は以下のとおりです。
葬儀が許された理由

死体を放置すると腐敗が進み、疫病の原因となるため、村全体で葬儀を行うことが許されていました。
また、村八分にされている人が亡くなった場合、亡くなった人を裁くことはできない、死ねば罪が許されるという考え方があったともいわれています。
火事の消火活動が許された理由
火事になり、火が周囲に広がると村全体の財産や人命が危険に晒されてしまいます。
そのため、火事が広がらないようにするために協力が許されました。
これら二つ以外は、放っておいてもすぐに他の人に迷惑がかかるものではなく、村八分にされている人だけが困ることです。

「村八分」がどういうものなのかわかりましたね。
現在は、近隣住民と交流がなくても生活に困らない時代です。
しかし、昔はしきたりやルールを守りながら村全体で協力しながら生きていました。
そのような時代に、小さな集落の秩序を守るためにはルール違反者を仲間外れにするのも仕方がなかったのかもしれませんね。
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