海外旅行をしたとき、右側通行の車を見て、なぜ日本と違うのだろうと不思議に思ったことはありませんか?
日本では、車やバイクなどの車両は左側通行ですが、世界中がそうなっているわけではありません。
むしろ、世界では右側通行の国が多いのです。
日本が左側通行になったのはいつからなのでしょうか?
また、なぜ日本が左側通行になったのか、その理由についてわかりやすく解説します。
また、海外の左側通行と右側通行の国についてもご紹介します。
日本が左側通行になったのはいつから?その理由とは?
日本が左側通行になった理由については諸説あります。
刀の影響
江戸時代(1603年~1868年)にはすでに左側通行が定着していたという説があります。
当時、武士たちは左の腰に刀を差していました。
もしも右側通行だった場合、すれ違うときに刀の鞘(さや)が当たってしまう可能性があります。
わざとではなくても、鞘が当たったことが原因で争いになりかねないため、それを避けるために左側通行になったといわれています。
イギリスの影響
明治時代(1868年~1912年)になって、明治政府は支援してくれるイギリスを手本として日本の近代化を進めました。
道路整備や交通についてもイギリスを手本としており、左側通行になったという説があります。
左側通行が日本で初めて明文化されたのは、明治14年(1881年)の警察長通達とされています。
そこには「車馬(しゃば・車と馬)や人力車が行き合った場合には左に避けること」とあり、左側通行の原点と考えられています。
明治33年(1900年)には、
「諸車牛馬は車馬道の左側を、その設けのない道は中央を通行すること、そして、歩行者はみだりに車馬道を通行しないこと」
という「道路取締規則」を警視庁が規定し、左側通行がルールとして規定されました。
この規則を定めたのは、内務官僚の松井茂(まついしげる・1866年~1945年)ですが、左側通行になった経緯として「特に根拠はなく、なんとなく左側通行が良いと思った」からという理由で決定したそうです。
そのため、「刀の影響」や「イギリスの影響」は後付けの俗説だともいわれています。
右側通行の国が多い理由
現在は多くの国が右側通行ですが、もともとは左側通行の国が多かったそうです。
古代ローマの遺跡には、荷車が通った轍(わだち)の跡があり、その跡から左側通行だったことが判明しています。
左側通行の最古の証とされており、考古学の専門家は、古代ギリシャやエジプトも左側通行だったのではないか、と分析しているそうです。
左側通行の国が多かった理由は、世界の9割ほどが右利きだからだといわれています。
右利きよりも左利きが多い民族は世界中どこにも存在しておらず、右利きの人が右手に武器を持つために、右側の空間が広くなるようにするのが自然なことだったようです。
右側の空間が広ければ、右手で武器を使い、身を守ることができますが、右側の空間が狭く左側が広い場合は、武器を自由自在に使うことができません。
右側の空間を広くするため、多くの国で左側通行になったと考えられています。
では、なぜ現代は右側通行が多いのでしょうか?その理由についても諸説あります。
ナポレオンの影響
フランスの軍人であり、皇帝だったナポレオン・ボナパルト(1769年~1821年・フランスの軍人)が左利きだったからという説があります。
ナポレオンは自身が左利きだったので、左利きの人が武器を使う時に有利に動けるよう左側の空間を広くするため、右側通行にしたといわれています。
先ほどの説明とは逆になりますね。
その結果、ナポレオンが征服した国は右側通行になっていき、左側通行のままの国はフランスに征服されなかった国と、イギリスの植民地だった国が多いといわれています。
馬車の影響
馬車の御者(ぎょしゃ・運転手のこと)は右手で鞭を持ち、馬を操ります。
そして、6頭や8頭の馬を操る大型の荷馬車の場合、すべての馬を操るには真ん中から鞭を振るえるように左側に御者が座ります。
そのため、左側通行だと対向車との間隔を取ることが難しくなるので右側通行になったといわれています。
また、もしも御者が馬車の右側に座った場合、左側通行だと対向車と鞭がからむ可能性があるのも、右側通行になった理由のひとつといわれています。
銃の影響
銃は右の腰に携帯するのが一般的です。
左側通行の場合はすれ違う時に銃が当たってしまう可能性があるため、余計な争いを避けるために右側通行になったといわれています。
日本の武士が左の腰に刀を差していたから左側通行になったのと逆の理由ですね。
T型フォードの影響
T型フォードとは、アメリカのフォード・モーター社が開発・製造した自動車のことで、1908年に発売が開始されました。
当時は、右側通行の国でも右ハンドルの車が主流だったそうですが、フォード・モーター社は左ハンドルの車である「T型フォード」を開発しました。
その理由として、右側通行の場合、前の車を左側から追い越ししなければなりませんが、右ハンドルだと前方を見通しづらいからです。
また、同乗者が安全に車を乗り降りできるようにという配慮だといわれています。
同乗者は右側に座ることになるので、歩道から安全に乗り降りできますよね。
T型フォードはその廉価さから、アメリカをはじめとする世界各国に広く普及しました。
そして、1927年に生産が終了するまで、左ハンドルのT型フォードが右側通行を拡大させたのです。
左側通行と右側通行の国はどこ?
左側通行と右側通行の国は以下の通りです。
左側通行の国
日本、イギリス、オーストラリア、インド、南アフリカ、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ニュージーランド、ジャマイカ、ドミニカ共和国、パプアニューギニア、ケニア、ジンバブエなど、およそ50か国です。
右側通行の国
アメリカ、カナダ、メキシコ、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、中国、韓国、北朝鮮、ベトナム、台湾、サウジアラビア、ブラジル、ペルー、ロシア、カンボジア、フィリピン、オランダ、オーストリア、スイス、ポルトガル、モナコ、ポーランド、ギリシャ、クロアチア、トルコ、ブルガリア、ハンガリー、グリーンランド、スウェーデン、デンマーク、グアム、アルゼンチン、チリ、エジプト、カメルーン、コンゴ共和国、スーダン、モロッコ、モーリタニア、アフガニスタン、アラブ首長国連邦、カザフスタンなど、およそ160か国です。
日本は明治時代に左側通行が規定されましたが、第二次世界大戦後にアメリカの統治下となった沖縄県は、アメリカと同じ右側通行でした。
昭和47年(1972年)に日本に返還されてもしばらくは右側通行が続き、昭和53年(1978年)の7月30日に、左側通行に変更されました。
7月29日までは右側通行だったのに、30日には左側通行になったわけですね。
そのため、それまでの習慣でうっかり右側通行をする人も多く、各地で交通事故が起こるなど大混乱だったそうですよ。
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