禅や禅問答と聞くとどのようなことを思い浮かべるでしょうか?
普段はあまり接することのない禅や禅問答の世界とはどのようなものなのでしょうか?
今回は禅や禅問答の意味や由来、その歴史についてご紹介します。
禅の意味や由来とは?
禅の読み方は「ぜん」です。
語源はサンスクリット語の「静かに考える」という意味の「dhyana」 に由来します。
dhyanaという発音を漢字で表記した「禅那(ぜんな)」の略が「禅」であるといわれています。
禅とは、インドの釈迦(ゴーダマ・シッダールダ)を開祖とする仏教の二大流派のひとつである大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の一派の禅宗(ぜんしゅう)のことです。
大乗仏教とは、自分ひとりの悟りのためではなく、すべての生き物たちを救いたいという考え方です。
因みにもう一方の小乗仏教は、自己一身の救いのみを目ざすものとする大乗仏教側から見た批判的な意味をもつ呼称です。
禅宗は、教典を重視せず、主に坐禅を重んじ、姿勢を正して座り、邪念を払い精神統一をし、悟りの境地を得ることで、自己の仏性を自覚することを目的とします。
禅宗はインド人仏教僧である達磨(だるま)を開祖とし、中国から日本に伝えられました。
鎌倉時代に道元によって曹洞宗(そうとうしゅう)が、栄西によって臨済宗(りんざいしゅう)が伝えられ、江戸時代に明の隠元が黄檗宗(おうばくしゅう)を開きました。
禅は日本に伝わり仏教の一派でとしてだけではなく、日本文化全体に大きな影響を与えました。
茶道、書道、弓道、剣道などが禅の影響を強く受けているといわれています。
謙虚に自分を抑え、ひとつのことに専念して一事を極め、高い境地に達することを良しとしています。
禅問答ってなに?
禅問答は、普段の生活で使う場合は「わけのわからない問答」や「答えのない問答」などを指します。
禅宗での禅問答は禅僧(ぜんそう・禅宗の僧侶のこと)が悟りを開くために行う修行の一種です。
その際、禅の精神を究明するため与えられるなぞなぞのようなものを「公案(こうあん)」といいます。
公案とは以下のようなものです。
馬祖が弟子の百丈と歩いていると、野原から野鴨の一群が飛び去っていった。
それを見た馬祖が、百丈に尋ねた。
「あれは何だ」
「野鴨です」
「どこへ飛んでいったのか」
「わかりません。ただ飛んでいったのみです」
答えを聞いた馬祖は、いきなり百丈の鼻を強くつまみあげた。
「痛い!」
「なんだ、飛び去ったというが、野鴨はここにいるではないか」
百丈は悟りを開いた。-碧巌録-
出典:斉藤啓一のホームページ
その答えは論理的思考では決して解けないような矛盾や不合理なもので、「正解」はないといわれています。
固定観念や、自分という枠組みを捨て、論理の壁を破った時に悟りが開かれ、その答えがわかると言われています。
そして、その答えがどのようなものであっても、その修行者が悟りを開いたと思われれば、その解答は「正解」になるのです。
大事なのは答えそのものではなく、その答えががどのような心境から導き出されたかということなのです。
禅と禅問答がどういうものなのか、なんとなくですが、わかったような気がしますね。
人生には様々な問題や悩みが立ちはだかりますが、そのとき、答えはひとつではありません。
自分の価値観だけではなく、人の意見も聞きながら、いろいろ悩みます。
悩めば悩むほど矛盾があったり、不合理なことに気づいたりします。
より良い答えを導き出すために行動したり、考えたりすることも禅の修行と言えるのかもしれません。
関連:「だるま」の意味や由来とは?なぜ赤い色なの?選挙などで目を入れるのはなぜ?右と左どちらから?
関連:「僧侶」「住職」「和尚」「お坊さん」の意味と違いとは?
コメント