私たちが今住んでいるこの国の名前は「日本」ですよね。
では、どうして「日本」という国名になったのか考えたことはありますか?
また、英語で「Japan」というのもなぜそうなったのか不思議ではありませんか?
今回は、私たちが暮らす日本の国名の由来について解説します。
日本という国名になったのはいつごろ?
「日本」という国名は、7世紀から8世紀初頭ごろに使われるようになったと考えられています。
しかし、「この年の、この日から『日本』という国名にする」といった具体的な史料は残されていないため諸説あります。
646年の大化の改新のころから使われるようになったという説
江戸時代の国学者である本居宣長(もとおりのりなが・1730年~1801年)が、「大化の改新の頃には、『日本』と書いて『ひのもと』と読んでいたのではないか」という推測をしています。
689年の飛鳥浄御原令が施行されてから使われるようになったという説
天武天皇の時代(672年~686年)の飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)という法典の中に「日本」という国名が表記されていたといわれています。
しかし、現存していないため定かではありません。
701年の大宝律令が制定されてから使われるようになったという説
「令義解(りょうのぎげ・833年)」という書物の中に、701年に制定された「大宝律令(たいほうりつりょう)」の解説があります。
大宝律令とは、政治の基本法のことで、「律」は刑罰に関する規定、「令」は政治・経済などの行政に関する規定のことです。
その解説に「日本天皇」という記述があることから、大宝律令が制定(701年)されてからか、制定される前から「日本」という国名が使われていたと考えられています。
なぜ日本は日本という国名になったの?その由来とは?
それ以前の中国では、日本のことを「倭(わ)」と呼んでいました。
しかし、日本で漢字の知識が高まる中、「倭」という漢字には、
「おとろえる」
「従順」
「背が曲がって背の低い人」
など良い意味で使われておらず、国名にふさわしくないと考えるようになっていたようです。
そして、聖徳太子(574年~622年)が随(現在の中国)の皇帝に
『日出処天子至書日没処天子無恙・・・』
「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没する処の天子に致す・・・」
という内容の文書を送りました。
これは、日本を「日の出る国」、中国を「日が落ちる国」と表現し、中国皇帝にしか使用されていなかった「天子」という言葉を使うことで中国と対等の立場を求めたものだといわれています。
そして、この「日出処(日の出る国)」=「日の本(ひのもと)」が由来となって、「日本」という国名に変えたのではないかと中国の歴史書に記されているそうです。
なぜ「日本」という国名になったのか、いつから使われているのか、明確になっていないことが多いのですね。
日本はなぜ英語で「Japan」なの?
ところで、日本のことを英語で「NIPPON」や「NIHON」ではなく「JAPAN(ジャパン)」というのも不思議に思いませんか?
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これは、マルコ・ポーロ(1254年~1324年)がアジア諸国について記録した「東方見聞録」の中で日本のことを「ジパング(Zipangu または Cipangu)」と書いたことが由来だという説があります。
しかし、「ジパング」と「にほん」、全く発音が違いますよね。
これはなぜかというとと、マルコ・ポーロは直接日本には来ておらず、中国人に日本のことを聞いて「東方見聞録」を書いたからといわれています。
当時の中国の漢音(かんおん)という読み方で「日本」を「じっぽん」と発音したのを聞いてマルコポーロは「ジパング」を書き記したのではないかといわれているのです。
「日」は現在も「じつ」と発音することがありますが、漢音の読み方の名残だといわれています。
いずれにしてもジパングを語源とした「JAPAN」が海外で広まり定着したのですね。
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