福岡、博多には魅力的なものがたくさんありますね!
博多ラーメンや辛子明太子、もつ鍋、うどんなどの食べ物はもちろんですが、博多を代表する博多祇園山笠や放生会などのお祭もあります。
中でも全国的に有名なお祭りが、ゴールデンウィークに開催される「博多どんたく」です。
今回は「博多どんたく」をご紹介します。
博多どんたくの「どんたく」の意味、「しゃもじ」や「お面」の意味などについて解説します。
しゃもじやお面をもらえるの場所も載せておきますね。
博多どんたくとは?
博多どんたくは、正式名称を「福岡市民の祭り 博多どんたく港祭り」といいます。
福岡県福岡市で毎年5月3日、4日に開催されます。
観客動員数は200万人を越え、国内最大級のお祭といわれています。
博多どんたくの源流は「博多松囃子(はかたまつばやし)」といわれています。
博多松囃子は、
「福禄寿(ふくろくじゅ)」
「大黒天(だいこくてん)」
「恵比須(えびす)」
の三福神が馬に乗り、稚児(祭りの衣装を着た子どもたち)が太鼓を叩いて歌い、博多の人々が町を練り歩き、行く先々で演芸を披露してお祝いをするお祭りです。
現在は博多どんたくの中核をなす一つのイベントになっており、博多どんたくはこの博多松囃子の出発で始まります。
博多松囃子の起源について定かではなく諸説あります。
貝原益軒(儒学者)が著した「筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)」には、
平清盛の長男、平重盛(794年~1185年)が、日本で最初の人口港である「袖の湊(そでのみなと)」を博多に造営した際、博多の人々が感謝の気持ちを表すために「博多松囃子」が始まったと伝えられています。
ほかに、室町時代(1336年~1573年)に京都で行われていた年頭に福を祝って行う松囃子の風習が、博多にも伝わったともいわれています。
博多松囃子の最古の記録は博多の豪商が記した「宗湛日記(そうたんにっき)」です。
1595年(安土桃山時代1573年~1603年)に筑前国(現在の福岡県)領主の小早川秀秋(こばやかわひであき)の居城である名島城で、博多の人々が松囃子を行い、新年を祝ったと記されています。
江戸時代(1603年~1868年)には、福岡城下の人々が藩主の黒田氏を表敬するために、居城である福岡城で正月15日の年賀行事として博多松囃子が行われていました。
明治時代(1868年~1912年)になると、博多松囃子は「金銭を浪費し、かつ文明開化の時代にそぐわない」という理由で禁止されてしまいます。
明治維新後、近代化を進めたい政府は、金銭を浪費する昔ながらの祭りを排除したいという意図があったのではないかと考えられています。
しかし、天長節(てんちょうせつ・天皇誕生日のこと)を祝うよう福岡県から通達があり、明治12年(1879年)には「博多松囃子」が「どんたく」と名前を変え、天長節を祝ったという資料が残っています。
その後、どんたくは日露戦争の勝利のお祝いや、大正天皇や昭和天皇の即位など国の祝事でも行われましたが、昭和13年(1938年)に一旦中止になりました。
そして、終戦後の昭和21年(1946年)に、「博多復興祭」としてが復活しました。
翌年の昭和22年(1947年)5月24日、25日に「博多どんたく」が開催され、3台の花電車と、仮設舞台が16箇所に設置され、現在の博多どんたくの形式が誕生しました。
花電車とは、路面電車に装飾を施したもので、華やかな装飾でどんたくを盛り上げます。
現在は「花自動車」で、自動車に装飾を施したものが福岡市内を走ります。
仮設舞台は、祭りの時にだけ設置される舞台の事で、現在は「演舞台」と呼ばれ様々なイベントが開催されます。
昭和24年(1949年)からは憲法記念日である5月3日、4日が開催日となり、「松囃子どんたく港祭り」という名称になりました。
そして、昭和37年(1962年)には「福岡市民の祭り振興会」が結成され「博多どんたく港祭り」という名称を改め、福岡市民のお祭りとして現在に至ります。
博多どんたくの「どんたく」の意味は?
「どんたく」とは、英語の「Sunday」にあたるオランダ語の「Zondag(ゾンターク・日曜日という意味)」が訛ったものです。
明治初期に使われるようになったといわれており、当時、曜日というものが普及していなかった日本では、「日曜日」ではなく「休日」を意味するようになったそうです。
なぜ「休日」を意味する「どんたく」が使われるようになったのかはわかりませんが「どんたくの日はどんな仕事でも絶対に休んで祭に参加するぞ!」という博多の人々の心意気を表したものだという説があるようです。
ですからこの日ばかりは、博多の街は大にぎわいで、人々は三味線を弾いたり、笛や太鼓を鳴らして街を練り歩きます。また、これらの行列のことを「通りもん」といいます。
しゃもじを打ち鳴らす意味とは?
博多どんたくで踊る人たちが打ち鳴らしているのは「しゃもじ」です。
しゃもじを使うようになったのは江戸時代と考えられており、それまでは人々は好きな格好をして好きなように踊りながら練り歩いていました。
庶民には笛や太鼓などを買うことが出来なかったので、楽器の代わりに身近にある「しゃもじ」を打ち鳴らすようになったという説があります。
また、食事の準備をしていた女性たちが、どんたくを観たくてたまらず、ついしゃもじを持ったまま駆け付けたという説もあります。
お面をつける意味とは?
博多どんたくで踊る人々がつけているお面を「にわか半面」といい、正体や身分を隠すためにつけるそうです。
「にわか半面」をつけて博多弁を使い、日常生活をおもしろおかしく表現したり、言葉遊びをして路上や宴席で行われる即興芝居を「博多にわか」といいます。
博多にわかは、江戸時代から伝わる民俗芸能であり、博多の人にとって馴染みがあり、親しみやすいことから博多どんたくに取り入れられたものと考えられています。
しゃもじやお面はどこでもらえるの?
しゃもじやお面は、数に限りがありますが、博多駅、天神地区、中洲・川端地区など、福岡市内の各所、演舞台周辺などで配布されます。
博多どんたくはパレードだけではなく、市内の広い範囲に約30箇所の演舞台が設置され、さまざまなイベントが行われます。
踊ったり歌ったり、芸能人が来たりとそれぞれの場所が盛り上がります。
無料のパンフレットも配付されていますので、要チェックですよ。
博多どんたくは毎年大変な人で賑わいます。
福岡市内のとても広い範囲で開催されるので、どこを観たいのか、なにをしたいのかを事前にある程度決めて、無料パンフレットをチェックしながら行動するとスムーズに動けるかもしれませんね。
博多どんたくのフィナーレは、市内各所で「総踊り」が開催され、どんたく参加者だけではなく観光客も一緒になって踊ることができますので、ぜひ参加してみてくださいね!
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