「天満宮」といえば、学問の神様として有名ですよね。
受験生の頃や、受験生が身近にいる時など、合格祈願のために参拝したという人も多いと思います。
日本中にたくさんの天満宮がありますが、どこの天満宮にも梅の木があることに気づきましたか?
今回は、なぜ天満宮には梅があるのか、太宰府天満宮の飛梅伝説についてご紹介します。
「天満宮」とは?
「天満宮(てんまんぐう)」とは、学問の神である菅原道真(すがわらみちざね・845年~903年)を御祭神(ごさいじん・祀られている神様)とする神社のことです。
「天神社(てんじんしゃ)」とも呼ばれます。
全国に約12,000社あるとされ、京都府の北野天満宮と福岡県の太宰府天満宮が総本社です。
平安時代(794年~1185年)の貴族であり、優れた学者だった道真は、仕事がとてもできたので、異例のスピードで出世していました。
そのことを良く思わなかった人たちによって京(現在の京都府)から太宰府(現在の福岡県)へ左遷され、903年に亡くなってしまいます。
道真が亡くなった後、天変地異が相次ぎ、左遷に関わったとされる人々が次々に亡くなったため、道真の祟りだと恐れられました。
そして919年、道真の祟りを鎮めるために、道真の墓所だった場所に神社を作ったのが太宰府天満宮のはじまりです。
その後も祟りは収まらなかったため、947年に京都に北野天満宮を建立し、それ以降、大災害が起こるたびに日本各地に道真を信仰する神社が建立されたといわれています。
「天満」という名前は、道真の神号(しんごう・神の称号、神格化されてからの呼び名)である「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」が由来といわれています。
「道真の怨霊が神となり、それが天に満ちた」という意味があるそうです。
「大自在天神」は仏教の「シヴァ神」のことで、破壊の神といわれています。
道真の神号に「大自在天」があるのは、道真の力とシヴァ神の力が習合(神仏の一部が混同または同一視されること)されたものだからといわれています。
最初は道真の祟りを鎮めるために建立された「天満宮」ですが、道真が優れた学者であったことから、現在は「学問の神様」「受験の神様」として信仰を集めています。
天満宮に梅があるのはなぜ?
天満宮に梅があるのは、菅原道真が梅をこよなく愛していたからだといわれています。
道真は5歳の時に梅の花の歌を詠んでいます。
「梅の花 紅の花にも 似たるかな 阿呼がほほにも つけたくぞある」
阿呼(あこ)とは道真の幼少期の名前で、
「梅の花の色は、紅の色に似ている。わたしの頬にもつけてみたい」
という意味です。
子どものころから梅が好きだったといわれ、自宅周辺にもたくさんの梅の木を自分で植えていたそうです。
太宰府天満宮の飛梅(とびうめ)伝説とは?
幼少期から梅をこよなく愛し、歌を詠んだり自宅に梅の木を植えていた道真は、太宰府へ左遷され、京を去る前に自宅の梅の木に対して歌を詠みました。
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
東風(こち)とは、東から西に吹く風のことで、日本では春に吹きます。
「あるじ(主)」とは、梅の木の主人である道真のことです。
「春風が吹いたら、その香りを京から太宰府まで届けておくれ、梅の花よ。主人がいなくても春を忘れてはいけないよ」という意味です。
ほかに、「春風が吹いたら、香しく美しい花を咲かせておくれ、梅の花よ。主人がいなくても春に咲くことを忘れてはいけないよ」という解釈もあります。
この歌を聴いた梅の木が、慕っていた道真が太宰府に到着した日、一夜のうちに京から太宰府へ飛んで来たというのが「飛梅伝説」です。
京から太宰府へ飛んで来た梅の木はそのまま根付き、現在も太宰府天満宮で御神木として大切にされています。
天満宮に梅がたくさん植えられているのは、道真公が梅を愛していたからなのですね。
梅の花の季節になると、日本各地の天満宮は梅の香りに包まれますので、道真公もきっと喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。
飛梅は、太宰府天満宮の御本殿に向かって右側にあり、柵で囲われ「飛梅」という札もありますので、すぐにわかります。
太宰府天満宮へ参拝をする際には、樹齢1000年以上といわれる「飛梅」もご覧くださいね!
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