私たちが暮らす国は「日本」ですよね。
ですが、日本という呼び方以外にもいろいろな呼び方があることをご存知でしょうか?
今回は日本の異名・異称・別名をご紹介し、由来や意味を解説します。
日本の異名・異称・別名にはどんなものがあるの?
それでは、日本の異名・異称・別名をひとつずつご紹介します。
倭
読み方は「わ」または「やまと」です。
紀元前から、中国は日本のことを「倭」と名づけ、呼んでいました。
中国での発音は「うぇい」や「ぅおー」です。
中国の影響を受け、日本も自国のことを「倭国(わこく)」と呼んでいました。
しかし、「倭」という漢字には、
「おとろえる」
「従順」
「背が曲がって背の低い人」
などの意味があり、良い意味ではないため国名にふさわしくないと考えるようになっていき、「大和(やまと)」や「日本」へと変化したという説があります。
また倭を「やまと」の呼ぶのは以下のような説があります。
もともと「やまと」と呼んでいたところへ中国から「倭」という漢字が伝わり「倭(やまと)」となったという説
また、3世紀ごろ、現在の奈良県に「大和(やまと)」という土地があったことから「倭」を「やまと」と呼ぶようになったという説
ほかに、詳細は不明ですが
山に囲まれた国だから「やまと」と呼んでいたという説
現在の奈良県を「山のふもと」や「山があるところ」という意味で「やまと」と呼んでいたことが由来という説
大和
読み方は「やまと」です。
日本の古い呼び方であり、雅称(がしょう)です。
雅称とは、雅(みやび)な呼び方、名前のことです。
雅とは、みやびやかな、奥ゆかしい、優雅だ、洗練されている、礼儀正しい、などの意味があります。
3世紀ごろ、現在の奈良県を「大和の国」と呼んでいました。
そのころ最も勢力を持ち日本全体を支配していたのが「ヤマト王権」です。
ヤマト王権は、奈良を拠点に日本全体を支配していき、日本の国土全体を「やまと」と呼ぶようになりました。
また、元明天皇(げんめいてんのう・第43代天皇)の時代(飛鳥時代後期~奈良時代前期)に「好字二字化令(こうじにじかれい・713年)」が定められました。
好字二字化令とは、「国や郷(さと)などの地名を縁起の良い漢字2文字にする」というきまりのことです。
好字二字化令によって「倭」に「大」を加えて「大倭(やまと)」となり、いつしか「大和(やまと)」になりました。
「倭」の字を簡略化したのが「和」なので「大和」なのではないかという説があります。
日出る国
読み方は「ひいづるくに」「ひいずるくに」です。
日本の美称(びしょう)です。
美称とは、ほめたたえること、物事をほめて言う呼び方です。
「日出処(ひいづるところ)」ともいいます。
中国が日本のことを「倭」と呼んでいたころ、聖徳太子(574年~622年)が随(現在の中国)の皇帝に
「日出処天子至書日没処天子無恙・・・」
(日出処の天子(てんし)、書を日没する処の天子に致す・・・)
という内容の文書を送りました。
これは、隋から見て日本は太陽が昇る方角にあることから「日出処(日の出る国)」、太陽が沈む隋を「日没する処(日が落ちる国)」と表現したといわれています。
さらに、中国皇帝にしか使用されていなかった「天子」という言葉を使うことで中国と対等の立場を求めたものだといわれています。
そして、この「日出処(日の出る国)」=「日の本(ひのもと)」が由来となって、「日本」という国名に変えたのではないかと中国の歴史書に記されているそうです。
葦原中国
読み方は「あしはらのなかつくに」です。
日本の古い呼び方です。
「葦原の中つ国」「葦原中津国」などの表記もあり、「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」や「中津国(なかつくに)」とも言います。
葦原中国は、日本神話に出てくる、高天原(たかまがはら)と黄泉の国(よみのくに)の間にあるとされる世界のことです。
高天原とは、神々が住んでいる天上の国のことです。
黄泉の国とは、死後の世界のことです。
その間の世界である「葦原中国」は日本を指します。
瑞穂の国
読み方は「みずほのくに」です。
日本の美称です。
瑞穂とは、みずみずしい稲穂のことです。
日本は稲が多く取れることから、みずみずしい稲穂が実る国という意味です。
日本書紀(にほんしょき・720年)には「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)という表記もあります。
「豊葦原千五百秋瑞穂国」は、葦(あし)が豊かに生い茂り、永遠にみずみずしい稲穂が実る国という意味になります。
敷島
読み方は「しきしま」です。
日本の古い呼び方です。
「敷嶌」「式島」「磯城島」などの表記もあり、すべて「しきしま」と呼びます。
崇神天皇(すじんてんのう・第10代天皇)の皇居である磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)があった磯城(しき・現在の奈良県)という地名が由来です。
ここでの「島(しま)」は、周囲を海や湖で囲まれた陸地のことではなく、天皇が治める地域を指します。
「しきしま」は日本の国土を指しているといわれています。
言霊の幸う国
読み方は「ことだまのさきわうくに」です。
日本の美称です。
日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国という意味です。
言霊とは、言葉が持つとされる霊力のことで、古来より日本人は、言葉には不思議な力が宿ると信じてきました。
現存する日本最古の和歌集の「万葉集(まんようしゅう・759年)」には「言霊の幸う国」が含まれた和歌が複数存在します。
たとえば、以下の歌があります。
「しきしまの 大和の国は言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ」(柿本人麻呂)
(この日本という国は、言霊によって幸せをもたらす国です。これからも平安でありますように)
秋津島
読み方は「あきつしま」「あきつじま」です。
日本の古い呼び方です。
「秋津洲(あきつしま・あきつじま)」
「蜻蛉島(あきつしま・あきつじま)」
とも書きます。
秋津は、蜻蛉(とんぼ)のことです。
日本書紀(にほんしょき・720年)には、神武天皇(じんむてんのう・初代天皇)が国土を一望して
「素晴らしい国を得た。蜻蛉(あきつ)が交尾をしているように山々が連なり囲んでいる国だ」
と言い、日本を「秋津島」と名付けたと書かれています。
また、古事記(こじき・712年)には「大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)」、日本書紀では「大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)」という表記もあります。
「あきつしま」が含まれた和歌は数多くあります。
たとえば新古今和歌集(しんこきんわかしゅう・1205年)には以下の歌があります。
●三統理平
「とひかける あまのいはふね たつねてそ あきつしまには 宮はしめける」
扶桑
読み方は「ふそう」です。
日本の古い呼び方です。
中国の伝説で、太陽が昇る東方の果てにある島に生える巨木を「扶桑」といい、日本のことを指していると考えられています。
中国では「扶桑」を日本の異称として使っていましたが、日本もその影響で自らの国を「扶桑国(ふそうこく)」と呼びました。
平安時代(794年~1185年)には、歴史書の「扶桑略記(ふそうりゃくき)」、漢詩を集めた書物の「扶桑集(ふそうしゅう)」など、「扶桑」と名のつく書物があります。
(黄金の国)ジパング
マルコ・ポーロ(1254年~1324年)がアジア諸国について記録した「東方見聞録(とうほうけんぶんろく)」で日本のことを「ジパング(Zipangu または Cipangu)」と書いたことが由来です。
東方見聞録には「日本は黄金であふれかえっており、建てられている建造物はすべて黄金でできている」と記されており、当時のヨーロッパでは「黄金の国ジパング」と呼ばれていたそうです。
またジパングは、英語の「JAPAN(ジャパン)」の由来といわれています。
八島
読み方は「やしま」「はちとう」です。
日本の雅称です。
「八洲(やしま)」
「大八洲(おおやしま)」
「大八島(おおやしま)」
などの表記もあります。
「八」は具体的な数字ではなく、数が多いことを表しており、日本が多くの島からなる国ということで日本列島を指します。
また、「古事記(こじき・712年)では、
- 淡路(あわじ・現在の淡路島)
- 伊豫之二名島(いよのふたなしま・現在の四国)
- 隱伎之三子島(おきのみつごのしま・現在の隠岐諸島)
- 筑紫(つくし・現在の九州)
- 伊岐(いき・現在の壱岐の島)
- 対馬(つしま・現在の対馬)
- 佐渡(さど・現在の佐渡島)
- 大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま・現在の本州)
など「八つの島」の総称とされています。
日本の異名・異称・別名をご紹介しました。
日本は古い歴史がある国ですから、神話の時代から現代までさまざまな呼び方が生まれてきたのでしょう。
雅称や美称などもあり、昔の人々も日本を美しく素晴らしい国だと思っていたことがうかがえますね。
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