さつまいもは、秋の味覚の代表的なものですよね。
焼き芋、天ぷら、煮物、スイーツなどなど、甘くてほくほくしているさつまいもはいろいろな調理法で楽しむことができます。
そんなさつまいもの歴史とはどのようなものでしょうか?
また、「さつまいもの日」とはどのような記念日なのでしょうか?
今回は日本のさつまいも歴史や「さつまいもの日」の由来についてご紹介します!
さつまいもの歴史
さつまいもは、メキシコを中心とする南米が原産です。
紀元前800年~1000年ごろには栽培されていたと考えられています。
15世紀の終わりごろに、コロンブス(1451年~1506年、探検家)がアメリカからヨーロッパへ持ち帰りましたが、気候があわなかったためあまり広まりませんでした。
そのため、アフリカやインドなど暖かい地域に持ち込まれ、世界中に広まっていきました。
その後、スペイン人やポルトガル人によって東南アジアへ持ち込まれ、中国へ伝わり、1600年ごろに中国から日本の琉球(りゅうきゅう・現在の沖縄県)に伝わりました。
条件の良くない土壌でもよく育つさつまいもを薩摩(さつま・現在の鹿児島県)でも栽培しようと考えた薩摩藩の前田利右衛門(まえだりえもん・不明~1719年)が、1705年にさつまいもを持ち帰り、栽培を始めました。
さつまいもは、もともと中国の呼び名と同じく「かんしょ」と呼ばれたり、中国から来たものだから「唐芋(からいも)」と呼ばれていましたが、薩摩に伝わった時に、「さつまいも」と呼ばれるようになりました。
薩摩藩ではさつまいもを領内から持ち出すことを禁止していましたが、1700年ごろに伊予(いよ・現在の愛媛県)や対馬(つしま・長崎県の離島)にこっそり持ち込まれ、栽培が始まりました。
1732年の享保の大飢饉で西日本が深刻な食糧不足に陥り多くの人が餓死しますが、さつまいもを栽培していた地域では餓死者が出ず、さつまいもは飢饉に強い食べ物として日本中に知られることになりました。
そして、江戸幕府の青木昆陽(あおきこんよう・1698年~1769年、儒学者、蘭学者)がさつまいもを普及させようと江戸へ取り寄せ、東日本にも広まっていきました。
江戸に近い川越藩(現在の埼玉県川越市)と、周辺の村(現在の所沢市、狭山市、新座市など)でもさつまいもの栽培が盛んに行われるようになり、品質がよく最高級品とされ、「川越いも」と呼ばれるようになります。
川越から江戸までは距離があり、陸路でさつまいもを運ぶのは大変でしたが、江戸と川越は新河岸川(しんがしがわ)で繋がっていたので船で運ぶことができ、川越はさつまいもの大産地になっていきました。
品質が良く、江戸への流通量が多かったことで、1830年ごろの「諸国名物番付(しょこくめいぶつばんづけ)」という書物には、川越はさつまいもの代表産地と記載され、有名になりました。
「さつまいもの日」はなぜ10月13日?その由来とは?
「さつまいもの日」は、昭和62年(1987年)に埼玉県川越市の「川越いも友の会」が制定しました。
なぜ10月13日なのかというと、さつまいもの旬が10月であることと、さつまいもの美味しさを褒める「栗よりうまい十三里」という言葉が由来になっています。
「栗よりうまい十三里」の「十三里(およそ52㎞)」は、江戸から川越までの距離です。
川越のさつまいもがとてもおいしかったことから「十三里」という異名がつけられたそうです。
「栗よりうまい十三里」は、「栗よりもおいしい川越のさつまいも」という意味になりますね。
また、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」という掛け言葉にもなっています。
さつまいもは、もともと「八里半(はちりはん)」という異名で呼ばれていました。
これは、江戸時代に京都の焼き芋屋さんが看板に「八里半」と書いたことが由来となっています。
なぜ「八里半」かというと、焼き芋が栗の味に似ていたことから「栗(九里)にはやや及ばない」という意味だったそうです。
さつまいもといえば鹿児島が思いくかびますが、埼玉県川越市の団体が「さつまいもの日」を制定したのですね!
川越では、さつまいもチップスやジェラート、ソフトクリーム、芋けんぴ、お団子、どら焼きなど、さつまいもを使ったスイーツが数多く販売されており、食べ歩きも楽しめますよ。
10月13日には、秋の味覚であるさつまいもを使った料理をご家庭で作って味わうのも良いですね。
さつまいもの日のイベントは特にありませんが、この時期は各地で芋ほりを楽しめますよ!
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