歌舞伎役者といえば、誰を思い浮かべますか?
歌舞伎の舞台を観たことがなくても、ドラマやCMなどで活躍している歌舞伎役者はたくさんいらっしゃいますので、「〇〇さんなら知っているよ」と次々に名前が聞こえてきそうですね。
名前を聞くと「市川〇〇〇」や「尾上〇〇〇」など、同じような名前があることに気づくのではないでしょうか?
その名前によって歌舞伎の家柄や関係が見えてくるようです。
また名前をランク付けした場合の序列はどうなっているのでしょうか?
歌舞伎の家柄についてわかりやすく解説します。
歌舞伎とは?
歌舞伎の起源は、安土桃山時代(1573年~1603年)から江戸時代初期に、出雲大社の巫女(みこ)で、女性芸能者でもある「出雲阿国(いずものおくに)」が京都の四条河原で舞い踊った「念仏踊り」だといわれています。
念仏踊りは当時流行していた歌や風俗、奇抜な格好を取り入れたもので大流行したそうです。
しかし、出雲阿国は女性だったため、「風紀が乱れる」という理由で江戸幕府は女性が演じるのを禁止するようになり、現在のように男性が女性の役も演じるようになったそうです。
歌舞伎の語源は、奇抜・奇妙な格好や振る舞いを意味する「傾く(かぶく)」とされています。
歌舞伎の詳細ついては以下の記事を御覧ください。
歌舞伎の家柄の関係と違いとは?
歌舞伎役者が普段名乗っているのは、本名ではなく芸名です。
途中で芸名が変わることもあり、そのような場合は「襲名披露(しゅうめいひろう)」を行います。
例えば、現在活躍中の市川海老蔵さんは、
1985年に「七代目市川新之助」を襲名
2004年に「十一代目市川海老蔵」を襲名
2020年に「十三代目市川團十郎」を襲名
しました。
また、歌舞伎には「屋号(やごう)」というものがあります。
屋号とは、商家や農家などが苗字とは別につけた称号のことです。
例えば「井筒屋」や「紀伊国屋」など、お店の名前や会社名として使われていますよね。
歌舞伎の屋号は100を超えるそうですが、最初の屋号は、初代市川團十郎の「成田屋」といわれています。
初代市川團十郎は子宝に恵まれず、千葉県成田市にある成田山新勝寺に子宝祈願をしたところ、元禄元年(1688年)に男の子(二代目市川團十郎)を授かることができました。
成田山新勝寺のご本尊は不動明王(ふどうみょうおう)で、人々の煩悩を断ち、すべての人を救うとされ「お不動さま」と呼ばれて信仰をあつめています。
男の子は健康にすくすくと成長し、元禄8年(1695年)に親子で「兵根元曽我(つわものこんげんそが)」という、不動明王をテーマにした歌舞伎を演じました。
この舞台は大成功し、これを機に市川家は「成田屋」の屋号を使うようになりました。
基本的に一族や一門で同じ屋号を使いますので、屋号がそのまま家柄を表します。
家柄とは、先祖から受け継がれる格式や、その家の社会的評価のことです。
歌舞伎の世界では、屋号や家柄を引き継ぐための養子縁組や、婚姻などが行われており、その関係はとても複雑になっています。
家柄の違いは、以下の屋号をランク付けした場合の序列を御覧ください。
屋号をランク付けした場合の序列は?
屋号の明確な格付けのルールはありませんが、伝統ある屋号ほど格上とする傾向があります。
屋号の伝統だけではなく、役者の実力や人気も関係してくるため、ランク付けするのは難しいことだといわれていますが、屋号の最初とされる「成田屋」がランキング一位で、歌舞伎界では最上位とされ、それ以外ではランク付けは存在しないといわれています。
ここで、江戸時代から続く名門をいくつかご紹介します。
最上位
成田屋(なりたや)
市川團十郎、市川海老蔵 など
江戸時代から続く名門
音羽屋(おとわや)
尾上菊五郎、坂東彦三郎 など
初代尾上菊五郎の父「半平」が、京都東山の清水寺の近くで生まれたので、境内の「音羽の滝」にちなんで「音羽屋半平(おとわやはんぺい)」と名乗っていたことが由来といわれています。
高麗屋(こうらいや)
松本幸四郎、松本白鸚、市川染五郎 など
初代松本幸四郎が若い頃、江戸神田の「高麗屋」という商店で働いていたことが由来といわれています。
成田屋と師弟関係にあり、縁が深く、成田屋が跡継ぎに恵まれなかったときには高麗屋から養子を出しています。
七代目松本幸四郎の息子は成田屋へ養子として入り、十一代目市川團十郎になりました。
中村屋(なかむらや)
中村勘三郎、中村勘九郎 など
江戸三座(えどさんざ・江戸時代中期~後期に歌舞伎の興行をした三つの芝居小屋)の中で最も古い「中村座」が由来といわれています。
代々「中村座」の座元(支配人のこと)が「中村勘三郎」の名を受け継いでいましたが、明治時代に一度途絶えてしまい、昭和25年(1950年)に十七代目中村勘三郎を襲名する者が現れたことで「中村屋」と改めました。
大和屋(やまとや)
坂東玉三郎、坂東三津五郎 など
初代坂東三津五郎が養子に入った、初代坂東三八の実家が商売をしており、「大和屋」という屋号だったことが由来といわれています。
成駒屋(なりこまや)
中村歌右衛門、中村橋之助 など
四代目市川團十郎から「成駒柄」の着物を贈られたことに感謝した四代目中村歌右衛門が、それまでの屋号だった「加賀屋」を改め「成駒屋」にしたのが由来といわれています。
松嶋屋(まつしまや)
片岡孝太郎、片岡愛之助 など
屋号の由来は不明です。
松嶋屋は、関西を中心に活動をしています。
澤瀉屋(おもだかや)
市川猿之助、市川段四郎 など
澤瀉屋という屋号は、初代市川猿之助の生家が副業の薬屋で「澤瀉(おもだか)」という薬草を扱っていたことが由来です。
澤瀉屋は、明治になってできた新しい一門です。
海外の演劇の要素や現代風の演出を取り入れるなど、古典芸能である歌舞伎界おいて新風を吹き込むパイオニア的存在になっています。
ちなみに俳優の香川照之さんも澤瀉屋一門に所属しており、市川中車(九代目)を襲名しています。
歌舞伎の舞台では、主役級を演じるのは格が高い家柄の役者で、ほかは脇役を演じることが伝統となっています。
しかし、いくら格が高くても実力が伴わない場合は主役を演じることはできず、最近は役者の家柄ではなく、実力や人気を考慮して配役が決まることもあるようです。
歌舞伎の舞台では客席から「成田屋!」とか「中村屋!」という掛け声がかかります。
これを「大向う(大向こう、おおむこう)」といい、舞台の雰囲気を盛り上げるためにタイミングをみて屋号を呼び掛けるのです。
「役者さんの名前じゃないのに、なぜ成田屋なんだろう?」という疑問を抱く人もいたかもしれませんが、屋号を呼び掛けていたんですね。
歌舞伎の舞台を観る時は、大向こうの屋号にも耳を傾けると面白いかもしれませんね。
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