学ランとセーラー服の起源とは?学生服の歴史と変遷

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昔は、男子は学ラン、女子はセーラー服の制服が一般的でしたが、現在はブレザーの制服も多くなりましたね。

今回は、学ランとセーラー服の起源や、学生服の歴史と変遷について解説します。

 

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目次

学ランとセーラー服とは?

学ランとセーラー服は、学生服です。

学生服とは、中学校や高校などの生徒が着用する服のことで「制服」や「標準服」ともいいます。

男子の学ランと女子のセーラー服だけでなく、ブレザー、ジャンパースカートなど、学校で生徒が着用するものはすべて「学生服」といいます。

※私服や体操服は除きます。

 

学ランとは、男子が着用する学生服で、「詰襟(つめえり)」という場合もあります。

詰襟とは、首元までボタンやホックなどで閉めて着用するタイプの襟の洋服のことです。

「学ラン=学生服」と考える人がとても多いですが、

・学ランとは詰め襟を指します。

・学生服とは、学ランを含め、セーラー服、ブレザーなど制服全般を指します。

 

セーラー服は、女子が着用する学生服で、セーラーカラーと呼ばれる独特の形状をした大きな襟が特徴です。

学ランの起源とは?

学ランの起源は、明治19年(1886年)に東京帝国大学(現:東京大学)が陸軍の軍服をモデルに作った制服だといわれています。

「学ラン」という言葉が一般的に使われるようになったのも明治時代です。

「学ラン」と呼ばれるようになった理由は、当時、大学に通う人たちはエリート意識からか法学や医学など西洋学のことを「蘭学」と呼んでおり、「蘭学を学ぶ自分たちが着る物」ということで「蘭学」をひっくりかえして「学蘭=学ラン」になったといわれています。

ほかにも

江戸時代に洋服全般を「蘭服(らんふく)」と呼んでいたことから、学生が着る蘭服ということで、「学ラン」とよばれるようになったという説もあります。

和装の学生服

和装の学生服

学ランが導入された明治時代ですが、当時は和装が主流でした。

学ランは高価だったので、学生の多くは和装に学生帽をかぶっていたそうです。

広く導入されるのは昭和になってからです。

 

セーラー服の起源とは?

セーラー服の起源は、19世紀初頭のイギリス海軍の水兵の制服です。

「sailor(セーラー)」という英語が由来で、「船乗り」と言う意味があります。

イギリス海軍の制服としてデザインされたセーラー服を、他の国の海軍も制服として導入しました。

日本の旧海軍や現在の海上自衛隊でもセーラー服のデザインが取り入れられています。

セーラー服の襟が独特の形状で大きい理由は以下のように諸説あります。

 

●音を聞き取りやすくするため

船の上では海風が吹いているため船員同士の声を聞きとることが難しいので、大きな襟を立てて音を聞き取りやすくしていたという説。

 

●海に落ちたときのため

万が一、海に落ちたときに大きな襟は船の上から見つけやすいし、救助の際に引っ張り上げやすいという説。

 

●汚れを防ぐため

19世紀初頭は長髪をポマードで固めるヘアスタイルが流行っていましたが、船に乗っている間は髪を洗うことが難しく、制服が汚れないようにするために襟が大きくなったという説。

1846年には、セーラー服を子ども用にしたものをイギリスのエドワード皇太子(のちのエドワード7世)が着用し、その姿がかわいらしく大変評判となりました。

イギリスではセーラー服が子ども服として広まり、セーラー服に、男の子はズボン、女の子はスカートを着るのが定着し、世界的なブームとなりました。

そして、子ども服としてだけではなく、女性の洋服としても世界中で流行しました。

日本では、大正9年(1920年)に京都府の平安高等女学校(現:平安女学院)の制服として取り入れられました。

日本以外にも、タイや中国、ハワイなどでもセーラー服を制服にしている学校があります。

 

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学生服の歴史と変遷

学生服の歴史と変遷を見ていきましょう。

 

明治12年(1879年)

学習院で学ラン(詰襟)の制服が導入されました。

このころの学習院は、皇族や華族など特別な身分の子どもたちが通う学校でした。

 

大正9年(1920年)

京都府の平安高等女学校(現:平安女学院)でセーラー服が導入されました。

このセーラー服はワンピースで、腰のあたりをベルトで締めるタイプです。

 

大正10年(1921年)

福岡県の福岡女学院でセーラー服が導入されました。

このセーラー服は上下セパレートタイプです。

セーラー服とプリーツスカートで、日本のセーラー服のスタンダードとなり急速に広まりました。

 

昭和15年(1940年)

第二次世界大戦の最中に、男性は国民服、女性はもんぺの着用が義務付けられ、制服も男子は国民服、女子はセーラー服の上着ともんぺになりました。

国民服は戦時下の物資不足から衣服の簡素化をめざしたもので、男性は同じ服装に統一されました。

 

昭和25年(1950年)

全国の中学校や高校が制服として、男子は学ラン(詰襟)、女子はセーラー服を導入し、定着します。

セーラー服のほかに、ジャンパースカートの制服も登場します。

ジャンパースカートとは、胸当てのついたスカートで、袖のないエプロンのような見た目をしています。

 

1960年代後半

ブレザーの制服が登場します。

紺色無地の上下スーツタイプで、シンプルなデザインです。

最初に導入したのがどこの学校や、いつ導入したのかは不明です。

 

1970年代後半

漫画やドラマの影響もあり、学生服を改造したものが流行します。

男子は「短ラン」「長ラン」「ボンタン」など。

女子はセパレートタイプのセーラー服の上を短く、スカートは足首が隠れるほど長くするなど。

 

1980年代なかば

東京都内の私立女子校でブレザーにタータンチェックのスカートを組み合わせた制服が登場し、人気となります。

その後多くの学校でブレザーが導入されるようになりました。

 

1990年代

DCブランド制服が登場します。

DCブランドとは、Designer’s(デザイナーズ)とCharacter’s(キャラクターズ)の略で、ファッションデザイナーやファッション系企業が展開するデザイナーズブランドの総称です。

これまで紺色無地のブレザーが主流でしたが、学校の特色を出すために一流デザイナーが手掛けたり、赤や緑、キャメルなどカラーバリエーションも増えました。

 

1990年代後半

長野県の中学校で初めて、再生ペットボトル素材の制服が導入されました。

 

2000年代なかば

着心地はもちろん、ストレッチ素材、防臭効果、撥水効果、家庭で選択可能、ノーアイロンなど機能的な制服が主流になっていきました。

 

2010年代

生徒による人気投票で制服のデザインを決めるなど、生徒が決める時代になりました。

 

2020年代

スカートとスラックスどちらも選べるようにしたり、ブレザーの前合わせを男女兼用にしたり、ネクタイとリボンを選択制にするなど、制服も多様性を重視されるようになりました。

 

学ラン・セーラー服は現在どれぐらい着られている?

現在の学生服の着用比率はおおよそ以下の通りです。

 

中学生の場合

男子:学ラン55%・ブレザー45%

女子:セーラー服55%・ブレザー45%

 

高校生の場合

男子:学ラン40%・ブレザー50%・それ以外(私服など)10%

女子:セーラー服10%・ブレザー75%・それ以外(私服など)15%

 

中学生の制服は、ブレザーよりも学ラン・セーラー服がわずかに多いです。

しかし、高校生の制服になると学ランもセーラー服も少数派となり、セーラー服はわずか10%程度の学校しか採用していないようです。

 

学ラン・セーラー服が減ってきた理由

学ラン・セーラー服が減ってきた理由は定かではありませんが、以下のような理由があるようです。

・ブレザーの方が生徒たちに人気がある

・ブレザーはデザイン性があり学校の個性がでる

・ブレザーは男女問わず着用できる

・多様性やジェンダーレスを考慮するとブレザーの方がさまざまな組み合わせをしやすい

いかがでしたでしょうか?

昭和のころまでは男子は学ラン、女子はセーラー服が制服の定番でした。

しかしブレザーの登場によって学ランとセーラー服は減少傾向にあるようです。

さらに、個性を尊重するために制服ではなく私服の学校も増えています。

多様性の時代でもありますから、いつかは制服そのものがなくなるのかもしれませんね。

 

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