日本には、47の都道府県があります。
「都」は東京都、「道」は北海道、「府」は大阪府と京都府、残りの43が「県」ですが、なぜ大阪府と京都府だけが「府」なのでしょう?
それにはどのような理由があるのでしょうか?
今回は大阪府と京都府の「府」についてわかりやすく解説します。
大阪府とは?
大阪府は、日本の近畿地方に位置する都道府県のひとつです。
府庁所在地は大阪市です。
京都府とは?
京都府は、日本の近畿地方に位置する都道府県のひとつです。
府庁所在地は京都市です。
大阪府と京都府はなぜ「県」ではなく「府」なの?その語源と由来とは?
江戸時代(1603年~1868年)までは、律令制によって日本は「五畿七道(ごきしちどう)」に地域が分かれていました。
律令制の「律」は刑法、「令」は行政法や訴訟法、民事法などのことで、律令制は律令に基づく政治体制のことをいいます。
五畿とは?
五畿とは、畿内ともいい、都(みやこ・現在の京都)の周辺の以下の5つ国のことです。
●山城の国(やましろのくに・現在の京都府南部)
●大和の国(やまとのくに・現在の奈良県)
●河内の国(かわちのくに・現在の大阪府南東部)
●和泉の国(いずみのくに・現在の大阪府南西部)
●摂津の国(せっつのくに・現在の大阪府北中部および兵庫県南東部)」
七道とは?
七道とはそれ以外の7つの地域を指しており、都から伸びる街道の名前にも使われています。
●東海道
●東山道
●北陸道
●山陰道
●山陽道
●南海道
●西海道
があり、それぞれの「道」には多くの「国」がありました。
例えば「東海道」には、
「尾張の国(おわりのくに・愛知県西部)」
「駿河の国(するがのくに・静岡県中部)」
「三河の国(みかわのくに・愛知県東部)」
などがありました。
江戸時代末期(1867年)に、大政奉還によって江戸幕府が政権を朝廷に返上した後、明治政府は、幕府が直接管理していた幕府直轄地のうち、奉行(命じられた職務を直接行う人)が支配していた土地などを「府」、代官(命じられた職務を代理で行う人)が支配していた土地などを「県」と呼ぶようになりました。
「府」という漢字には人や物の集まる場所、物事の中心などの意味があります。
古くから国にとって重要な役割のある機関には「府」という漢字が当てられていました。
そして、明治政府にとって重要な地域・奉行が支配していた地域を「府」、それ以外を「県」にしたのです。
最初は京都府と箱館府だけでしたが、次々に「府」が置かれるようになりました。
「府」になったのは以下の10の地域です。
●京都府
●箱館府(現在の北海道)
●大阪府
●長崎府
●東京府
●越後府(現在の新潟県)
●神奈川府
●奈良府
●甲斐府(現在の山梨県)
●度会府(現在の三重県)
しかし、神奈川府や箱館府のように短期間で「府」から「県」へ変わった地域もあり、この時期は地域の境界線や呼び方がめまぐるしく変化していたようです。
明治2年(1869年)に、「京都、東京、大阪以外は府と呼ばない」という内容の太政官布告(だじょうかんふこく・明治時代初期の法令)が発令されました。
京都は天皇が住まう場所であり、東京は行政の中心であり、大阪は経済の中心であると考え、他の地域と区別し、重要な地域だと位置づけたようです。
明治4年(1871年)に、明治政府は廃藩置県を行います。
廃藩置県とは、それまで261あった「藩」の地方統治を廃止し、府県を置くことで中央集権体制にしたものです。
この頃はまだ「東京都」は「東京府」でした。
また、「北海道」は「箱館県」「根室県」「札幌県」という3つの県にわかれていたので、日本は「府」と「県」しかありませんでした。
その後、昭和18年(1943年)に「東京府」と「東京市」が合併して「東京都」が誕生しました。
そして、昭和22年(1947年)に「北海道」が誕生(それ以前は「北海道庁」で地域呼称として北海道と呼ばれていました。)しました。
その結果、現在の47都道府県となり、「府」は大阪府と京都府の2つになったのです。
大阪府と京都府がなぜ「県」ではなく「府」なのかわかりましたね。
「大阪府」「京都府」と呼ばれるようになった明治時代には、他の地域よりも重要な場所として考えられていたのですね。
現在は、「都」「道」「府」「県」は対等な立場ですし、天皇陛下は京都ではなく東京に住んでおられますので、「大阪府」と「京都府」が他の地域よりも重要な場所という意識はほとんどないのかもしれません。
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