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「天の逆鉾」はいつ誰が刺した?坂本龍馬が引き抜いたという話は本当?

みなさんは「天の逆鉾」をご存知ですか?

「天の逆鉾」は宮崎県と鹿児島県の県境に位置する高千穂峰(たかちほのみね)の山頂に突き立てられているのですが、いつ、誰が、どのような目的で刺したのでしょうか?

また、幕末の志士である坂本龍馬が、引き抜いたという話は本当なのでしょうか?

今回は「天の逆鉾」について調べてみました。

 


「天の逆鉾」とは?

読み方は「あまのさかほこ」または「あめのさかほこ」です。

「天逆鉾」とも書き、ほかに、「金剛宝杵(こんごうほうしょ)」「天魔反戈(あまのまがえしのほこ)」などの呼び方もあります。



鉾


鉾(ほこ・矛とも書く)とは、幅広の剣状の穂先を持つ柄の長い武器です。

そして、「逆鉾」とは、鉾が逆さまという意味です。

鉾を地面に突き刺す場合、通常だと穂先の部分を地面に突き刺し、柄の部分が上になりますが「逆鉾」は柄の部分が地面に突き刺さり、穂先が上を向いているのです。


 

「天の逆鉾」は、宮崎県高原町の霧島東神社の社宝(しゃほう・神社の宝)であり、高千穂峰(標高1574m)の山頂に突き立てられています。


高千穂峰は過去に何度も噴火しているため、度重なる噴火の際、鉾が途中で折れてしまったそうです。

折れた穂先の部分は回収された後、薩摩(現在の鹿児島県)を領地としていた島津家に献上され、近くの神社に奉納されたそうですが現在は行方不明になっています。

現在、地中に残っている柄の部分は本物で、地上に出ている穂先の部分はレプリカといわれていますが、詳しいことはわかっていません。

 

「天の逆鉾」は、いつから存在しているの?

神話の時代から存在しているといわれていたり、奈良時代(710年~794年)には存在していたといわれていますが、詳細は不明です。

 

文献として登場するのは江戸時代(1603年~1868年)です。

神道家(しんとうか)である橘三喜(たちばなみつよし・1635年~1703年)の旅行記(1675年)に天の逆鉾のことが記されていることから、1675年には存在していたといわれています。

 

また他にも、江戸時代の医者である橘南谿(たちばななんけい・1753年~1805年)が記した旅行記「西遊記(せいゆうき・1795年)」にも「日本三奇(にほんさんき)」として紹介されており、遅くとも1795年には存在していたと考えられます。

いずれにしても、いつから存在していたのか定かではないのですね。



橘南谿


ちなみに「日本三奇」とは、3つの日本に存在する不思議な物・珍しい物のことです。

「天の逆鉾」のほかは、「石の寶殿(いしのほうでん)」「四口の神竈(よんくのしんかま)」のことで、いずれも誰がいつどのような目的で作ったのか定かではありません。

 

「石の寶殿」は、兵庫県高砂市の生石神社(おうしこじんじゃ)にご神体として祀(まつ)られている、水の上に浮いているように見える不思議な巨石のことです。

その大きさは幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m、重さは推定500トンを越えるそうです。

 

「四口の神竈」は宮城県塩竈(しおがま)市の御釜神社(おかまじんじゃ)に神器として安置されています。

同じ大きさの4つの竈(かま・釜のこと)に水がたまっており、水が干上がらない、溢れない、変事があると水の色が変わるなど多くの謎が残っています。

東日本大震災の際も水の色が変わったといわれています。

 

「天の逆鉾」刺したのは誰?

「天の逆鉾」を刺したのは誰なのかについても詳細は不明ですが、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が刺したという説があります。



天の沼矛

天の沼矛


日本神話に出てくる伊邪那伎(いざなき)と伊邪那美(いざなみ)は、日本の国土を産む際に「天の沼矛(あめのぬぼこ)」という矛を用いました。

神々が住む高天原(たかまがはら)で伊邪那伎と伊邪那美は国造りを命じられ、海水に天の沼矛を突き刺し、かき混ぜ、日本の国土を産んだといわれています。



大国主命

大国主命


その後、天の沼矛は、大国主命(おおくにぬしのみこと)に渡り、さらに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に渡ったそうです。

 

そして、瓊瓊杵尊が天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命を受け、高天原から現在の宮崎県高千穂へ降り立ったとき(天孫降臨)に国家の安寧(穏やかで安定していること)を願って、持っていた天の沼矛を山頂に刺したといわれています。



天孫降臨

天孫降臨


「天の沼矛」は別名を「天逆鉾(あまのさかほこ)」というため、高千穂にある「天の逆鉾」のことではないかといわれているのです。

しかし、この出来事は神話であることから詳細は不明あり、誰が刺したのか定かではありません。


坂本龍馬が引き抜いたという話は本当?

坂本龍馬(さかもとりょうま・1836年~1867年)は、1866年に京都の寺田屋で襲撃され怪我をしましたが、その際、西郷隆盛(さいごうたかもり・1828年~1877年)のすすめで、妻のお龍(おりょう・1841年~1906年)とともに薩摩の霧島を訪れ、湯治(とうじ・温泉で病気や傷を治すこと)をしたそうです。

これが日本で初めての新婚旅行だといわれており、温泉で傷を癒しながら、二人は霧島神宮を参拝し、その山頂にある天の逆鉾を見物するため高千穂峰を訪れました。

この時代、高千穂峰は女人禁制の山だったため、妻のお龍は男性の格好をして龍馬と一緒に山頂を目指したそうですよ。



坂本龍馬・お龍新婚旅行湯治碑


旅行の様子は、龍馬が姉である乙女に手紙で伝えており、天の逆鉾のスケッチなどとともに、「頑張って登ってきたら、鉾には予想外の滑稽な天狗の面があり、二人で笑いました。少し動かしたら簡単に動いたから、二人で天の逆鉾を引き抜いて、元通りに戻しました。」と書かれています。

この手紙は高知県桂浜にある坂本龍馬記念館に保管されています。



天狗の面


龍馬たちが訪れた当時、「天の逆鉾」の刃の部分は噴火によってすでに無く、柄の部分だけだったそうです。

この時の柄の部分は本物という説もあれば、龍馬が訪れる数百年前に誰かがレプリカを設置したという説もあり、真実はわかっていません。

周辺は立ち入り禁止ではなく、誰でも触れる状態だったのですが、神聖なものと考えられていたため誰も触らなかったといわれています。

現在「天の逆鉾」は霧島東神社の社宝(しゃほう・神社の宝)とされています。

周囲をチェーンで囲われ立ち入り禁止となっており、触れないようになっていますので、くれぐれもチェーンを乗り越えようとはしないでくださいね。

 

 

いかがでしたでしょうか?

いつ誰が刺したのか不明なのですね。

また、折れた穂先の部分がどこにあるのか、また、地中に埋まっている柄の部分が本物かどうかも定かではないのですね。

謎が多い「天の逆鉾」ですが、謎だからこそ神秘的ともいえますよね。

高千穂峰は標高が1,574mありますので、「天の逆鉾」を見たい方はきちんと登山の装備をして登りましょう。

麓にある高千穂河原ビジターセンターでは、天の逆鉾の模型や、山頂からの風景写真を見ることができますので、登山が難しい方はそちらを訪れてみてもいいですね。

 

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