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福助人形の由来とは?モデルがいたって本当?

      2016/01/31

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幸福を招く、縁起がいい、といわれる福助(ふくすけ)人形をご存知ですか?

裃(かみしも・和服の正装のひとつ)をつけて正座しておじぎをしているちょんまげ頭の男性の人形で、頭が大きく童顔なのが特徴です。

今回は、福助人形の由来について調べて行きたいと思います。

また、実在のモデルがいたそうなのですが、どんな人なのでしょうか?

 

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福助人形の由来とモデルとは?

 福助人形は、江戸時代(1603年~1868年)の中期ごろに作られ始めたといわれています。

その由来や、モデルが誰なのかという話には諸説あるようです。

それではひとつずつ見ていきましょう。


 一番有力な説

農家の息子として生まれた佐太郎がモデルというものです。

佐太郎は、成人してからも身長が二尺(約60cm)ほどしかなく、頭が大きかったそうです。

その姿から、見世物(みせもの・普段見られない珍しい物や品をみせる場所)に出たところ、江戸で大評判となり、佐太郎という名前から福助という名前に変えると、名前が福々しくて縁起が良いとますます評判になりました。

福助と名付けた理由は不具者(身体障害者) から来ており不具助、さらに福助になったんだそうです。

見世物の見物人の中にいた武士の子どもが「福助を遊び相手にしてほしい」とせがみ、福助はその武士に召し抱えられました。

その後、武士の家は幸運が続き、福助はとても大事にされ、武士の世話で結婚もしました。

結婚後、福助は自分の容姿を模した像を作り売りに出し、福助の死後、流行したそうです。

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京都の呉服屋主人がモデルという説

京都の呉服屋大文字の主人は、身長が低く、頭が大きかったのですが、とても働き者で店はとても繁盛していました。

貧しい人へのほどこしも忘れず、人々はこの主人にあやかろうと人形を作って毎日祈るようになったことから、福助人形が生まれたといわれています。

  

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もぐさ屋の番頭がモデルという説

最後に、もぐさ屋(もぐさ=お灸に使う草。ヨモギから作られたもの)の番頭という説があります。

滋賀県にある伊吹山のふもとにある宿場に、もぐさ屋の「亀屋」がありました。

そこの番頭に福助という人がいて、とても正直者で家訓を守り、裃を着け扇子を手放さず、道行くお客さんを手招きしてもぐさを勧めていました。

お客さんにはおべっかを言わず、感謝の心を表し真心で対応をしていたので商売はとても繁盛します。

そのため、亀屋の主人は福助をとても大事にし、この話が京都にも広まり、伏見人形屋が「福を招く縁起物」として、福助の姿を模した人形を作り売り出したといわれています。

 

いずれにしても、福助人形は「商売繁盛」「千客万来」「出世開運」「福徳招来」「長寿」「幸福」などを招く縁起の良い人形とされています。

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福助のモデルとなった人は、どの説をみても人々に大事にされる人物だったようですので、福助人形には「こんな人になりたい」という気持ちも込められているのかもしれませんね。

現在は、福助人形を会社のロゴに使っている足袋や下着のメーカーがあります。

また、北海道のテレビ局では番組の中で福助をイメージキャラクターとして使っているようです。

会社やテレビ局でも大事な存在として扱われているなんて、福助人形のモデルになった人もきっと喜んでいるのではないでしょうか。

 

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