4月20日は「郵政記念日」です。
最近はSNSやメールのやり取りが増え、手紙を出すことは減ったという人が多いと思います。
しかし、インターネットが普及したのはここ20年程度のことです。
その昔は手紙はどのようにやり取りされていたのでしょうか?
今回は、郵政記念日や日本の郵便の歴史についてご紹介します。
郵政記念日とは?
「郵政(ゆうせい)」とは、郵便に関する行政のことで、郵便だけではなく、貯金や保険なども取り扱いも入ります。
「郵便(ゆうびん)」とは、郵便物を送り届ける制度のことです。
「郵政記念日」は明治4年(1871年)4月20日に郵便制度が始まったことにちなむ記念日です。
昭和9年(1934年)に当時、郵便や通信を管轄する官庁だった逓信省(ていしんしょう)が4月20日を「逓信記念日」に制定したのが始まりです。
そして、戦後の昭和25年(1950年)に「郵政記念日」と改称して記念行事が行われるようになり現在に至ります。
日本の郵便の歴史とは?
日本で最古の郵便(手紙)は、聖徳太子(574年~622年)が随へ送った
「日出処天子至書日没処天子無恙・・・」
「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没する処の天子に致す・・・」
という内容のものだと言われています。
大化の改新(645年)のころには「伝馬(てんま)」と呼ばれた馬で、手紙や物などを運びました。
そして、馬を乗り継ぐための施設や、宿泊施設などが整備されました。
鎌倉時代(1185年~1333年)になると、「飛脚(ひきゃく)」が武士の間で用いられるようになりました。
飛脚とは、金銭や手紙、物品などを運ぶ仕事に従事する人のことです。
現在なら歩くと2週間程度かかる東京~大阪間(約500km)を、飛脚は3日~4日で走ったといわれています。
飛脚はひとりで走っていたわけではなく、宿場と呼ばれる場所まで走り、10km程度で交代していたそうです。
江戸時代になると、幕府によって飛脚制度が整備され、手紙のやりとりは庶民の間でも頻繁に行われるようになりました。
庶民が利用するのが「町飛脚」
大名が利用するのが「大名飛脚」
幕府の文書を運ぶのが「継飛脚」
と呼ばれていました。
そして、明治時代(1868年~1912年)になると日本の郵便制度が始まりました。
世界で近代郵便制度を作ったのは1840年のイギリスですが、日本もイギリスの郵便制度を手本とし、明治4年(1871年)に前島密(まえじまひそか・明治の官僚)によって近代郵便制度が創設されました。
現在の郵便局に当たる郵便役所が東京、大阪、京都の3カ所に設置され、日本最初の郵便切手が発行されました。
「郵便」「切手」「葉書」などの名称を考えのも前島密だと言われています。
前島密は日本の郵便制度の基礎を作った功績から「郵便制度の父」と呼ばれ、1円切手の肖像になっています。
郵便制度が始まり、現在の郵便ポストに当たる「郵便箱」が設置されました。
しかし、見慣れない郵便箱という字を見て当時の人々は「垂便箱(たれべんばこ)」と読み間違いし、公衆便所と勘違いしたというエピソードが残っています。
当時の郵便箱は角柱型の黒塗りでした。後に丸型となり、現在のように赤色と定められたのは明治41年(1908年)からです。
郵便のシンボルマークである「〒」が生まれたのは明治20年(1887年)です。
由来は当時、郵便や通信を管轄する官庁であった逓信省(テイシンショウ)の頭の「テ」の字を図案化したものだそうです。
ちなみに「〒」の読み方は「郵便記号」または「郵便マーク」です。
郵便事業は平成19年(2007年)に民営化され、現在に至ります。
2025年郵政記念日のイベント情報
※下記は2024年の情報です。2025年は分かり次第更新いたします。
郵政記念日中央式典
郵政記念日には「郵政記念日中央式典」があり、勤続表彰が行われます。
郵政事業に永年勤続した人や郵政事業の発展に貢献した個人や団体の功労が称えられます。
令和6年(2024年)は、4月22日(月)に帝国ホテルで「第91回郵政記念日中央式典」が開催されました。
外部リンク:第91回郵政記念日中央式典
現在のように便利な道具がない時代、人や馬が目的地まで走って行っていたことに驚きますね。
途中で交代していたといっても、舗装されていない道路で山道もあったでしょうから、東京~大阪間を3日~4日で走るのはとても大変なことだったのでしょう。
郵政記念日には、郵便物がどのように運ばれていたのか思いを馳せるのも良いのではないでしょうか。
関連:日本はなぜ日本という国名になったの?なぜ英語でJAPANなの?その由来とは?
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