【2025年】母の日はいつから日本に広まった?由来は森永製菓!なぜカーネーション?

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母の日

みなさんは、母の日がいつから日本に広まったのか、なぜカーネーションを贈るようになったのかご存知でしょうか?

カーネーションの色にも意味があるそうです。

また、日本に母の日を広めたのは森永製菓だったようですよ。

今回は母の日についてご紹介します。

 

 

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目次

2025年の母の日はいつ?

母の日は、5月の第2日曜日です。

2025年は5月11日(日)になります。

 

母の日の意味とは?

母の日にプレゼントを渡す子どもたち

 

母の日は「日頃の母の苦労をねぎらい、母に感謝を伝える日」です。

日本やアメリカ、ドイツなど多数の国では、5月の第2日曜日が母の日です。

 

しかし、世界中で起源が異なり、日付は様ざまです。

たとえば、ノルウェーでは2月の第2日曜日、フランスやスウェーデンでは5月の最終日曜日です。

 

日本の母の日の起源はアメリカですので、母の日がどのように始まったのかご紹介します。

アメリカの母の日の起源とは?

アンナ・ジャービス

アンナ・ジャービス

アメリカの母の日は、アンナ・ジャービスという女性によって始まりました。

アンナは自分の母親の死後、「母の日」を創設する運動を始めました。

アンナの母親であり社会活動家であったアン・ジャービスは1850年頃に、母子感染による乳児死亡率の低減を目的としたボランティア団体を作り、子どもの衛生状態の改善と、母親の病気治療を行いました。

また、貧しい人々や病人に医療や看護ケアを提供し、結核患者を援助しました。

南北戦争

南北戦争(1861年~1865年・アメリカの内戦)が始まったときには、敵味方関係なく病気や怪我をした兵士の看護し、多くの命を救ったそうです。

アン・ジャービスは平和や社会が良くなることを願い、特に母親を称える日を創設することを望んでいましたが、1905年に亡くなってしまいました。

その後、娘であるアンナは「生きている間に母へ感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と考え、母の追悼と母親を称える日の創設を人々に働きかけるため、母の命日に一番近い日曜日だった1908年5月の第2日曜日に教会で追悼会を開いたのです。

白いカーネーション

追悼会では生前母が好きだった白いカーネーションを祭壇に飾り、集まった人々全員に白いカーネーションを配り、母の日の重要性を伝えました。

ジョン・ワナメーカー

ジョン・ワナメーカー

アンナの母を想う行動は多くの人に感動を与え、デパート王と呼ばれた実業家ジョン・ワナメーカーの後援もあり、アンナの考え方はアメリカ全土に広がります。

これらの出来事がきっかけとなり、1910年にウエストバージニア州で母の日が認定されました。

ウッドロウ・ウィルソン大統領

ウッドロウ・ウィルソン大統領

そして、1914年5月9日には、ウッドロウ・ウィルソン大統領が「5月の第2日曜日を、全米の母親に敬意を表して、アメリカ市民が旗を掲げる日」とし、5月の第2日曜日が正式に「母の日」となったのです。

 

母の日はいつから日本に広まった?由来は森永製菓?

母の日は、明治時代(1868年~1912年)の末頃、アメリカから日本へ伝わりました。

キリスト教の行事として初めての母の日が行われたといわれています。

 

大正時代(1912年~1926年)には、キリスト教関係団体を中心に教会で「母の日」をお祝いしていたようです。

香淳皇后

香淳皇后

昭和6年(1931年)には、大日本連合婦人会が結成されたのを機に、香淳皇后(こうじゅんこうごう・昭和天皇の皇后)の誕生日である3月6日を母の日と定めましたが、母の日は定着しなかったようです。

その後、昭和11年(1936年)に森永製菓が各団体に協力を呼びかけ「母の日中央委員会」を設立し、母の日を日本各地に普及させる活動を始めます。

 

森永製菓のキャラメル

 

翌年昭和12年(1937年)には「母をたたえる歌」を募集し、5月8日(土)、9日(日)に、第1回「森永母の日大会」を豊島園で開催しました。

 

「母をたたえる歌」は反響が大きく、予想をはるかに超えた1万5千以上もの応募があったそうです。

古関裕而(こせきゆうじ・1909年~1989年、作曲家)が作曲し、レコード化されて市販もされました。

森永製菓では現在もレコードを大切に保管しているそうです。

残念ながら、歌詞をみつけることができませんでした。

古関裕而さん

古関裕而さん

昭和12年5月9日は5月の第2日曜日でした。

このとき、20万人ものお母さんたちが無料で招待され、招待券には豊島園の入場券引換券や、森永のお菓子引換券、福引券などがついており、園内では「母をたたえる式」が行われ、子どもたちと遊具に乗ったりゆっくりしたりと、楽しく過ごすお母さんたちでにぎわったそうです。

 

当時の母の日の写真と広告

 

その様子が新聞や雑誌で大きく取り上げられ、母の日は日本中へ広がったといわれています。

その後、「森永母の日大会」は日本全国の主要都市を舞台に毎年開催されるようになり、戦時中は中断されたものの、昭和22年に再開されました。

昭和22年(1947年)には、アメリカに倣って5月の第2日曜日が「母の日」として正式に制定されました。

 

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なぜカーネーション?色の意味とは?

母親にカーネーションを渡す女の子

 

それではなぜ母の日にはカーネーションを贈るのでしょうか?

それはアンナが追悼式の際に母の好きだった白いカーネーションを祭壇に飾ったことが、由来となっています。

そのため、お母さんが亡くなっている場合には白いカーネーションを贈ります。

また、キリスト教では、聖母マリアが我が子であるキリストが十字架にかけられ処刑される時に流した涙のあとから赤いカーネーションが咲いたといわれており、赤いカーネーションは母親と子供の愛情の象徴とされています。

そのため、母親が健在の場合は赤いカーネーションを贈るようになったといわれています。

 

赤いカーネーション

 

世界各地で母の日はありますが、その起源や日付が異なるのですね。

しかし、お母さんへ感謝の気持ちを伝えたい!という心は、どの国も変わらないのでしょう。

我が子が感謝の気持ちを伝えてくれるのを喜ばないお母さんはいないと思います。

みなさんの感謝の気持ちをしっかり伝えましょう!

2025年の母の日は、5月11日(日)です。

 

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