「般若心経」と言われてピンとこなくても、お葬式や法事の際にお坊さんが唱えるのを耳にしたことがあるかもしれません。
しかし、それを聞いて何を言っているのか意味を理解したり、自分で唱えることが出来る人は少ないのではないでしょうか?
そこで今回は般若心経の意味や唱えるとどのような効果があるのかついてわかりやすく解説します。
般若心経の意味とは?
般若心経の読み方は「はんにゃしんぎょう」です。
般若心経とは、大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の神髄(しんずい・本質のこと)を説いた経典です。
「大乗仏教」とは、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつで、自分ひとりの悟りのためではなく、すべての生き物たちを救いたいという考え方です。
唐の時代(618年~907年)、中国の僧侶であった玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・西遊記などで有名な三蔵法師のこと)は、仏典の研究のためには原典を学ぶ必要があると考え、インドへ旅立ち、多くの経典を持ち帰りました。
帰国した玄奘三蔵は、その後の生涯を持ち帰った経典のサンスクリット語を漢語に訳すことに捧げ、600巻ほどにまとめました。
そして、その中から大乗仏教の神髄とも言うべき部分を抜粋しまとめあげたのが「般若心経」といわれています。
般若心経の文字数は、本文だけなら266文字、経典のタイトルである「摩訶般若波羅蜜多心経」を加えると276文字になります。
般若心経の全文
般若心経の全文は以下のようになっています。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空
空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅
不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道
無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多 故心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実
不虚故 説般若波羅蜜多咒 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧莎訶
般若心経
般若心経の現代語訳(読み方と意味)
ではそれぞれの読み方とその意味を解説していきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
(まかはんにゃはらみたしんぎょう)
偉大なる彼岸に至る智慧についてのお経(般若心経の正式なタイトル)
※仏教では、今私たちがいる煩悩や迷いに満ちた世界を「此岸(しがん)」といいます。此岸にある者が修行をすることで煩悩や悩みの海を渡って辿り着く悟りの世界を「彼岸(ひがん)」といいます。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
(かんじざいぼさつ きょうじんはんにゃはらみたじ)
観音菩薩が、「自分が存在するとはどういうことなのか」という問いについて深く瞑想していた時
照見五蘊皆空 度一切苦厄
(しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく)
人間という存在を構成している五つの要素(色(形)・受(感覚)・想(知覚)・行(意思)・識(認識))がどれも実体を持たないことを見極め、あらゆる苦しみと災いを克服しました。
舎利子 色不異空 空不異色
(しゃりし しきふいくう くうふいしき)
ブッダの弟子であるシャーリプトラよ、色(形)があるものは実体はありませんが、実体はないのに色(形)があるもののように存在しています。
※たとえば、人間の体は永遠ではなく実体というものはありませんが、実体があるもののように存在しているということ
色即是空 空即是色
(しきそくぜくう くうそくぜしき)
したがって、色(形)があるものはすべて実体はありませんが、実体がないものはすべて色(形)があるものとして存在しているということです。
受想行識亦復如是
(じゅそうぎょうしきやくふにょぜ)
それは、色(形)以外の人間という存在を構成している要素、受(感覚)・想(知覚)・行(意思)・識(認識)の場合も全く同じことです。
舎利子 是諸法空相
(しゃりし ぜしょほうくうそう)
シャーリプトラよ、このようにあらゆる存在には実体がないのです。
不生不滅 不垢不浄 不増不減
(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
生じることもなければ、滅することもありません。
汚いとか、きれいとかいうこともありません。
増えることもなく、減ることもないのです。
是故空中 無色 無受想行識
(ぜこくうちゅう むしき むじゅうそうぎょうしき)
物事すべてには実体というものは存在しません。
形はなく、感覚・知覚・意思・認識もないのです。
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
(むげんにびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう)
目・耳・鼻・舌・体・心といった感覚器官と、それぞれの感覚器官に対応する、形・音・香・味・触覚・心の対象というものもないのです。
無眼界 乃至無意識界
(むげんかい ないしむいしきかい)
私たちは感覚器官で周囲の世界を感じ取りますが、私たちが理解できる世界とは自分の感覚器官が感じた世界であって、世界そのものを感じているわけではありません。
無無明 亦無無明尽
(むむみょう やくむむみょうじん)
迷いというものはなく、迷いがなくなることもないのです。
乃至無老死 亦無老死尽
(ないしむろうし やくむろうしじん)
老いることも死ぬこともなく、老いや死がなくなることもないのです。
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
(むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ)
苦しみもないし、苦しみをなくす方法もありません。
知ることもなければ、得ることもありません。
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙
(ぼだいさった えはんにゃはらみたこ しんむけいげ)
悟りを求める者は、彼岸に至る智慧によって、心には何の妨げもありません。
無罣礙故 無有恐怖
(むけいげこ むうくふ)
何の妨げもありませんから、恐怖も存在しません。
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
(おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん)
一切の誤った考え方を超越し、どのようなことにも揺らぐことのない心の境地に行きついたのです。
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみた とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
過去、現在、未来、多くの仏様がおり、彼岸に至る智慧を得た仏様たちは悟りを開くことができたのです。
故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒
(こちはんにゃはらみた ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)
したがって、彼岸に至る智慧はあらゆる人に平等にもたらされるこれ以上ない尊いものなのです。
能除一切苦 真実 不虚
(のうじょいっさいく しんじつ ふこ)
あらゆる苦しみを取り除くのですから、苦しみから逃れようとして苦しむことなどありません。
故説般若波羅蜜多咒 即説呪曰
(こせつはんにゃはらみたしゅ そくせつしゅわく)
ここで、彼岸に至る本質的な智慧に目覚める呪文。それは即ち
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧莎訶
(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)
往き往きて、彼岸に往き、彼岸に到達した者こそ悟りそのものである。幸あれ!
※この部分はサンスクリット語「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」の発音に近い漢字を当てています。
このままでは意味がわからず、悟りの成就を願う呪文であるといわれています。
般若心経
(はんにゃしんぎょう)
般若心経をここに終える。
唱えるとどのような効果があるの?
般若心経を唱えることで、般若心経のことを理解できるだけでなく、心身がリラックスしたり脳が活性化するなど、さまざまな効果があるといわれています。
自然と般若心経を理解できる
般若心経を何度も唱えることで、自然とその意味が理解できるようになるといわれています。
心身を落ち着かせる
一心に唱えることで、仏様が教えを説いてくださっているように感じ、心身が落ち着きます。
また、長時間集中することで悩み事やストレスから切り離され、リラックスできます。
功徳が積める
功徳(くどく)とは、人が行うべき行動、善行のことで、唱えることで功徳が積まれるといわれています。
脳が活性化される
難しい漢字を読むことで、長時間集中するので脳が活性化され、認知症予防や思考が冴えるなどの効果があります。
集中力や忍耐力が身につく
わずか300文字足らずの文字数ですが、すべて漢字です。
それらを唱える時には集中しなければなりませんし、最後まで続けるには忍耐力も必要です。
繰り返すことで自然と集中力や忍耐力が身につきます。
また、般若心経を唱えるだけではなく、「写経(しゃきょう)」をすることでも同じような効果が得られます。
写経とは、お経を書き写すことで、どのお経でも良いのですが般若心経が最も有名です。
般若心経がどういうものかわかりましたか?
できるだけわかりやすい現代語訳を掲載させていただきましたが、仏教の神髄ですから簡単に理解できるものではありません。
しかし、他のお経に比べると短く簡潔にまとめられた般若心経は、昔から人々の心の依りどころになってきました。
宗派によって解釈が異なることもありますので、ご自身の宗派ではどのように解釈されているのか調べてみるといいかもしれませんね。
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