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着物・浴衣・振袖の違いと見分け方とは?男女で左前・右前どっち?





着物や浴衣、振袖を着る機会はありますか?

夏はお祭りや花火大会で浴衣を着る人が増えますが、日常生活で着ることは少ないですよね。

場合によっては数年に一度くらいしか着る機会がない・・・という人も多いのではないでしょうか?

着物・浴衣・振袖など和服の見分け方や、左と右どちらが前になるのか、調べてみましょう!


着物とは?

着物(きもの)は和服(わふく)ともいい、昔から日本で着られてきた民族服のことです。

 

着物は冠婚葬祭など特別な日だけではなく、お呼ばれしたときや日常生活など、どのような場面でも着ていけるほど種類があり、振袖、浴衣、留袖(既婚女性の和服の第一礼装)や訪問着(多くの場面で着用できる和服)、袴などがあります。

 

振袖とは?

「振袖」は着物の一種です。

袖の長さが異なるというだけでほかは同じですので、大きなくくりで「着物」と表現します。

 

「振袖」は「袖を振る」ことに由来し、ほかの着物に比べると袖が長いのが特徴です。

「振袖」は江戸時代(1603年~1868年)に誕生したといわれています。

江戸時代前期に、若い女性が着る和服の袖が次第に長くなったそうですが、なぜ長くなったのかについては諸説あり、舞踏を披露するときに袖が長いほうがより美しく見えたからという説が有名です。

 


 

袖を振ることは日本で最も古い愛情表現のひとつといわれ、江戸時代は、男性に求愛されたとき好意を伝えるときは袖を左右に振り、好意がないことを伝えるときは袖を前後に振っていたそうです。

これが「振袖」の由来といわれており、現在の恋愛関係で「振る」「振られる」の語源ともいわれています。

昔は現在とは違い、女性が恋愛感情を伝えることがタブーとされており、江戸時代の女性は袖を振ることで愛情を表現したのです。

 

飛鳥時代(592年~710年)の歌人である額田王(ぬかたのおおきみ・生没年不詳、皇族の女性、歌人)は次のような歌を詠んでいます。

 

「あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る」

 

現代語にすると「茜色の 紫草の野を行き 標野を行きながら 野の見張りは見ていないかしら あなたが袖を振るのを」となります。



額田王


この歌を詠んだ時、額田王は天智天皇(中大兄皇子)の妻だったのですが、その前は天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)の妻でした。

この歌は元夫である大海人皇子(男性)が額田王(女性)に対してこっそり求愛をしている様子を詠んでいるのです。

つまり、この時代は男性が愛情を表現する場合も袖を振っていたということになります。

 

江戸時代までにどのような変化があって女性だけが袖を振るようになったのか定かではありませんが、飛鳥時代は男女問わず袖を振ることで愛情表現をしていたようです。

振袖は、江戸時代前期に若い女性が着る和服の袖が次第に長くなり生まれた。

なぜ長くなったのかについては諸説あり、踊りを披露するときに袖が長いほうがより美しく見えたからといわれています。

そして、明治時代(1868年~1912年)以降、振袖は未婚女性の正装として定着しました。

 

振り袖は未婚女性の第一礼装着(着物の最上格。最も格式ある着物)ともいわれており、袖が長いので普段着として着ることはなく、結婚式や成人式、祝賀会、授賞式など格式ある場面や、お正月のようなおめでたい時に着るものです。

 

また、振袖は未婚女性の証でもあるため、既婚女性は振袖を着ることはありません。

既婚女性は袖を振る必要がなくなるので、振袖の袖を短く仕立て直して訪問着などにしたり、未婚の親族に譲ったりしたようです。


浴衣とは?

「浴衣」も着物の一種です。

浴衣は、平安時代に貴族が入浴をする際に着ていた湯帷子(ゆかたびら)」がルーツといわれています。

平安時代のお風呂は、現在のように湯を張った湯船に浸かるのではなく蒸し風呂でしたので、水蒸気で火傷をしないように、また、他の人に肌を見せないために湯帷子を着ていたと考えられています。

 

鎌倉時代ごろになると、男性は「褌(ふんどし)」、女性は「湯文字(ゆもじ)」を着用して入浴するようになり、安土桃山時代ごろからは裸で入浴するようになります。

平安時代に湯帷子を着て入浴する理由のひとつに「火傷をしないため」というのがありますが、その後、どのような変化があって湯帷子を着なくてよくなったのかは定かではありません。

湯文字とは、腰から膝あたりまでを覆う布で「腰巻(こしまき)」とも呼ばれ、巻きスカートのようなものです。

 


 

安土桃山時代ごろから浴衣は湯上りに肌に残った水分を吸わせるために着るようになり、江戸時代になると浴衣を部屋着や寝間着として着るようになりました。

この頃もまだ、湯船に浸かるのではなく蒸し風呂でした。

「湯帷子(ゆかたびら)」はいつしか「ゆかた」と呼ばれるようになりますが「浴衣」という漢字は当て字だといわれています。

江戸時代中期ごろになると、部屋着や寝間着以外に外出の際にも着るようになりますが、このころの浴衣はまだ身分の高い人たちが着るものだったようです。

 


 

江戸時代後期ごろには湯船に浸かる風呂屋(銭湯)が登場します。

このころに入浴時は裸になるようになり、風呂上がりに着てそのまま外を歩けるという手軽さで、庶民の間でも浴衣が普及していきました。

明治時代になると、浴衣は着やすくて涼しい、動きやすいということで、夏の普段着のひとつとして定着し、現在は暑い時期の遊び着として着られることが多いようです。


着物・浴衣・振袖の違いと見分け方

すでに説明したとおり、「浴衣」と「振袖」は両方とも「着物」の一種です。

 

「浴衣」と「振袖」は両方とも着物の一種ですから、仕立て方、基本的な形状や構造が同じで、見た目だけで区別するのは難しいのですが、以下のようにいくつかの違いがあります。

 

長襦袢を着るかどうか

長襦袢(ながじゅばん)とは、着物用の下着のことです。

振袖は長襦袢を着ますが、浴衣は素肌に直接着るものなので長襦袢を着ません。

しかし、最近は下着が透けるのを避けるために浴衣の下に長襦袢を着る人もいますが、一般的には長襦袢は着ません。

 


 

着付けの仕方が違う

浴衣は、素肌に直接着て、素足で下駄を履きます。

振袖は、長襦袢を着用し、足袋を履いてから草履を履きます。

 

生地や素材の違い

振袖は格式によって生地や素材が様々で、木綿やウール、絹、化学繊維など種類が多く、生地の織り方も様々です。

浴衣は主に木綿で作られています。

木綿は着物にも使われる素材なので、浴衣との区別がはっきりとはしませんが、素肌に直接着ることができるものを浴衣、そうではないものを着物としているようです。

 

 

男女で左前・右前どっち?

洋服ですと、女性が「左前」で男性が「右前」になることが多いですよね?

しかし、和服は男性も女性も「右前」になります。

右前とは、着る人からみて右側が手前、つまり左側を上から重ねるということです。

 

日本人は右利きの人が多く、右手で懐に入れた懐紙や小銭入れを出しやすいように「右前」になったといわれています。

また、「左前」は亡くなった人が着る「死装束」でするものなので、和服で左前にしてしまうのは縁起が悪いといわれています。

 

 

着物は、日本の民族衣装といわれていますが、現在は洋服の人が多く、着物を着る機会はめったにありません。

しかし、浴衣なら気軽に着られるかも・・・と思いませんか?

浴衣は暑い時期限定のものなので、夏祭りや花火大会だけではなく、ちょっとしたお出かけや、お部屋で寛ぐときにも着ることが出来たら素敵ですよね。

 

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