花火の掛け声、どうして「たまや」「かぎや」なの?由来や意味とは?

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夜空を彩る花火を眺めていると歓声が上がりますが、歓声のなかに

「た~まや~!」

「か~ぎや~!」

という掛け声が混じっているのを聞いたことはありませんか?

この「たまや」と「かぎや」とは、一体なんのことなのでしょうか?

今回は、花火の歴史や「たまや」「かぎや」の由来や意味について解説します。

 

 

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目次

花火の歴史とは?

 花火の元となる火薬は、紀元前3世紀の古代中国で発明されたといわれています。

古代中国の秦の始皇帝(しこうてい・在位は紀元前221年~紀元前210年)は、万里の長城を築いたときに情報伝達のため狼煙(のろし)を上げました。

そのとき、硝石(しょうせき・硝酸カリウム)を原料とした火薬が用いられたといわれています。

 

 

花火が誕生したのは、6世紀ごろといわれています。

この当時の花火は現在のロケット花火のようなもので、相手を威嚇したり、打ち込んで火事を起こさせる武器として用いられたと考えられており、楽しむものではなはなかったようです。

その後、中国で花火がどのように発展したのか定かではありません。

 

ヨーロッパに火薬と花火が伝わったのは13世紀です。

16世紀のイギリスで花火の技術が進歩したといわれており、王室の結婚式や戴冠式の際に花火を楽しんだという記録が残っています。

 

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日本には、1543年に鉄砲伝来とともに火薬とその製法技術が伝わり、日本中に広まっていきました。

そのとき日本でも花火が作られたという説がありますが、作られるようになった時期は定かではありません。

日本で一番初めに花火を見たのは徳川家康だといわれています。

徳川家康の一代記である「武徳編年集成(ぶとくへんねんしゅうせい)」

駿府城の政治などが記録された「駿府政治録(すんぷせいじろく)」

には、1613年に徳川家康が駿府城で、イギリスの使者によって、筒から火の粉が吹き出るような形状の花火を見せられたという記録が残っています。

 

 

またそれ以前、仙台藩の伊達政宗が一番初めに見たとする説もあります。

伊達政宗の生活の様子などを記した「伊達天正日記(だててんしょうにっき)」には、1589年に伊達政宗が米沢城で外国人による花火を楽しんだと記されています。

大友宗麟

大友宗麟

また、伊達政宗よりもさらに前に大友宗麟(おおともそうりん・戦国時代の武将、キリシタン大名)が花火を見たという説もあります。

ポルトガル人のイエズス会宣教師ルイス・フロイスの「フロイス日本史」「イエズス会日本年報」には、1582年に大分県臼杵市で大友宗麟がキリスト教布教のためのイベントとして花火を用い、多くの人々が花火見物したという記録が残っています。

 

このように、最初に花火を見た人に関しては諸説あり定かではありません。

 

戦国時代が終わり、江戸時代になると、戦がなくなったため、武器のために火薬を扱っていた人々が花火を専門に扱う花火師へと転身し、日本で花火が発展していきました。

 

 

そして、享保18年(1733年)には日本最初の花火大会が、両国で行われました。

この前年の享保17年(1732年)に西日本で大飢饉があり、江戸ではコレラが流行ったため多くの人が亡くなりました。

これらの犠牲者を弔い供養するための花火大会だったそうです。

この花火大会が現在も続く「隅田川花火大会」の原型だといわれています。

外部リンク:隅田川花火大会公式サイト

 

江戸時代までの花火は、現在のように色とりどりなものではなく橙色(だいだいいろ)だけだったそうです。

明治時代(1868年~1912年)になると諸外国からさまざまな薬品が輸入され、花火の色が多彩になり、日本の花火は飛躍的に発展し、現在に至ります。

 

  

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「たまや」「かぎや」の由来と意味は?

「たまや」を漢字で書くと「玉屋」

「かぎや」を漢字で書くと「鍵屋」

 

これらは、江戸時代に有名だった花火師の屋号(店名のようなもの)です。

 

鍵屋とは?

 鍵屋は、1659年に初代弥兵衛(やへえ)が創業した花火屋で、現在15代目が引き継いでいます。

鍵屋はお稲荷さんを信仰しており、お稲荷さんの狐が、一方は鍵を、もう一方は玉を咥えていたことから、鍵をとって屋号を「鍵屋」としたそうです。

 

 

「玉鍵信仰(たまかぎしんこう)」に由来していると考えられており、「玉と鍵」は、「天と地」や「陰と陽」を表し、万物の創世の理を表しているといわれています。

お稲荷さんの狐は、鍵と玉の他に巻物と稲穂を咥えているものあります。

 

関連:伏見稲荷大社の狐がくわえているものは何?その意味とは?

 

玉屋とは?

 玉屋は、八代目鍵屋の番頭だった清七が、1810年に暖簾分けをして立ち上げた花火屋です。

お稲荷さんのもう一方の狐が玉を咥えていたことから、屋号を「玉屋」としたそうです。

鍵屋と玉屋は、両国橋を挟んで下流を鍵屋が、上流を玉屋が受け持って花火を打ち上げていたそうです。

そして、花火見物の観客たちが「より美しく素晴らしい」と思った方の花火を賞賛する意味を込めて、「た~まや~!」「か~ぎや~!」と屋号を呼ぶようになりました。

暖簾分けをした玉屋の花火は、鍵屋よりも人気があり、圧倒的に支持されたことから、現在でも花火の掛け声は「たまや」が多いといわれています。

しかし、1843年に玉屋から出火して大火事を起こしてしまい、江戸を追放され、わずか一代で玉屋は家名断絶してしまいました。

 

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 「たまや」も「かぎや」も、江戸時代の屋号だったことがわかりましたね。

玉屋はわずか一代で家名断絶となってしまいましたが、江戸を追放されたあとも江戸の町民たちに語り継がれ、花火の掛け声として残っています。

鍵屋は現在15代目が引き継いでおり、今後もたくさんの場所で美しい花火を打ち上げてくれることでしょう。

花火を見に行くときは、江戸時代に競い合った玉屋と鍵屋のことを想像しながら見るのもいいかもしれませんね。

 

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