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関東と関西の違い!食べ物や言葉、文化の違いをまとめてみました!

関東と関西はいつも比較されますが、同じ日本なのになぜこんなに違うのだろう?と不思議に思うほど、食べ物や言葉、文化が違いますよね。

今回は、関東と関西の違いをできるだけたくさん集めまとめてみました!

 


関東と関西の違いまとめ!

 

中華まんの呼び方の違い

関東では「肉まん」

関西では「豚まん」

 

肉まん・豚まんは、豚肉を具にした「中華まん」の一種です。

 

関西では「肉」といえば一般的に「牛肉」のことです。

そのため、関西で「肉まん」と言ったら「牛肉の中華まん」のことになってしまうので、豚肉を具にした中華まんのことは「豚まん」と呼びます。

 

大判焼の呼び方の違い

関東では「今川焼」といいます。

関西では「回転焼」といいます。

 

大判焼(おおばんやき)は、小麦粉や砂糖などを水で溶いた生地の中に餡(あん)を入れ、丸い形の焼き型で作るお菓子です。

同じ材料で、鯛の焼き型で作る物が「たい焼き」です。

 

「今川焼」は、最初に発売したお店が江戸時代の今川(現在の東京都千代田区)にあったことが由来といわれています。

「回転焼」は、丸い形の焼き型を回転させながら作ったことが由来といわれています。

 

「大判焼」は、日本各地で「おやき」「小判焼」「太鼓焼」「太鼓まん」「二重焼」「まるまる焼き」「太郎焼」などさまざまな呼び方があります。

 

うなぎのさばき方の違い

関東では「背開き」です。

関西では「腹開き」です。

 

関東は武士の文化が強く「腹開き=切腹」を連想するため背開きになり、関西は商人の文化が強く「腹を割って話そう」ということで腹開きになったそうです。

 

料理の出汁の違い

関東では「かつおだし」を使うことが多いようです。

関西では「昆布だし」を使うことが多いようです。

 

そのため、日清食品の「どん兵衛」は販売地域によって味付けを変えています。

見分け方は、本体とフタに小さく(E)と(W)のどちらかが書かれており、(E)は東という意味のEast、(W)は西という意味のWestの頭文字です。

 

関東と関西で出汁が違う理由は諸説あります。

 
●昆布が朝廷への献上品だったから
昆布は、奈良時代(710年~784年)から朝廷のあった京都・大阪へ北海道から船で運ばれ、関西地方でほとんど売れてしまったため、関東地方へ昆布がでまわらなかった・出回ってもわずかだったという説。

 
●水の硬度の違い
硬度の高い関東の水はかつおで出汁をとることが適していて、硬度の低い関西の水は昆布で出汁を取ることが適していたからという説。

 

餅の形の違い

関東では切り餅(四角い形)です。

関西では丸餅(丸い形)です。

 

古来よりお米には稲の魂が宿った聖なるものとされており、その魂を形にしたのが「丸餅」といわれています。

室町時代(1336年~1573年)には丸餅を入れた「お雑煮」が京都のお寺や公家、武家で食べられるようになり、江戸時代(1603年~1868年)に京都周辺の庶民に広まり、日本中へ広がっていきます。

 

京都から日本中へ広まったので、江戸(現在の東京)でも餅は丸餅でした。

しかし、江戸時代に急激に人口が増えていき、わざわざ餅を丸めて丸餅を作ることがとても大変になったので、板状にした餅を四角に切るようになり、関東では現在のように切り餅が主流になったそうです。

 

餅の食べ方の違い

関東では海苔で餅を巻き醤油をつけて食べることが多いようです。

関西では砂糖醤油で食べることが多いようです。

 

全国的に、餅に醤油をつけて食べることが多いですが、関東と関西でなぜ食べ方が違うのかその理由は定かではありません。

 

いなり寿司の形の違い

関東では俵型が定番です。

関西では三角形が定番です。

 

関東の俵型は、米を入れた俵に見立てているという説があります。

関西の三角形は、稲荷神社の総本宮である京都伏見稲荷大社にある稲荷山に見立てているとか、稲荷神のお使いである狐の耳に見立てているという説があります。

 

お雑煮の違い

お正月に欠かせないお雑煮のですが、

関東では醤油ベースで味付けし、焼いた切り餅を入れるのが主流です。

関西では味噌仕立てで味付けし、焼いていない丸餅を入れるのが主流です。

 

お雑煮の発祥の地は京都といわれています。

江戸時代には京都では白味噌仕立てのお雑煮を食べていたとされ、京都の影響を受けた関西では現在も味噌仕立てのお雑煮を食べます。

 

関東が醤油ベースなのは、「勝負に味噌をつける(勝負に負けて恥をかく、失敗するという意味)」ことを避けるためだといわれています。

関東は餅を焼いて入れ、関西では餅を焼かずに入れて煮るのが主流ですが、理由は定かではありません。

 

餅の形については「餅の形の違い」をご覧ください。

 

食パンの厚さの違い

同じ大きさの一斤(いっきん・食パンひとかたまりのこと)の食パンでも、切る厚さが異なります。

関東では6枚切りが主流です。

関西では5枚切りが主流です。

 

関東では8枚切り、関西では4枚切りのものも売られています。

関東では間食用やサンドイッチ用として普及し、関西では食事用として普及したことが厚さの違いではないか?といわれていますが、定かではありません。

 

恵方巻きの違い

節分に恵方巻きを食べるのはもともと関西の風習でした。

日本中に恵方巻きが広まったのは1998年にセブンイレブンが全国販売するようになってからですが、現在でも、実際に節分に恵方巻きを食べる人は圧倒的に関西が多いです。

 

すき焼きの違い

関東では割り下(調味した煮汁のこと)を入れてから肉や野菜を煮ます。

関西では肉を焼いてから砂糖や醤油などの調味料を入れ野菜を加えます。

 

江戸時代の終わり頃にすき焼きを提供する最初のお店が京都にできたといわれており、現在の関西風すき焼きは、明治時代には関西周辺で食べられるようになっていたそうです。

そのころ関東では、牛肉を使った鍋物全般を「牛鍋」と呼んでいました。

現在の関東風すき焼きのルーツも「牛鍋」と呼ばれており、鉄鍋を用い、牛肉とネギを割り下で煮て味噌で味付けをしていたそうです。

 

大正12年(1923年)の関東大震災で関東の牛鍋屋は壊滅的な被害を受け、牛肉を提供できなくなり、その際、関西風すき焼きが関東に入ってきたそうです。

そして、関西風すき焼きと牛鍋が融合したものが関東で広まり、呼び方も「牛鍋」ではなく「すき焼き」と呼ぶようになったそうです。

同じ呼び方でも調理法などが異なるため「関西風すき焼き」「関東風すき焼き」と区別しています。

 


ところてんの食べ方の違い

関東では酢醤油にカラシ、青のりなどをかけて食べます。

関西では黒蜜をかけて食べます。

 

ところてんは、奈良時代(710年~794年)に中国から日本に伝わってきたという説や、海藻を煮た汁を放置していたら偶然できあがったものだという説があります。

いずれにしても、東大寺正倉院(奈良県奈良市)にところてんのことを記した書物が残っており、奈良時代には食べられていたようです。

 

ところてんが庶民に食べられるようになったのは江戸時代です。

江戸で醤油作りが広まり、濃い味の醤油は庶民の間で人気になりました。

また、酢を使う握り寿司も人気があったので、江戸っ子たちは濃口醤油と酢をところてんにかけて食べるようになったといわれています。

 

一方同じ頃、京都周辺では菓子・甘味が庶民の間でも食されており、黒砂糖が多く用いられていました。

そのため、関西では黒砂糖を煮詰めた黒蜜をところてんにかけて食べるようになったといわれています。

 

おでんの違い

どちらもかつお節と昆布をベースにしていますが、

 

関東のおでんは醤油や砂糖で濃い目に味付けをして具を煮込みます。

また、ちくわぶやはんぺんなどの練り物の具材が入っているのが特徴です。

 

関西のおでんは醤油と塩を加えて薄味に仕上げて具を煮込みます。

また、牛すじやタコ足、クジラなどの具材が入っているのが特徴です。

 

おでんはもともと関東が発祥で、大正時代に関東の料理人によって、関西に伝わったため、関西ではおでんのことを「関東煮(かんとだき)」ということもあります。

 

「おでん」は、平安時代(794年~1185年)末期に食べられていた豆腐を竹串に刺して焼いた「豆腐田楽(とうふでんがく)」が由来といわれています。

室町時代(1336年~1573年)になると、豆腐田楽に味噌をつけて焼いたものを「お田(おでん)」と呼ぶようになりました。

江戸時代(1603年~1868年)になると「お田」は庶民の間で食べられるようになり、豆腐だけではなくこんにゃくや野菜類、魚類が使用されるようになり、焼きあがりを待てないせっかちな江戸っ子のために、醤油ベースの出汁で煮込むようになりました。

明治時代(1868年~1912年)になると、汁気があまりなかった煮込みおでんが汁気たっぷりのおでんに変化していきます。

大正時代(1912年~1926年)に関東の料理人によって、おでんが関西に伝わりますが、関東風の濃い醤油の色が好まれず、淡い色の薄口醤油で作る関西風のおでんが誕生しました。

 

大正12年(1923年)の関東大震災の際、炊き出しという形で関西のおでんが関東へ伝わり、それまで関東にはなかった味付けや具が広まったそうです。

 

桜餅の違い

関東の桜餅は、小麦粉を水で溶いて薄く広げたクレープのような生地であんこを包みます。

関西の桜餅はもち米であんこを包みます。

 

関東風の桜餅のことを別名「長命寺(ちょうめいじ)」といい、江戸時代に、東京都墨田区にある長命寺の門前で販売したのが名前の由来といわれています。

関西風の桜餅のことを別名「道明寺(どうみょうじ)」といい、江戸時代に、大阪府藤井寺市にある道明寺で作られたのが名前の由来といわれています。

 

関連:桜餅の別名を関東では「長命寺」と呼び、関西では「道明寺」と呼ぶのはなぜ?

 

カキ氷の違い

関東では器にシロップを入れてその上から氷を盛りつけます。

関西では氷を盛りつけた上からシロップをかけます。

 

氷の上にシロップをかけることで、氷が崩れてしまいます。

そのため、関東では見栄えを重視して氷が崩れないようにした、関西では見栄えを気にしなかったという説がありますが定かではありません。

 

三色おはぎの違い

関東では「黒ゴマ」「こしあん」「きなこ」を三色おはぎといいます。

関西では「青海苔」「こしあん」「きなこ」を三色おはぎといいます。

 

濃い味付けを好む関東では油気のある「黒ゴマ」、薄い味付けを好む関西では味よりも香のある「青海苔」が支持されたといわれています。

 

七味唐辛子の配合の違い

関東では唐辛子を多めに辛さを重視した配合になっています。

関西では山椒を多めに香り重視の配合になっています。

 

濃い味付けを好む関東では辛さを重視、薄い味付けを好む関西では香りを重視しているそうです。

 

ソースの違い

関東では「中濃ソース」を多くの料理に使います。

関西では「ウスターソース」「お好み焼きソース」「タコ焼きソース」「とんかつソース」など料理によって使い分けることが多いようです。

 

年越しそばの具の違い

関東の年越しそばの具はえび天が定番です。

関西の年越しそばの具はニシンが定番です。

 

エビは長寿を願う縁起物で、「背中が丸まっても長く生きられる」といわれており、年越しそば以外にもおめでたい料理として多く用いられています。

 

ニシンは北海道から京都へ運ばれ、昔から保存食として京都周辺で食べられていたそうです。

ニシンの子である「数の子」はお正月料理には欠かせない縁起物で、「数の子」の親であるニシンも縁起が良いということで大晦日の年越しそばの具として食べられるようになといわれています。

 

天津飯のあんの違い

関東ではとろみの強い甘酢あんがかかっています。

関西では鶏がらスープに醤油を加えた醤油あんや、鶏がらスープに塩を加えた塩あんがかかっています。

 

関東の天津飯は、浅草に明治43年(1910年)に創業した「来々軒」が起源といわれています。

最初はご飯にかに玉を乗せて提供しましたが、それでは味が足りないので酢豚のあんを応用してとろみの強い甘酢あんを作り提供したのが、関東の天津飯の原型です。

 

関西の天津飯は、大正時代に創業した大阪府の「大正軒」が起源といわれています。

「大正軒」の店主は中国出身で、中国の天津でよく食べられていた「蓋飯(カイファン・皿盛りのご飯におかずをかけて食べる丼のようなもの)」を参考に、ご飯にかに玉を乗せとろみのある醤油あんをかけました。

戦後の食糧難の中、大正軒では高価なカニをやめて大阪湾で獲れるサルエビを使ったそうです。

そのため、エビのうま味を引き出すために薄味の醤油あんや塩あんをかけるようになったそうです。

 

親子丼の違い

関東では玉ねぎと鶏肉を卵でとじ、醤油ベースの甘辛な味付けです。

関西ではネギと鶏肉を卵でとじ、出汁であっさり味付けします。

 

濃い味付けを好む関東では醤油ベースの甘辛な味付け、薄い味付けを好む関西では出汁であっさり味付けが好まれたようです。

 

親子丼の発祥は定かではありません。

明治17年(1884年)に兵庫県神戸市の「江戸幸」というお店が親子丼の新聞広告を出したものが最古の資料として残っています。

また、東京都中央区の「玉ひで」というお店が明治20年(1887年)頃に考案したものが発祥という説や、大阪の料亭「鳥菊」というお店が明治36年(1903年)に考案したものが発祥という説などがあります。

 

また、関西では親子丼と同じ作り方ですが、鶏肉を豚肉や牛肉に代えて「他人丼」と呼ぶ料理もあります。

 

天ぷらの作り方の違い

関東の天ぷらは、小麦粉、水、卵で衣を作り、ゴマ油でこんがりキツネ色に揚げます。

関西の天ぷらは、衣に卵を用いず、小麦粉も水溶きをせずにそのまま食材にまぶし、低温のサラダオイルで白っぽく揚げます。

 

関東では、主に魚を天ぷらにしていたため、魚の臭みをとるためにゴマ油を使い、ダシのきいたツユにつけて食べるようになったそうです。

 

関西では、主に野菜を天ぷらにしていたため、野菜の味を生かすため綿実油(めんじつゆ・ワタの種子を原料とした油)や大豆油(だいずゆ・大豆の種子を原料とした油)で揚げ、野菜の味を味わえるよう塩をつけて食べるようになったといわれています。

現在は、綿実油や大豆油ではなくサラダ油で揚げます。

サラダ油は精製された植物油の一種で、菜種、綿実、大豆、ごま、ひまわり、とうもろこし、米などが原料です。

 

天ぷらは1543年に鉄砲伝来とともにポルトガルから伝わったといわれており、当時は大量の油を使って調理するので天ぷらは高級品として扱われていました。

江戸時代(1603年~1868年)になると、油の生産量が増え、屋台で提供されるようになり、次第に庶民の大衆料理として広まっていきました。

店舗を構えるようになったのは江戸時代の終わりごろで、明治時代(1868年~1912年)になると、天ぷら専門店や料亭などで提供されるようになり、関西にも天ぷらが伝わっていきます。

日本各地へ広まったのは、大正12年(1923年)の関東大震災がきっかけだと言われています。

震災で職を失った職人が日本各地に移り住み、江戸前の天ぷらを広めたそうです。

 

カレーや肉じゃがの肉の違い

関東では豚肉が定番です。

関西では牛肉が定番です。

 

関東では関東大震災後に養豚が盛んになり、肉といえば豚肉が一般的です。

関西では和牛の産地(兵庫県や岡山県)が多くあるので、肉といえば牛肉が一般的です。

 

その影響で、カレーや肉じゃがなども「関東は豚肉」「関西は牛肉」となったようです。

 

栗きんとんの違い

関東の「栗きんとん」は、栗の甘露煮をペースト状にし、蜂蜜やサツマイモを混ぜて作るおせち料理の定番で、漢字で「栗金団」と書きます。

関西の「栗きんとん」は、ペースト状にした栗に砂糖を混ぜ、茶巾絞り(ちゃきんしぼり・布巾などで絞って形を整える)にしたもので、和菓子の一種で、漢字で「栗金飩」と書きます。

関西の「栗金飩」から派生してできたものが、関東の「栗金団」と考えられています。

 


おしることぜんざいの違い

関東では汁気(しるけ)があるものを「おしるこ」といい、こしあんのおしるこを御膳汁粉(ごぜんしるこ)、粒あんのおしるこを田舎汁粉(いなかしるこ)や小倉(おぐら)汁粉といいます。

また、汁気がない濃いあんを餅や白玉にかけたものを「ぜんざい」といいます。

 

一方、関西では、汁気があるこしあんを「おしるこ」、つぶあんを「ぜんざい」といいます。

また、汁気のないつぶあんを「亀山」や「金時」といいます。

 

おしるこは漢字で「お汁粉」と書きます。

江戸時代(1603年~1868年)にはありましたが、餡(あん)の汁の中に子(実)として餅や団子を入れるので「餡汁子餅(あんしるこもち)」と呼ばれており、「餡汁子餅」を略して「汁子」、それが転じて「汁粉」になったといわれていますが定かではありません。

 

ぜんざいは「善哉」と書き、由来は二つあります。

一つは、仏教用語である「善哉(ぜんざい・よきかな)」を由来とする説です。

「善哉」とは仏が弟子を褒めるときに使う言葉であり、サンスクリット語で「素晴らしい」を意味しています。

この食べ物を最初に食べたといわれる一休宗純(いっきゅうそうじゅん・一休さん)がおいしさのあまり「善哉」と叫んだことから名づけられたといわれています。

もう一つは、出雲地方の神事「神在祭」で振舞われた「神在餅(じんざいもち)」を由来とする説です。

「神在餅」が訛って「ぜんざい」に変化し、誉め言葉の「善哉」と合わさったといわれています。

 

「亀山」は、小豆の産地である丹波の亀山(現在の京都府)が由来という説や、つぶあんを使ったぜんざいを流行らせた「亀山屋」というお店の名前が由来という説などがあり定かではありません。

「金時」は、一般的に小豆の事を指します。

 

おしることぜんざいは、関西から江戸に伝わった食べ物ですが、食べ物が広まっていく中で、その違いが正しく伝わらなかったのではないといわれています。

 

ひなあられの違い

関東のひなあられはポン菓子に砂糖で味付けしたもの。

関西のひなあられは直径1cmほどのおかきに醤油や塩で味付けしたものに青海苔、エビ、アオサなどで色や風味を付けたものです。

 

関東のひなあられは、もち米を炒って作る「はぜ」が起源になっているという説があります。

「はぜ」とは、お米を爆(は)ぜさせて作るお菓子で、「ポン菓子」や「米はぜ」ともいいます。

「爆ぜる」とは、膨れて裂けること、裂けて飛び散ることなどの意味があります。

米がはぜると稲の花のようになることから、「はぜ」は江戸時代の江戸では豊作を祈願する縁起物でした。

 

関西のひなあられは、お釈迦さまが亡くなった日にお寺で行われる「涅槃会(ねはんえ)」のお供えであるおかきが起源になっているといわれています。

 

関連:「涅槃会」の意味とは?いつ行われるの?団子を撒くのはなぜ?

 

きつねとたぬきの違い

関東では天かすが入ったものを「たぬきうどん」「たぬきそば」、油揚げが乗ったものを「きつねうどん」「きつねそば」と呼びます。

関西では天かすが入ったものを「ハイカラうどん」「ハイカラそば」、油揚げが乗ったうどんを「きつね」、油揚げが乗ったそばを「たぬき」と呼びます。

 

「関西でなら捨ててもいいような天かすをうどんに入れるとは、関東の人はハイカラやなー」と皮肉を込めて言ったことから、「ハイカラうどん」と名付けられたといわれています。

「ハイカラうどん」「ハイカラそば」と呼ぶことが多いですが「天かすうどん」「天かすそば」でも通じます。

 

また、「きつね(うどん)」は大阪の「うさみ亭マツバヤ」というお店が発祥といわれています。

明治26年(1893年)創業当時は、うどんに合わせるおかずとして、甘めに味付けた油揚げとかまぼこを別皿で出していました。

そのうち、うどんに油揚げを入れて食べるお客さんを見た初代店主が、初めからうどんに油揚げを乗せるようになったそうです。

油揚げはきつねの大好物といわれているので、最初は「こんこんさん」と呼ばれていましたが、いつしか「きつね」と呼ばれるようになったそうです。

 

「たぬきそば」「たぬきうどん」は江戸時代終わりごろの関東が発祥とわれています。

「天かすを乗せる=天ぷらのタネがない」ので「タネを抜いた=たぬき」となったといわれています。

 

その後、関東の「たぬき=天かす」は関西にも伝わりますが広まらず、実物を見ていない関西の人たちは「きつね=うどんなら、たぬき=そばだろう」と想像し、油揚げが乗ったそばを「たぬき」と呼ぶようになったといわれています。

 

関東では、油揚げ=きつね、天かす=たぬき

関西では、油揚げの乗ったうどん=きつね、油揚げの乗ったそば=たぬき

ということですね。

 

このように、関東と関西では「きつね」と「たぬき」の考え方が異なるのです。

 

ネギの違い

関東で多く使われるのは白ネギです。

関西で多く使われるのは青ネギです。

 

関東と関西では気候風土が違うので、それぞれの土地の栽培方法に適し収穫しやすいネギが多く使われています。

 

くず餅の違い

関東では「久寿餅」と書き、小麦粉を乳酸発酵させ蒸して固めたものです。

関西では「葛餅」と書き、葛粉から作られており少し透明です。

 

「葛餅」は葛粉で作られており、原料となるクズはマメ科の多年草で、全国の森に広く分布しているため、「葛餅」は関西だけでなく全国的に食べられていたようです。

 

一方、関東の「久寿餅」が作られたのは江戸時代後期で、下総国葛飾郡(現在の東京都東部)で取れる良質な小麦を発酵させた作られたお菓子です。

その菓子は地名にちなんで「葛餅」としましたが、すでに「葛餅」が存在していたため区別するために「久寿餅」と呼ぶようになったようです。

名前は似ていますが、「葛餅」と「久寿餅」は、全く違う食べ物です。

 

だし巻き卵の違い

関東ではカツオだしがベースで甘く味付けをします。

関西では昆布だしがベースで甘みはつけません。

 

関東は濃い味付けを好むため甘く味付けをし、関西は薄味を好むため甘みをつけません。

 

サンドイッチの卵の違い

関東ではゆで卵をつぶしてマヨネーズなどを混ぜたものをサンドイッチにします。

関西では厚焼き玉子やオムレツをサンドイッチにします。

 

関東と関西で卵が違う理由は定かではありません。

 

ねこまんまの違い

関東ではご飯にかつお節を乗せ、醤油をたらしたものを「ねこまんま」と呼びます。

関西ではご飯にみそ汁をかけたものや、みそ汁にご飯を入れたものを「ねこまんま」と呼びます。

 

「ねこまんま」といえば人が手軽に手早く食べられるご飯を指しますが、昔は食べ残した残飯を「ご飯とおかず」や「ご飯と汁物」などの猫の餌として与えていたので「ねこまんま」と呼ばれるようになったようです。

関東と関西で異なる理由は定かではありません。

 

タクシーの色の違い

関東のタクシーはカラフルで、会社ごとに見分けることができるほどです。

関西のタクシーは黒色が多いです。

 

関東と関西で異なる理由は定かではありませんが、

関東では、タクシー会社や組合で色を変えることによって差別化を図っているという説があります。

関西では、高級感があるので黒いタクシーが多いという説があります。

 

エスカレーターの乗り方の違い

本来、エスカレーターは片側を空けて乗るように作られていませんが、急いでいる人のために片側を空けるのがルールのようになってしまっています。

関東では自分から見て右側を空けます。

関西では自分から見て左側を空けます。

 

関西でも右側に立つ習慣があるのは大阪府とその周辺の京都府・奈良県・兵庫県で、同じ関西でも滋賀県や和歌山県では左側に立つようです。

 

関連:エスカレーターの立つ位置 なぜ関東は左側で関西は右側なの?境界はどこ?

 

お店の略し方の違い

世界中にチェーン展開しているマクドナルド

関東では「マック」と略します。

関西では「マクド」と略します。

 

関東では、「マクドナルド」の商品で「ビッグマック」や「マックポテト」などがあるので、自然と「マック」と呼ぶようになったといわれています。

関西では、「マクドナルド」の最初の三文字を取って「マクド」と呼ぶようになった説や、「三文字の真ん中にアクセントをおく」という関西弁の発音に当てはめた場合、「マック」よりも「マクド」のほうが言いやすかったからという説などがあります。

 

テーマパークの略し方の違い

ユニバーサルスタジオジャパン

関東では「USJ」と略します。

関西では「ユニバ」と略します。

 

関東では、「Universal Studios Japan」の頭文字を取って「USJ」と呼びます。

関西では、「三文字の真ん中にアクセントをおく」という関西弁の発音に当てはめた場合、「USJ」は言いづらく「ユニバ」のほうが言いやすかったからといわれています。

 


ポリタンクの違い

冬になると大活躍する灯油を入れるポリタンクの色が違います。

関東は赤色です。

関西は青色です。

 

関東では、消防車や火の色などから「赤=危険」とイメージできるので赤色になったといわれています。

関西では、赤の顔料よりも青の顔料のほうが安価だったので、安く作ることのできる青色になったといわれています。

 

火葬後の収骨の違い

関東では火葬後はすべての遺骨を骨壺に納めます。

関西では頭蓋骨や喉ぼとけなど重要と思われる部分のみ収骨して骨壺に納めます。

 

もともと火葬は身分の高い人だけで、庶民は土葬でした。

江戸時代終わりごろに庶民の間でも火葬が広まりますが、神道を重視する明治政府などの「火葬は仏教の埋葬法だから廃止すべきだ」という主張があり、明治6年(1873年)に火葬禁止令が出されます。

その後、人口が急増したことで土葬をする場所の確保が難しくなり、埋葬料が高騰するなどしたことから埋葬が不可能になるなど混乱が起こり、政府内部からも火葬禁止令を反対するという意見が出て、明治8年(1875年)に火葬禁止令が廃止されました。

 

その際、「火葬後の遺骨は全て持ち帰ること」という通達されたのですが、明治政府のお膝元である関東ではその通達を守り、関西では通達が守られなかった・きちんと伝わらなかったといわれています。

 

また、関西では仏教の宗派の総本山が多く存在しており、火葬後は総本山に遺骨を納め、一部だけ持ち帰っていたことの名残だという説や、火葬場が墓地の敷地内や隣接していることが多くそのまま埋葬できたので一部だけ持ち帰っていたという説もあります。

 

配膳の違い

和食の基本である「一汁三菜」はご飯、汁物、主菜、副菜です。

 

日本では古くから「左上右下(さじょううげ)」といって「左を上位、右を下位」とする「左上位」考え方があり、左側に重要なものを配置しました。

そのため、主食であるご飯は特に重要な食材として位置づけられ、「左」手前に配置するようになったといわれています。

 

ご飯の配置は関東も関西も同じなのですが、汁物、主菜、副菜については配置が異なります。

 

関東はでは左手前にご飯、右手前に汁物、汁物の奥に主菜、ご飯の奥に副菜を置きます。

ご飯の奥に頻繁に箸を伸ばす主菜や、汁物を置くと、そのたびにご飯の上を手や箸が行き来するのが無作法だからこの配置になったという説があります。

 

関西では、左手前にご飯、右手前に主菜、主菜の奥に副菜、ご飯の奥に汁物となります。

主菜を目立たせるために右手前に配置しているという説や、汁物の奥に主菜を置いたら主菜を取る時に無駄な動きが多くなるからという説があります。

 

猫のしっぽの違い

関東の猫のしっぽは、短いものやかぎ尻尾(しっぽ)が多く、関西の猫のしっぽはまっすぐなものが多いです。

 

「かぎ尻尾(しっぽ)」とは、しっぽの先端が曲がっているものをいいます。

関東の猫にしっぽが短いものやかぎ尻尾が多いのは「猫又(ねこまた・猫股)」が関係しているといわれています。

江戸時代、尻尾がまっすぐな猫が長生きすると、二つにしっぽが分かれ「猫又」という化け猫になるという迷信が信じられていました。

そのため、江戸ではまっすぐな尻尾の猫が避けられるようになり、尻尾が短い猫や、かぎ尻尾の猫が好んで飼われるようになりました。

関西ではそのような迷信がなかったので、関東よりもまっすぐな猫が多いそうです。

 

家電の周波数の違い

関東は50Hz、関西は60Hzです。

周波数の異なる地域へ引っ越す場合は、家電の買い替えや部品の交換などが必要になることがあります。(現在は両方使えるものが多い)

 

日本では明治時代になってから電気が使われるようになりました。

その際、当時の日本では発電機を作る技術がなかったため、外国から輸入することになったのですが、関東ではドイツ製、関西ではアメリカ製の発電機が輸入されました。

ドイツ製の発電機は周波数が50Hz、アメリカ製の発電機は周波数が60Hzだったため、それぞれの地域で対応できる家電が作られるようになりました。

新潟県の糸魚川と、静岡県の富士川を結ぶ線を境に、東側では50Hz、西側では60Hzの周波数になっています。

 

線香花火の違い

関東の線香花火は紙をこより状にしたもので、火が付いた方を下に向けて持ちます。

関西の線香花火は藁(わら)の先に火薬をつけたもので、火が付いた方を斜め45度上に向けて持ちます。

 

線香花火は江戸時代に関西で生まれました。

関西は米どころで藁(わら)がたくさんあったので、藁すぼ(わらすぼ・藁の柄の部分)を持ち手にして先端に火薬をつけた「スボ手牡丹」という棒状の線香花火が作られました。

スボ手牡丹は関東に伝わりますが、米作りよりも紙すきが盛んだったので藁ではなく紙で作るようになりました。紙の線香花火は「長手(ながて)牡丹」といいます。

 

スボ手牡丹を線香立てに立てて火をつけて楽しむものだったことが「線香花火」の名前の由来で、手で持つようになってからも斜め45度上に向けて楽しみます。

長手牡丹はスボ手牡丹のように持つことができないので、自然と下向きで持つようになったようです。

 

バスの乗り方の違い

関東では料金先払いで前から乗って後ろから降りることが多いです。

関西では料金後払いで後ろから乗って前から降りることが多いです。

 

バス事業者によって支払方法がさまざまなので一概にはいえませんが、区域内は料金が一律のバスは先払いで前から乗って後ろから降りることが多く、距離に応じて料金が変わるバスは後ろから乗って前から降りることが多いようです。

関東では区域内は料金が一律のバスが多く、関西では距離に応じて料金が変わるバスが多いようです。

 

性格の違い

一般的に関東人は人目を気にする人が多く、関西人は人目を気にせずせっかちでおしゃべり好きが多いといわれています。

 

銭湯の湯舟の位置の違い

関東では湯舟は奥に設置されることが多いようです。

関西では湯舟は中央に設置されることが多いようです。

 

理由は定かではありませんが、関東は肉体労働者が多かったので、体の汚れを落としてから湯船に浸かることが多く、湯船が奥に設置されているという説があります。

一方、関西では商人が多かったので、先に湯船で体を温めてから体を洗うので、湯船が中央に設置されているという説があります。

 

初詣に行く期間の違い

関東では1月7日まで、関西では1月15日までに初詣に行きます。

 

初詣の期間に決まりはありませんが、「正月三が日」に行く人が多く、三が日に行けない場合は「松の内」に行く人が多いようです。

関東と関西の「松の内」の期間が異なるので、初詣に行く期間も違うようです。

 

「松の内(まつのうち)」とは門松などのお正月飾りを飾っておく期間のことをいいます。

松の内はもともと日本全国1月15日で、鏡開きを1月20日に行っていました。

松の内は年神様(としがみさま・毎年お正月、各家にやってくる豊作や幸せをもたらす神様)が鏡餅に宿っていらっしゃるので、松の内が終わってから、鏡開きをします。

 

江戸時代の慶安4年(1651年)4月20日に徳川三代将軍である家光が亡くなり、毎月20日は家光の月命日となり、徳川幕府のお膝元である関東では「月命日に鏡開きは良くない」ということで1月20日を避け、鏡開きを1月11日に行うようになりました。

しかし、1月11日は松の内です。

松の内は年神様がいらっしゃるのに鏡開きを行うのは失礼なのではないか?ということになり、1662年に徳川幕府が「1月7日をもって飾り納め」を指示する通達を出します。

そして、幕府のお膝元である関東では松の内が1月7日までとなり、正確に情報が伝わらなかった関西ではそれまで通りに松の内は1月15日までとなったといわれています。

 

門松の違い

関東では3本の竹を配置し、それぞれの竹は真横にまっすぐ切られており、若松で飾ってシンプルに仕上げます。

関西では3本の竹を配置し、それぞれの竹は斜めに切られており、南天や熊笹、紅白の牡丹などを飾って華やかに仕上げます。

 

門松の竹の先端部を、真横に切ったものを「寸胴(ずんどう)」といい、斜めに切った「そぎ」といいます。

 

門松の原型が出来あがったのは室町時代といわれており、もともとは「寸胴」が主流でした。

 

「そぎ」は、徳川家康が生涯唯一の敗北をした1572年の三方ヶ原の戦いのあと、対戦相手の武田信玄に対して「次は斬るぞ」という念を込めたのが始まりという説があり、「武田」を「竹」に見立てています。

その後、武士は昔ながらの「寸胴」を好んだので関東では寸胴が主流となったのですが、徳川家のお膝元である関東で「そぎ」が定着しなかった理由は定かではありません。

商人は見た目が派手な「そぎ」を好み、商人の多い関西では飾りが華やかになっていったと考えられています。

現在では、関東と関西の違いはあまりなく、全国的に「そぎ」が主流となっています。

 

 

同じ日本なのに、関東と関西でこんなに多くのことが違うとはびっくりしてしまいます。

現在のように人の行き来が自由ではなかった時代に、それぞれの土地で食べ物や文化が異なる発展をしたのですね。

関東から関西へ、関西から関東へ旅行をする方は、今回紹介した違いを覚えておくと旅の楽しみも増えるのではないでしょうか。

 

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