日本には昔から続くさまざまな行事があり、全国的には有名でなくても、地方によってはずっと昔から受け継がれてきた行事もあります。
今回紹介する「亥の子」もそんな行事のひとつです。
この記事では、亥の子の意味や由来、亥の子餅を食べる理由などについて解説します。
亥の子の意味や由来とは?2024年はいつ?
読み方は「いのこ」です。
ほかに
「亥の子祭り」
「玄猪(げんちょ)」
「亥の子の祝い」
ということもあります。
「亥の子」とは、亥の月の最初の亥の日のこと、または、その日に行われる行事のことです。
「亥(い)」は十二支のひとつです。
十二支は年月日や時間を表すのに用いられていますが、旧暦の月に当てはめると以下のようになります。
月 | 十二支 |
1月 | 寅(とら) |
2月 | 卯(う) |
3月 | 辰(たつ) |
4月 | 巳(み) |
5月 | 午(うま) |
6月 | 未(ひつじ) |
7月 | 申(さる) |
8月 | 酉(とり) |
9月 | 戌(いぬ) |
10月 | 亥(い) |
11月 | 子(ね) |
12月 | 丑(うし) |
このように 「亥の月」は旧暦10月に当たりますが、新暦が採用されて以降は一カ月遅らせ、11月の最初の亥の日を充てています。
ということで、「亥の子」は11月最初の亥の日ですので、2024年は11月7日(木)になります。
「亥の子」の由来は古代中国の「亥子祝(いのこのいわい)」といわれています。
亥の月の亥の日、亥の刻(21時~23時)に穀物を混ぜ込んだ餅を食べると病気にならないという風習があり、無病息災を願う儀式でした。
また、「亥」はイノシシのことなので、子どもをたくさん産むイノシシにあやかって、子孫繁栄を願う意味もあったようです。
「亥の子」は平安時代(794年~1185年)に日本に伝わり、宮中行事に取り入れられました。
最初は貴族の間で行われていましたが、収穫の時期ということもあり、収穫のお祭りとして庶民の間にも広まったといわれています。
江戸時代(1603年~1868年)には、亥の子の日に「炬燵(こたつ)開き」「炉開き」が行われ、この日に炬燵や火鉢を出して使い始めたそうです。
イノシシは摩利支天(まりしてん・仏教の守護神、炎の神)の神使といわれ、イノシシは火を免れる(火災が起こらない)と考えられていました。
また、「亥」は五行思想(ごぎょうしそう・万物は木、火、土、金、水の五種類の元素からなるという自然哲学の思想)では「水」の運気を持ち、陰陽説(いんようせつ・この世のすべてのものを陰と陽に分類する思想)では「陰」に当てはまることから、火を制御すると考えられています。
そのような理由から、亥の日に暖房器具を使い始めることで家の防火を祈ったそうです。
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亥の子餅を食べるのはなぜ?
「亥の子餅(いのこもち)」は、亥の子の行事食で、亥の子に食べる餅のことです。
イノシシの子ども「ウリボウ」の模様を餅の表面につけたり、ウリボウを模した形を作ったり、餅の表面に小豆をまぶしたり、紅白の餅だったりと、決まった作り方はなく、地域によって様々です。
古くは、亥の子餅を「田の神様」に供え、その後、家族で食べることで無病息災や子孫繁栄を祈り、平安時代には亥の子餅を贈り合う風習もあったそうです。
現在は、亥の子の行事食として和菓子店の店頭に並び、お店によって作り方、見た目は様々です。
亥の子突きとは?
亥の子餅のほかに、亥の子に行われるものとして「亥の子突き(いのこづき)」があります。
「亥の子突き」では、亥の子の日の夕方から翌朝にかけ、地域の子どもたちが集まって一軒ずつ家を巡ります。
このときに持つ石のことを「亥の子石(いのこいし)」といいます。
子どもたちは「亥の子歌」を歌いながら、亥の子石につないだ縄を引き、上下させて地面を打ちます。
「亥の子歌」の歌詞は地域によって異なります。
同じ市内でも地区によって少しずつ歌詞が違ったり、節が違ったりするそうです。
亥の子の時期には田んぼの神様は山に帰った後なので、田んぼは空いた状態になっていると考えられています。
そのため、石で地面を打つことで、空いた場所に悪い神様が入らないようにする目的があるそうです。
また、地中に潜むモグラやネズミなど農作物に害を及ぼすものを追い払う目的もあるそうです。
藁鉄砲とは?
亥の子石ではなく、藁(わら)の束を固く縛った「藁鉄砲(わらでっぽう)」を使う地域もあります。
藁鉄砲で地面を叩くことで、その土地の邪霊を鎮め、その土地の神様に力を与えることができると考えられています。
藁鉄砲を使って地面を叩く同様の行事として、東日本では旧暦10月10日に行われる「十日夜(とおかんや)」があります。
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昭和40年代には、亥の子歌の練習や準備に夢中になり、子どもたちが勉強をおろそかにしてしまうということで、学校が行事を禁止してしまい、廃れた地域もあります。
しかし、愛媛県宇和島市などのように郷土の伝統行事として保護奨励され、受け継がれている地域もあります。
亥の子は主に西日本で行われていますが、行事の内容は地域によって様々で、亥の子餅を食べるけれど亥の子突きはしないとか、その逆もあるそうです。
また、亥の子突きのときに、家にきた子どもたちにお菓子やお餅、お小遣いを渡す地域もあれば、なにも渡さない地域もあるとか。
同じ名前の行事でも、地域によって内容が異なるのはなんだか不思議で面白いですね。
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コメント
コメント一覧 (7件)
2017年の曆には、亥の子の日が11月20日(月)となっておりますが・・・。
どちらが正しいのでしょうか?
コメントをいただきありがとうございます。
調べましたところ旧暦最初の亥の月亥の日は10月3日で新暦に換算しますと11月20日(月)でした。
修正させていただきましたのでご確認ください。
ご指摘ありがとうございました。
お世話になっております。
ご指摘の件をもう一度調べてみたのですが、新暦になってからは亥の子は亥の月(10月)の1ヶ月遅れである11月の最初の亥の日に行われてるいるそうですので記事の内容は間違っていなかったようです。
地域によっては、もしかしますと旧暦の最初の亥の月亥の日である11月20日に行われているところもあるかもしれません。
11月8日に再修正させていただきました。
勉強不足でご迷惑をおかけしまして申し訳ございません。
初めまして、
ブログ読ませて頂きました。
今月、亥の子餅を拵えようと思っている者です。
高島歴によると、旧暦の十月一日(朔日)は新暦の十一月八日、つまり、立冬の次の日です。
ですから、八日から数えて最初の亥の日は十五日辛亥が初亥だと思います。
人づてに中国地方の何処かの村で、亥の子餅をついてたと聞いたことがあります。
上新粉等で拵えたのですが、もう一つ美味しくありません、風味に欠ける。
虚子さんの歳時記に「餅をついて祝う」とあり、餅米で拵えようと、ウエブで検索掛けていて、興味深く読ませて頂きました。
本文よく調べていらっしゃる部分と詰めが甘い部分があり、少し残念でした。
いきなり、乱筆乱文失礼しました。
虎時拝
コメントありがとうございます。
皆様のお役に立てるような記事をアップできるよう努力していきたいと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。
こちらで 調べた資料によると 旧暦の10月最初の亥の日は武家や位の高い身分の人達の日で 農民や位の低い人達は二の亥の日だったとありました。
この辺りは 都会と田舎の差もあるかもしれません
貴重な情報ありがとうございます!