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なぜ日本は日本という国名になったの?その由来とは?

      2019/05/25

私たちが今住んでいるこの国の名前は「日本」ですよね。

読み方は特に決められておらず、「にほん」でも「にっぽん」でも良いのですが、漢字では「日本」と書きます。

では、どうして「日本」という国名になったのか考えたことはありますか?

今回は、私たちが暮らす「日本」の国名について調べてみました。

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なぜ日本は日本という国名になったの?その由来とは?

「日本」という国名は、7世紀から8世紀初頭ごろに使われるようになったと考えられています。

しかし、「この年の、この日から『日本』という国名にする」といった具体的な史料は残されていないため諸説あるようです。


・646年の大化の改新のころから使われるようになった

江戸時代(1603年~1868年)の国学者である本居宣長(もとおりのりなが・1730年~1801年)が、「大化の改新の頃には、『日本』と書いて『ひのもと』と読んでいたのではないか」という推測をしています。


・689年の飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が施行されてから使われるようになった

天武天皇の治世(672年~686年)に飛鳥浄御原令の中で「日本」という国名が表記されていたといわれていますが、現存していないため定かではありません。


・701年の大宝律令(たいほうりつりょう)が成立してから使われるようになった

「令義解(りょうのぎげ・833年)」という書物の中には、大宝律令の解説があります。

その解説に「日本天皇」という記述があることから、大宝律令が成立(701年)してからか、成立する前から「日本」という国名が使われていたと考えられています。

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それ以前の中国では、日本のことを「倭(わ)」と呼んでいました。

しかし、日本で漢字の知識が高まる中、「倭」という漢字には「おとろえる」「従順」「背が曲がって背の低い人」など良い意味で使われておらず、国名にふさわしくないと考えるようになっていたようです。

そして、聖徳太子(574年~622年)が随(現在の中国)の皇帝に「日出処天子至書日没処天子無恙・・・(日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没する処の天子に致す・・・)」という内容の文書を送りました。

これは、日本を「日の出る国」、中国を「日が落ちる国」と表現し、中国皇帝にしか使用されていなかった「天子」という言葉を使うことで中国と対等の立場を求めたものだといわれています。

そして、この「日出処(日の出る国)」=「日の本(ひのもと)」が由来となって、「日本」という国名に変えたのではないかと中国の歴史書に記されているそうです。

その当時は「日本」を「ヒノモト」や「ヤマト」と読んでいたと考えられています。

いつから「ニッポン」または「ニホン」と読むようになったのか定かではありませんが、奈良時代(710年~794年)ごろには「ニッポン」と読むようになり、室町時代(1336年~1573年)に入ってから「ニッポン」と「ニホン」というふたつの読み方になったのではないかと考えられています。

 

なぜ「日本」という国名になったのか、いつから使われているのか、明確になっていないことが多いのですね。

日本のことを英語で「NIPPON」や「NIHON」ではなく「JAPAN(ジャパン)」というのも不思議に思いませんか?

これは、マルコ・ポーロ(1254年~1324年)が世界について記録した「東方見聞録」の中で日本のことを「ZIPANG(ジパング)」と書いたことが由来だという説があります。

マルコ・ポーロは直接日本には来ておらず、中国人に日本のことを聞いて「東方見聞録」を書いたといわれており、中国人が「日本」を「じっぽん」と発音したのを「ジパング」と書き記したということです。

 

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