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2月26日は脱出の日!由来となった歴史上の有名人とは?

      2019/02/13

一年間は365日、閏年なら366日ありますが、そのすべてになんらかの記念日が設定されています。

語呂合わせで日にちが決められた記念日もあれば、どうしてその日に決められたのかわからない記念日もあります。

今回、紹介する「脱出の日」は2月26日なのですが、なぜその日が選ばれて、どこから誰が脱出するのだろう?と疑問が浮かんできますよね。

今回は「脱出の日」について調べてみました!

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脱出の日の由来とは?

脱出の日の由来は、ナポレオン皇帝だといわれています。

ナポレオン・ボナパルト(1769年~1821年)はイタリア半島の西に位置するコルシカ島で生まれました。

フランス・パリの陸軍士官学校を優秀な成績で卒業後、軍人となったナポレオンは1796年のイタリア遠征でオーストリア軍に勝利しました。さらに1797年にカンポ・フォルミオ条約を結んで一連の戦いを終結し、北イタリアの領土を獲得、フランスに莫大な国益をもたらします。

大きな勝利をあげたナポレオンの名声は高まりました。

1799年、ナポレオンはブリュメールのクーデターでフランスの総裁政府(行政府のこと)を倒し、統領政府を立ち上げ、第一統領となります。さらに1804年には軍事政権を樹立し、皇帝となりました。

皇帝となったナポレオンは独裁的統治者となり、ヨーロッパの大半を支配下に置く大帝国(通称ナポレオン帝国)を築きあげました。

しかし、いつまでも成功し続けるわけではありません。

1812年、ロシア遠征で大敗を喫したナポレオンは、1814年に退位に追い込まれ、イタリア本土とコルシカ島(フランス名:コルス島)の間にある「エルバ島」に小領主として追放されてしまいます。


ナポレオンの後には、ルイ18世が皇帝となりますが民衆の支持を得られず、フランスは混乱してしまいます。

その混乱に乗じたのか、混乱するフランスの状況を見かねたのかどうか定かではありませんが、ナポレオンは1815年2月26日にエルバ島を脱出し、パリへと戻ったのです。

パリへ戻ったナポレオンは民衆から歓迎され、再び皇帝となりますが、わずか100日後にワーテルローの戦いで大敗してしまいます。

再び皇帝の座を追われたナポレオンは、今度は脱出が困難な南大西洋の孤島であるセントヘレナ島へ幽閉され、そこで一生を終えました。


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「脱出の日」が2月26日の理由

「脱出の日」が2月26日なのは、ナポレオンがエルバ島を脱出した日だからなのです。

しかし、この脱出の日、誰がいつ制定した記念日なのかは不明で、ナポレオンが生まれ育ったイタリアやフランスには「脱出の日」という記念日はなく、日本だけの記念日となっているようです。

 

 

なぜ2月26日が脱出の日なのかわかりましたね。

エルバ島からの脱出とはいっても、映画やドラマの脱出劇のように監視された中で隙をついて逃げ出す!というものではなかったそうです。

もともと投獄されていたわけではなく、小領主という立場もあったので自由に暮らしていたようですね。

脱出の際には、500人の部下を引き連れていたという話もありますし、エルバ島からパリへの道中も新聞に掲載されていたという話もあります。

堂々と脱出し、民衆の待つパリへ戻ったのかもしれませんね。

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