あなたは何人知っていますか?日本の十大発明家とその発明品一覧

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発明

 

「発明家」といえば、誰を思い出しますか?

世界的にみると、蓄音機や白熱電球を発明したトーマス・エジソンがとても有名ですし、日本人だと江戸時代にエレキテルを発明した平賀源内が有名ですよね。

では「日本の十大発明家」は誰なのかご存知ですか?

今回は、日本の十大発明家とその発明品を一覧にしてご紹介します。

 

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目次

日本の十大発明家とは?

明治18年(1885年)4月18日に現在の特許法に当たる、「専売特許条例」が公布されました。

そして、それから100年後の昭和60年(1985年)4月18日に「専売特許条例」公布から100周年を記念して、特許庁が歴史的な発明者の中から永久にその功績をたたえるのにふさわしい10人を「日本の十大発明家」として選定しました。

それではその10人の発明家と発明品を見ていきましょう!

 

日本の十大発明家とその発明品一覧

それでは日本の十大発明家とその発明品を見ていきましょう!

 

豊田佐吉(とよださきち) 特許第1195号 木製人力織機

織機(しょっき)とは糸を織物にする機械のことです。

豊田佐吉は、それまで両手で織っていた織機を片手で織れるように改良した「豊田式木製人力織機」を発明し、明治24年(1891年)に発明特許を取得しました。

この発明によって織物の品質が向上し、作業効率も4割~5割向上したそうです。

その後更に改良、開発を進め、明治36年(1903年)には自動織機の発明にも成功し、大正13年(1924年)には自動織機の特許はイギリスのブラット社によって100万円で買い取られました。

大正時代の1円は現代の4,000円といわれていますので、100万円だと4億円の価値があったと思われます。

豊田佐吉はその100万円を元手に息子の喜一郎と自動車制作部門を新設(後のトヨタ自動車工業株式会社)するなど、トヨタグループの創始者となりました。

 

御木本幸吉(みきもとこうきち) 特許第2670号 養殖真珠

真珠は、貝類の体内で形成されるもので、人工的に貝に真珠を作らせることは不可能と考えられていました。

しかし、御木本幸吉は明治26年(1893年)に、養殖したアコヤ貝の中に養殖真珠を作り出すことに成功し、明治29年(1896年)に特許を取得しました。

その後も研究を続け、完全な真円(完全な円)真珠の養殖法を確立し、明治41年(1908年)には特許を取得しました。

この発明がきっかけとなり、日本の真珠養殖業は世界的な産業として成長しました。

 

高峰譲吉(たかみねじょうきち) 特許第4785号 アドレナリン

副腎皮質ホルモンであるアドレナリンについては、世界各地で研究が行われていましたが、純粋な形で抽出することができていませんでした。

高峰譲吉は独創的な方法でアドレナリンを副腎から抽出し、結晶化することに成功し、純粋なアドレナリンの製法を発明し、明治34年(1901年)に特許を取得しました。

この発明は、ホルモンの最初の結晶化とされ、医療上なくてはならない業績として高く評価されています。

 

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池田菊苗(いけだきくなえ) 特許第14805号 グルタミン酸ナトリウム

明治40年(1907年)当時、基本味は甘味、塩味、酸味、苦味の4つしかなく「うま味」は認められていませんでした。

そんな中、池田博士は妻が買ってきた昆布の「うまい」と感じる味を、人工的に作れないか?と研究を始め、昆布だしのおいしさの正体はグルタミン酸であることを発見し、「うまい」と感じるおいしさの正体を「うま味」と名付けました。そして明治41年(1908年)7月25日に「味の素(うま味調味料)」の主成分であるグルタミン酸ナトリウムの製造法を確立しました。

「うま味」が基本味として世界的に認められたのは、平成12年(2000年)になってからです。

 

鈴木梅太郎(すずきうめたろう) 特許第20785号 ビタミンB1

明治39年(1906年)、日本では陸海軍の兵士に脚気(かっけ)が多く、それが原因で死亡する人も少なくありませんでした。

鈴木梅太郎は東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、その問題を解決するために研究をはじめ、明治43年(1910年)に脚気を治療するのに有効な成分が「アベリ酸(現在のビタミンB1)」であることを解明しました。

米ぬかから「アベリ酸」を分離することに成功した梅太郎は、この物質に「オリザニン」という名前をつけ、脚気の特効薬として広め、明治44年(1911年)に特許を取得しています。

しかし、東京帝国大学出身の医学者の中には脚気の原因はアベリ酸不足ではなく、感染症などが原因だと主張する人が多く、農学者である鈴木梅太郎は日本の医学界では認められませんでした。

当時、ビタミンの発見はノーベル賞を受賞できるほどのものでしたが、東京帝国大学の医学部長はノーベル賞の候補者を推薦する際、同じ日本人である鈴木梅太郎ではなく、イギリスのホプキンス(ビタミンが健康維持に必要だと発見)を推薦しました。

その結果、昭和4年(1929年)には、ホプキンスとオランダのエイクマン(ビタミン発見の道しるべとなった)がノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

さまざまな事情からノーベル賞は受賞できませんでしたが、アベリ酸が世界で最初に抽出されたビタミンであり、ビタミンの実用化に成功したのは鈴木梅太郎であることは変わりありません。

 

杉本京太(すぎもときょうた) 特許第27877号 邦文タイプライター

明治33年(1900年)ごろ、欧米諸国ではすでにタイプライターが登場していましたが、日本では邦文(和文)タイプライターの開発はされていませんでした。

欧米のタイプライターは26文字のアルファベットと、10文字の数字とそのほかの記号などで50文字前後のもので良かったのですが、日本語はひらがなやカタカナ、漢字などで最低でも2000文字は必要になるのでその開発は困難とされていました。

しかし、大正4年(1915年)杉本京太によって独創的な機構の邦文タイプライターが発明され、邦文による書類作成などの事務作業の能率化に大きく貢献しました。

1980年代以降、ワードプロセッサやパソコンの普及によって邦文タイプライターは次第に姿を消していきました。

 

本多光太郎(ほんだこうたろう) 特許第32234号 KS鋼

「KS鋼(KSこう)」とは、コバルト、タングステン、クロム、炭素を含む鉄の合金でできた人類初の人工磁石(磁石鋼)のことです。

磁石鋼はモータや発電機、電気機器、スピーカーなどに用いられており、私たちの日常生活に欠かせないものです。

第一次世界大戦(1914年~1918年)の時、日本は外国からの輸入制限を強いられ、磁石鋼の輸入が途絶えたため、自給しなければならなくなりました。

本多光太郎は、新しい磁石鋼の開発に取り組み、大正7年(1918年)に、従来のものと比べて3倍の抗磁力を持つ非常に強いKS鋼の発明をし、当時世界最強の磁石鋼として脚光を浴びました。

人工的に強力な磁石が作り出せることは、電機産業にはとても重要なことでした。

住友吉左衛門(すみともきちざえもん・現在の住友グループの前身、住友総本店店主)が研究費を寄付してくれたことから、頭文字をとって「KS鋼」と名付けたそうです。

 

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八木秀次(やぎひでつぐ) 特許第69115号 八木アンテナ

八木アンテナとは、家庭用屋外テレビアンテナのことで、正式には「八木・宇田アンテナ」と呼ばれています。

八木秀次は、助手を務めていた宇田新太郎とともに「短波長電波の発生」「短波長による固有波長の測定」などの論文を発表し、大正14年(1925年)に、その理論に基づいて八木アンテナの基本となる「電波指向方式」を発明して特許を取得します。

しかし、当時の日本政府や軍部はその有用性を認めることはありませんでした。

 

アメリカ・イギリスでは八木アンテナを電波探知機やレーダーへ応用し、第二次世界大戦で多大な戦果をあげました。

1942年、日本軍がシンガポールを占領した際、イギリス軍の電波探知機に八木アンテナが使われているのを知り、大きな衝撃を受けたと言われています。

また、第二次世界大戦中のミッドウェー海戦では、日本軍の接近をいち早く察知し奇襲を避け、八木アンテナを駆使して作戦を展開し、日本軍に大損害を与えたそうです。

ようやく八木アンテナの有用性に気づいた日本軍は直ちに研究を開始しましたが、そのまま終戦を迎えてしまいました。

 

戦争に負けた日本政府はこの発明を冷遇したそうです。

外国特許保有の財政支援もしなかったためその特許権は失われてしまいました。

そして、テレビが世界中に普及した時、テレビ放送の受信設備として、八木アンテナも全世界に普及しました。

もし、この特許を日本が保有していたのなら、膨大な特許料が日本に入り、日本の戦後復興は大いに助けられただろうといわれています。

 

丹羽保次郎(にわやすじろう) 特許第84722号 写真電送方式

写真電送方式とは、現在のファクシミリ(ファクス)のことです。

 

ファクシミリはイギリスのアレクサンダー・ベインが1843年に発明していますが、丹羽保次郎は日本独自の研究開発の必要性を感じて写真電送の研究に取り組み、昭和2年(1927年)にNE式写真電送装置(国産として初めてのファクシミリ)を発明しました。

 

この装置は、昭和3年(1928年)の昭和天皇即位大礼の写真電送に用いられ、外国製のファクシミリは数時間かかって電送するところをNE式写真電送装置はそれを上回る速度と精度での電送を成功させました。

昭和4年(1929年)には東京~伊東間で長距離無線写真電送の実験にも成功し、世界で認められるようになりました。

 

三島徳七(みしまとくしち) 特許第96371号 MK磁石鋼

「MK磁石鋼」とは、鉄、ニッケル、アルミニウムを主成分とする磁石鋼のことで、先述のKS鋼同様、磁石鋼は私たちの日常生活に欠かせないものです。

 

三島徳七は、磁石鋼の磁石の理論的な解明を進めている際、ニッケル、鉄、アルミニウムの合金が強い磁力を持つことを発見しました。

MK磁石鋼はKS鋼に比べると材料価格が安く、製造費用を抑えることができ、KS鋼の倍の保磁力があったそうです。

三島徳七は研究を進め、従来の磁石に比べ抗磁力が高く、安定度が優れたMK磁石鋼を発明し、昭和7年(1932年)に特許を取得しました。

現在、私たちが使っているパソコンのハードディスクなどにも用いられており、MK磁石鋼は電化社会の発展に大きく貢献しました。

 

MK磁石鋼という名前は、三島徳七の養家である三島家と、生家である善住(きすみ)家の頭文字をとっています。

 

 

日本の十大発明家、あなたは何人知っていましたか?

「うま味」や「アンテナ」のように、身近な発明もありますが、MK磁石鋼や木製人力織機のようにピンとこない発明もありますね。

しかし、現在の便利な生活のためには、どの発明も欠かせないものです。

こうしている間にも、多くの研究者が新しい発明をしているかもしれません。

研究者たちの日々の努力の結果、数年後、数十年後にはもっと良い世界になっているかもしれませんよ!

 

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