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輪王寺の強飯式の意味や由来とは?山盛りのご飯を食べるのはなぜ?

      2019/03/15

「強飯式」という行事をご存知ですか?

テレビなどで紹介されることがありますが、「もっと食べろ」とご飯を食べることを強要する人がいたり、山盛りのご飯を目の前にする人の映像を見てびっくりした人も多いかもしれません。

「強飯式」とはどのような行事なのでしょう?

今回は輪王寺で行われている「強飯式」について調べてみました。

 

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輪王寺の強飯式の意味とは?

「強飯式」の読み方は「ごうはんしき」です。

強飯式の語源は、この儀式の参加者の頂戴人(ちょうだいにん・御利益を得るためご飯を食べる人)が山伏に山盛りのご飯を食べることを強いられる(無理やり食べさせられる)ことが由来となっています。

輪王寺の「強飯式」は毎年4月2日に栃木県日光市の日光山輪王寺で執り行われる修験(しゅげん)道の儀式で、この儀式を行うことで、頂戴人は無病息災、商売繁盛、厄除けなどのとても大きなご利益をいただけるといわれています

修験道とは、山そのものを信仰の対象にした山岳信仰(さんがくしんこう)と仏教が合わさった日本独特の宗教で、山に籠って厳しい修行を行う僧侶を山伏(やまぶし)または修験者(しゅげんじゃ)といいます。

 

輪王寺の強飯式はどのように執り行われるの?

輪王寺の強飯式は

「三天合行供(さんてんごうぎょうく)・採灯大護摩供(さいとうだいごまく)」

●「強飯頂戴の儀(ごうはんちょうだいのぎ)」

●「がらまき」

の三部構成からなっています。


「三天合行供(さんてんごうぎょうく)・採灯大護摩供(さいとうだいごまく)」

儀式を執り行う僧侶・山伏・頂戴人の約20名が三仏堂(さんぶつどう・日光山輪王寺の本堂)に入り、1本のろうそくの灯りだけで読経をし、護摩(ごま)を焚きます(火を焚き祈ることで、災難を除きご利益をいただく)。

 

「強飯頂戴の儀(ごうはんちょうだいのぎ)」

「三天合行供・採灯大護摩供」が終わると堂内に明かりがつき、大きな盃になみなみと酒を注がれ、山伏が「飲み干せ」と責め立て、頂戴人が飲み干します。

次に、山盛りのご飯三升(約5㎏の重さ)が運び込まれ、商売繁盛や無病息災などを願う祈願文を読み上げると、山伏は「75杯残さず頂戴しろ」「75杯一粒たりとも残すな」「食え食え!」などと責め立てながら頂戴人の頭のところにご飯をもっていきます。

次に、日光の名物や珍味を盛った菜膳(さいぜん)が並べられ、頂戴人が「勘弁してくれ」とご飯を頭に載せてひれ伏すと儀式が終わります。

この儀式では山伏に「食べろ!」と責めらるだけで、実際にご飯を食べることはありません。また、頭に乗せる時に力だけで支えられない人には、僧侶が介添人として付いてくれるそうです。

強飯頂戴の儀をすることで、頂戴人は無病息災、商売繁盛、厄除けなどのとても大きなご利益をいただけます。

 

がらまき

強飯頂戴の儀が終わると、頂戴人たちが儀式でいただいた福を他の人々に分け与えるために、「宝槌(たからづち)」「福杓子(ふくしゃもじ)」等の縁起物を参拝者にまきます。


強飯式は山伏が頂戴人を責め立てる様子から「日光責め」とも呼ばれます。

江戸時代までは、頂戴人になれるのは十万石以上の大名に限られていました。

頂戴人になることで大きなご利益をいただけると考えられていたため、多くの大名が競って頂戴人になりたがったからです。

現在は誰でも申し込めますが12人しか頂戴人になれませんので、実際には団体や企業の役員など、社会的地位がある人が頂戴人になっているようです。

頂戴人は、しゃもじの形をしたお札と、福米(ふくまい)をいただくことができ、福米は持ち帰って米と一緒に炊いて家族と食べると、家族にも福を分けることができるそうです。

強飯式の見学は誰でも申し込みができますが、先着順で人数が限られています。

 

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輪王寺の強飯式の由来とは?山盛りのご飯を食べるのはなぜ?

奈良時代(710年~794年)の終わりごろ、日光の山々には勝道上人(しょうどうしょうにん・僧侶)をはじめとする多くの修行僧がいました。

その修行僧たちが、山中の修行場のご本尊(信仰の対象となる仏像や仏塔など)に供えたお供え物を山から持ち帰り、村の人々に分け与えたのが強飯式の始まりとされ、江戸時代(1603年~1868年)に現在のような形になったといわれています。

 

また、「強飯式」の起源は「そうめん地蔵」という昔ばなしだといわれています。

そうめん地蔵とは以下のようなお話です。

 

400年ほど前(安土桃山時代の終わり~江戸時代初期)、栃木県の氏家町堂原(現在の栃木県東部)で地蔵寺の住職が、殿様から「自分の代わりに日光へお参りに行くように」と頼まれ、日光へお参りに行きました。

その帰りのことです。お腹がすいた住職はあるお寺に立ち寄り「そうめんを一杯ご馳走してください」とお願いしたところ、その寺の坊主たちは山盛りのそうめんを運んできて「いっぱい食わせろと言ったのだから全部食え。残さず食え」と意地悪をし、住職は全部食べられるはずもなく泣いて謝りました。

しかし坊主たちは許してくれず、押さえつけられ無理やり食べさせられました。

そこへ、旅の僧侶が「そうめんをいっぱいご馳走してください」とやってきたので、坊主たちは住職よりももっと山盛りのそうめんを差し出しました。

ところが、旅の僧侶はぺろりとそうめんをたいらげ、驚いた坊主たちは日光中のそうめんを買い集めて差し出しましたが、旅の僧侶はこれもたいらげてしまいます。

そして、驚く坊主たちの前で、旅の僧侶は立派なお地蔵様に姿を変えました。

このお地蔵様は住職のお寺のお地蔵様で、住職を助けに来てくださったのです。

お地蔵様が住職を連れて帰った後、坊主たちの寺に「裏の谷にそうめんが流れている!」と村人が駆け込んできました。

坊主たちが行ってみると谷は流れるそうめんで真っ白になっていて、坊主たちの寺はそうめんに流されてしまいました。

坊主たちは自分たちが悪いことをしたと反省し、意地悪なことをしなくなったということです。

それ以来、この谷を「そうめん谷」といい、氏家のお地蔵様を「そうめん地蔵」と呼ぶようになったそうです。

 

その他の強飯式

●愛宕山の強飯式

江戸時代には愛宕山(東京都港区)でも毎年1月3日に強飯式が行われていました。

愛宕山には傾斜が急な「男坂」とゆるやかな「女坂」があり、毘沙門天の使いに扮した人が若い衆を従えて男坂を下り、円福寺に行きます。

円福寺では宴が催されており、僧侶の前には山盛りのご飯が並んでいるので、毘沙門天の使いは大きなしゃもじをドンドンと鳴らしながらご飯を食べることを強い、僧侶は指示に従って山盛りのご飯を食べたそうです。

江戸では有名な祭りでしたが現在は行われておりません。

 
●鹿沼市発光路の強飯式

鹿沼市発光路妙見神社で行われており、輪王寺の強飯式の流れをくむ行事です。

発光路妙見神社の祭り当番の受け渡し儀式として行われる行事で、毎年1月3日に行われ、山伏に扮した氏子が、新旧の祭り当番や氏子、招待客の人々に山盛りの高盛飯を強います。

強飯式では強力(ごうりき・山伏に従って力仕事をする人)が「責め棒」で氏子や招待客たちの首根を押さえて口上を述べます。

口上は氏子や招待客への感謝の言葉や要望で、強力が考えたもので、怖い表情に似合わないユーモラスなものもあり、観客の笑いを誘うそうです。

祭り当番とは、神社の祭りを担当する人のことで、氏子の間で1年間ごとに回っていきます。その当番が終わり、新しい当番へと引き継ぐ儀式です。

 



 

ご飯三升を食べるだけでも大変なのに、「75杯食べろ!」と責められるとは、考えるだけで恐ろしいことです。

しかし、実際に食べることはなく、儀式として責められているだけなのでご安心くださいね。

頂戴人が頭にご飯を載せて「勘弁してくれ」とひれ伏す姿は滑稽で、見学の人たちから笑いが起きるそうですので、恐ろしい儀式ではないことは伝わってきますよね。

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