「親の言うこど聞がね子はいねがー」
「泣く子はいねがー」
と言いながら、怖い鬼のお面をかぶり、包丁を手に持って暴れまわる「なまはげ」を、テレビのニュースなどで一度は見たことがあるのではないでしょうか?
「なまはげ」を見て泣きながら逃げ回る子どもや、あまりの恐怖にその場で固まってしまう子供もいますね。
「なまはげ」が本物の鬼ではないことをわかっている大人でも、包丁を振り回し暴れまわる姿を見たら怖くなるかもしれません。
今回は、そんな「なまはげ」について、いろいろ調べてみましょう。
秋田県のなまはげの由来とは?
なまはげは、秋田県の男鹿市、三種町、潟上市の一部で行われる伝統的な民俗行事で、昔は小正月(1月15日)に行われていましたが、現在は大晦日(12月31日)に行われています。
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なまはげが家に来ると、家主は正装して出迎え、家族が一年に犯した悪事を釈明したあと、酒などを振舞って送り返す行事です。
「男鹿のなまはげ」として、昭和53年(1978年)に国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
そして、平成30年(2018年)、地域の結びつきや世代を超えた交流を深める絆の役割を果たし伝承されてきたことが世界的に評価され、「男鹿のナマハゲ」を含む全国の来訪神行事10件が「来訪神:仮面・仮装の神々」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
なまはげは古くからある伝説や信仰などを受け継ぐ民間伝承のため、正確な由来や起源はわかっていませんが、いくつかの説が存在します。
漢の5匹の鬼が起源という説
漢(中国の朝廷)の武帝が不老不死の薬を探しに男鹿を訪れた際、5匹の鬼を使役していましたが、一年に一度だけ(この日が小正月といわれている)鬼は自由を与えられ、里で大暴れをしたことが起源となった説。
修験者が起源という説
男鹿の本山、真山(しんざん)は修験道の霊場で、時々修験者が里に下りて祈祷を行いました。
このときの修験者がものすごい形相であったことが起源になったという説。
異国の人々が起源という説
男鹿の海岸に異国の人々が漂流してきたとき、その姿や言語が村人には「鬼」のように見えたことが起源となった説など。
「なまはげ」という名前は、秋田県の方言がもとになっているそうです。
冬になると囲炉裏で暖を取りますが、長く暖を取ると手足を低温やけどをし、赤いかさぶたのようなものができます。
これを方言で「ナモミ」と言い、「ナモミができる=怠けて囲炉裏の前にばかりいる」ということで、怠け者を戒めるためにナモミを剥ぎ取っていたそうで、「ナモミ剥ぎ」が「なまはげ」になったといわれています。
また、「ナモミ剥ぎ」は新年を迎える祝福の意味もあり、子どもやその家に嫁いだばかりの女性が対象となり、怠け者を戒めるだけではなく災いを祓い祝福を与えるのが、なまはげの役目とされています。
このことからなまはげは「来訪神(らいほうしん・一年に一度人々の世界に来訪し、幸福をもたらすとされる神様)」ともいわれています。
包丁と桶の意味は?何を取り除くもの?
なまはげは、包丁と桶を持って家々を回ります。
この包丁は、ナモミを剥ぎ落とすためのものですが、それと同時に災いも払ってくれているそうです。
そして剥いだナモミを入れるものが桶だそうです。
とはいうものの、実際になまはげが家に来たからといって、本当にモナミを剥ぎ落とすことはありませんので心配しないでくださいね。
ここ数年で、なまはげが子どもたちに与える恐怖が虐待とされたり、なまはげの後継者がいなかったり、そもそもなまはげをもてなすのが面倒だといった理由から、行事そのものを行わない地域も増えているそうです。
伝統的な民俗行事が行われなくなるのは寂しいことですが、時の流れなのかもしれませんね。
大晦日に暴れまわるなまはげのニュースを見たら、自分自身の一年を振り返り、怠けていたな~と思ったらナモミを剥ぎ取られると想像してみるのもいいかもしれません。