みなさんは、千羽鶴を折ったことはありますか?
入院しているお友達のためにクラスメイトと一緒に折ったり、部活動で良い成績を残せるよう願って仲間たちと折ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
千羽の鶴を折るということは、そもそもどういう意味があるのでしょう?
今回は、折り紙の起源や歴史、千羽鶴や折り鶴を折る意味についてわかりやすく解説します。
折り紙の起源と歴史とは?
折り紙の起源は中国説やスペイン説などあり、いずれも明確な説というものはなく、日本の折り紙は日本独自で発達したものと考えられています。
また、19世紀のヨーロッパでも独自の折り紙の伝統があったといわれ、日本の開国とともにヨーロッパと日本の折り紙が融合し、現在に至ったという説もあります。
いずれにしても現在、欧米をはじめ多くの国で「origami」という言葉が通用するほど、日本語の「折り紙」は世界に浸透しています。
日本では平安時代(794年~1185年ごろ)に折り紙が始まったといわれますが、その明確な根拠となるものはないそうです。
しかし、「折り紙」という言葉は平安時代から使われていました。
それは、現在のように紙で動植物を作って遊ぶものではなく、横長の紙を横に二つ折りにし、折り目を下にして手紙や目録を書いた文書の形式の一つを「折り紙」と言いました。
そして、江戸時代(1603年~1868年)になると、美術品や刀剣などの鑑定書にこの折り紙が使われるようになり「折り紙付き」という言葉が生まれました。
江戸時代には折り鶴の本が出版されており、明治時代(1868年~1912年)以降になると複雑で独創的な作品も作られるようになりました。
「折り紙」を現在のような意味で使うようになったのは昭和(1926年~1989年)になってからといわれています。
それまでは、
「折据(おりすえ)」
「折方(おりかた)」
「折りもの」
という言い方だったそうです。
千羽鶴や折り鶴の意味とは?
千羽鶴や折り鶴は、病気平癒やさまざまな願掛け、平和や非核のシンボルとして作ることが多いです。
日本では古くから「鶴は縁起の良い鳥」といわれていました。
「鶴は千年亀は万年」といわれるように長寿の象徴とされ、折り鶴を作るたびに寿命が延びると考えられており、江戸時代に庶民の間で折り鶴を作ることが流行ったそうです。
また、折り鶴を千羽作って糸に通してまとめたものを「千羽鶴(せんばづる)」といい「千羽折ると願いが叶う」といわれています。
なぜ千羽なのか?という疑問に関しては、
「鶴は千年といわれているから」
「千=数が多い=縁起が良いと考えられているから」
など言われていますが、はっきりとした由来はわからないそうです。
千羽鶴が平和や非核の象徴となったのは、広島平和記念公園にある「原爆の子の像」になっている「佐々木禎子(ささきさだこ)さん」が由来といわれています。
禎子さんは2歳の時に広島の原爆投下で被爆し、12歳で急性白血病と診断されました。
「鶴を千羽折ると願いが叶う」という言い伝えがあることから、薬の包み紙などを利用して1300羽以上の鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後に亡くなりました。
その後、貞子さんの同級生たちの活動によって、国内外から多くの募金がよせられ「原爆の子の像」が作られ、折り鶴は平和のシンボルになりました。
今では、世界中から毎年10トンもの千羽鶴が送られ、原爆の子の像の周りに手向けられます。
折り紙は、多くの日本人が子どものころから慣れ親しんだ玩具のひとつですね。
今では「origami」という言葉が世界でも通用するというのですから、日本人として誇らしいことです。
外国人観光客を迎える宿泊施設などでは、枕元に折り鶴を置いたり、鶴の折り方を教えて一緒に作って、記念に持って帰ってもらうなどのおもてなしもしているそうですよ。
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