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北海道はなぜ「県」ではなく「道」なの?その意味と由来とは?

      2019/10/11

日本には47の都道府県があり、ほとんどの地域が「県」なのですが、北海道は「道」ですよね。

普段はあまり気にしていないかもしれませんが、改めて考えてみると不思議ではありませんか?

なぜ「北海県」ではなく「北海道」なのか意味や由来をご存知ですか?

今回は、なぜ北海「道」と呼ばれるかについて調べてみました。

 


北海道とは?

北海道は日本の北部に位置する島で、日本列島を構成する主要4島のひとつです。

主要4島は、北海道、本州、四国、九州のことで、北海道の道庁所在地は札幌市です。


北海道はなぜ「県」ではなく「道」なのか?その意味と由来とは?

江戸時代(1603年~1868年)までは、現在の函館のあたりが松前藩という日本の領土であり、それよりも北はアイヌ民族が住む「蝦夷地(えぞち)」といわれ、外国という認識でした。

 

外国という認識だった蝦夷地が、なぜ日本の領土になったのでしょう?

 

北海道の北には、現在のロシアがあります。

ロシアが領土を広げようと、シベリアや北方四島へ進出を始め、日本の国土に迫ってくることに危機感を覚えた明治政府が、蝦夷地を急遽、日本の領土であると定めました。

そして、蝦夷開拓使や屯田兵を蝦夷地へ送り、領有権を主張したのです。

蝦夷開拓使(えぞかいたくし)とは、蝦夷地開拓のために明治2年(1869年)から明治15年(1882年)まで置かれた官庁のことで、屯田兵(とんでんへい)とは、北海道の警備や開拓にあたった兵士や部隊のことです。

 

こうして蝦夷地は日本の国土として取り込まれ、明治2年(1869年)から北海道と呼ばれるようになりました。

北海道の名付け親は松浦武四郎(まつうらたけしろう)という人です。

 


 

江戸時代末期から明治にかけての探検家で、浮世絵師でもあったそうです。

松浦武四郎は、6回に渡って蝦夷地を探検し、蝦夷地の風土や文化を記録し、そこに住むアイヌ民族と交流を深めました。

当時は未開の土地だった蝦夷地ですが、松浦武四郎はアイヌ民族の協力を得て地名や言い伝えなどさまざまなことを聞き取り、調査記録としてまとめました。

そして、人々から「蝦夷通」と知られるほど蝦夷地に関する知識が豊富であることから、明治政府の一員となり蝦夷開拓使の役人に抜擢されました。

 

それではなぜ「北海道」という名前が付けられたのでしょうか?それには2つの説があるようです。

 

ひとつ目の説は、松浦武四郎が蝦夷地に名前を命名する際、

●日高見道(ひたかみどう)

●北加伊道(きたかいどう)

●海北道(かいほくどう)

●海島道(かいとうどう)

●東北道(とうほくどう)

●千島道(ちしまどう)

の6つの候補があったそうなのですが、最終的に「北加伊道」と「海北道」を折衷して「北海道(ほっかいどう)」と命名したといわれています。

 

 

またふたつ目の説は、松浦武四郎が「五畿七道(ごきしちどう)」に倣って命名したという説です。

「道」という呼び方は、古代日本の律令制(律令における統治制度のこと。律令の律は刑法、令は行政法や訴訟法、民事法など)における、地方行政区画のことで、江戸時代まで日本は「五畿七道(ごきしちどう)」に分けられていました。

 

五畿とは、都(みやこ・現在の京都)に近い

●山城の国(やましろのくに)

●大和の国(やまとのくに)

●河内の国(かわちのくに)

●和泉の国(いずみのくに)

●摂津の国(せっつのくに)のことで、

 

七道とはそれ以外の

●東海道

●東山道

●北陸道

●山陰道

●山陽道

●南海道

●西海道

の7つの地域を指しており、都から伸びる街道の名前にも使われています。

 

それぞれの「道」には多くの「国」がありました。

例えば「東海道」には「尾張の国(おわりのくに)」や「駿河の国(するがのくに)」「三河の国(みかわのくに)」などがありました。

 

そして、明治2年(1869年)、明治政府が北海道を8つめの道として新設し、「五畿八道」となったのですが、その際、松浦武四郎が8つ目の道を「五畿七道」に倣って「北海道」と命名したといわれています。

 


北海道にも「県」があった?

「北海道」にも、「県」が存在した時期がありました。

明治4年(1871年)に明治政府が廃藩置県を行います。

廃藩置県とは、それまで261あった「藩」の地方統治を廃止し、府県を置くことで中央集権体制にしたものです。

このとき北海道も他の地域と同じように函館府(のちに函館県になる)、根室県、札幌県という三つの「県」を置き統治体制を整えようとしました。

 

しかし、もともと「藩」として藩主が統治していたほかの地域とは異なり、アイヌ民族の住んでいた土地ではほかの地域と同様に統治することが難しく、三つの県に分けるのではなく、全体をひとつの地方機関としてまとめて管轄したほうが良いということになり、明治19年(1886年)に「北海道庁」が設置され、北海道はひとつの行政区域となったのです。

 

北海道庁が設置されるまで「北海道」は「東海道」などと同じように複数の国をまとめた地域を表す「道」のひとつでしたが、北海道庁が設置され行政区域となったことで、神奈川県や青森県などと同様に、「北海道庁」という名の地方行政官庁となりました。

 

そして、昭和22年(1947年)に施行された地方自治法により、各自治体の呼称はそのままに「都・道・府・県」がすべて同格として扱われるようになり、地方自治体としての「北海道庁」は「北海道」となり、「道」という名称が残ったのです。

 

 

もともと北海道はアイヌ民族が住んでいる土地で、外国という認識だったのですね。

日本に取り込まれてからも、アイヌ民族の文化や生活は守られ、北海道の地名の多くはアイヌ語に漢字を当てているのだそうです。

そのため、北海道の地名はほかの地域に比べると難読地名が多いのですが、アイヌ語や意味を調べるとその土地のことを表現していることがわかってとても興味深いですよ。

たとえば「札幌(さっぽろ)」はアイヌ語で「サットポロ」といい、「乾燥した広大な土地」という意味があるそうですよ。

 



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