木の年輪のような模様が特徴的なケーキ「バウムクーヘン」は、日本では、その模様が、
「年を重ねる」
「幸せを重ねる」
「長寿や繁栄」
を連想することから、結婚式やお祝いごとの引き出物として使われたり、慶事の贈答品として好まれているそうです。
そんな、多くの人に愛されるバウムクーヘンには「バウムクーヘンの日」という記念日があります。
今回は「バウムクーヘンの日」の由来や、バームクーヘンの意味と歴史について解説します。
バウムクーヘンの日の由来とは?
バウムクーヘンの日は毎年3月4日です。
日本で初めてバウムクーヘンを焼いて販売した日として、平成22年(2010年)に株式会社ユーハイムが制定しました。
バウムクーヘンの意味とは?
バウムクーヘンはドイツのケーキで、ドイツ語で「Baum(木)kuchen(ケーキ)」という意味があります。
中心のドーナツ状の穴と木の年輪のような模様が特長です。
バウムクーヘンは特殊な製法のため普通のオーブンでは作れず、専用のオーブンが必要です。
専用のオーブンには生地を巻きつけるための芯があり、その芯を回転させながらバーナーで焼くことでバウムクーヘンを焼き上げます。
芯にバターや小麦粉、砂糖、バニラ、卵などで作った生地を少量かけてバーナーで焼き、焼き色がついたら生地を薄く重ねてバーナーで焼くことを繰り返し、厚さ1~2mmの薄い層が10~20層程度重ねることで、木の年輪のような模様になるのです。
日本のバウムクーヘンの歴史
株式会社ユーハイムの創始者であるカール・ユーハイム(1886年~1945年)は、第一次世界大戦中に捕虜として日本へ連行されてきました。
広島の収容所に入ったユーハイムは、大正8年(1919年)3月4日に、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)で開催された捕虜の作品展示販売会において日本で初めてバウムクーヘンを焼いて販売をしました。
この時ユーハイムはバウムクーヘンを日本人向けにアレンジしたので、売れ行きは大変好評だったそうです。
1920年に捕虜から開放された後も日本を永住の地と決めたユーハイムは、妻子を日本に呼び寄せ、株式会社ユーハイムの前身となる「E・ユーハイム」を横浜に開店しました。
バウムクーヘンをはじめ、サンドケーキ、プラムケーキ、アップルパイなどが飛ぶように売れたそうです。
しかし、大正12年(1923年)に起きた関東大震災によって店は倒壊し、お店を失ってしまいます。
その後、ユーハイムは多額の借金をして、神戸に新しいお店「JUCHHEIM’S」を開店しました。
当時、神戸には多くの外国人が住んでいたため、大変賑わったそうです。
また、バウムクーヘンは外国人客だけではなく日本人にも好まれ、経営は順調でした。
ところが、第二次世界大戦が始まり、職人達は出征してしまい、さらに戦況悪化により、原材料の不足、営業困難に陥ってしまいました。
そんな中、ユーハイムは病に倒れ、第二次世界大戦終結直前の昭和20年(1945年)8月に他界してしまいます。
ユーハイムの妻(エリーゼ)も終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によってドイツに強制送還されてしまいました。
しかし、戦争から戻ったJUCHHEIM’Sの従業員が、昭和25年(1950年)に「株式会社ユーハイム商店」としてお店を再開しました。
昭和28年(1953年)にはドイツからユーハイムの妻のエリーゼを社長として迎え、昭和38年(1963年)に社名を「株式会社ユーハイム」に変更、現在に至ります。
各地のイベント情報
※下記は2024年の情報です。2025年は分かり次第更新いたします。
バウムクーヘン博覧会
日本全国47都道府県からご当地バウムクーヘンを集めたイベントです。
日:2024年2月28日(水)~3月5日(火)
時間:10:00~20:00(最終日は18時まで)
場所:兵庫県神戸市 神戸阪急本館9階
外部リンク:バウムクーヘン博覧会
バウムクーヘンは、本場ドイツでは日本ほど食べられていないのだそうですよ。
カール・ユーハイムが日本人好みにアレンジしたので、これほどまで愛されるお菓子になったのかもしれませんね。
カール・ユーハイムは、日本で生涯を終えましたが、妻のエリーゼも昭和46年(1971年)5月に神戸市で息を引き取りました。
現在は兵庫県芦屋市の芦屋市霊園にて夫婦で眠っています。
バウムクーヘンの日には、バウムクーヘンを日本に広めてくれたユーハイム夫妻のことを想いながら、美味しいバウムクーヘンをいただきたいですね!
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