日本に昔からある伝統工芸品の「こけし」ですが、若い女性の間で人気があるようですね。
海外では、インテリアとして楽しむ人も多いらしく、商品を仕入れてもすぐに品切れになるという話も・・・
そんな「こけし」ですが、「子消し」が語源であるというちょっと怖い説が、ネット上を中心に出回っているそうです。
今回は「こけし」の由来や、ちょっと怖い説について調べて行きましょう。
Contents/目次
こけしとは?
人形玩具のひとつで、主に木製です。
一般的には、球形の頭部と円柱の胴だけのシンプルな形態をしており、顔や髪型、着物などを描いています。
伝統的なこけしは産地によって表情や模様、胴の形などに違いがあります。
こけしの由来と意味とは?

こけしは、江戸時代(1603年~1868年)末ごろ、に東北地方の温泉地で湯治客の土産物として誕生したといわれています。
最も古い物は、文政(1804年~1830年)に宮城県蔵王連峰の東麓の遠刈田(とおがった)で作られ始めたとされ、天保(1830年~1844年)ごろには福島県の土湯(つちゆ)でも作られるようになったそうです。
江戸時代末ごろ、木地師(きじし・ろくろを用いて椀や盆などの木工品を作る職人)が山から下りて湯治客と接することが多くなりました。
それまではお椀やお盆、仏器や神器などを作っていた木地師が、湯治客の需要が別にあると知り、彩色を施した製品を作り始めます。
湯治客の多くは、農民です。
農閑期になると日ごろの厳しい農作業で疲れた体を癒すために湯治に来ており、木地師が作ったこけしは心身回復と五穀豊穣、山の神と繋がる縁起物と考えられ、湯治を終えて自分の村に帰る時に土産として持ち帰るようになりました。
こけしは子どもの玩具としてだけではなく、縁起物として重宝されたのです。
こけしは、「伝統こけし」と戦後、全国の観光地などで作られるようになった「新型こけし」、さらに現代感覚を個性的に表現する「創作こけし」に大きく別けることができます。
伝統こけしの種類
伝統こけしは、こけしが誕生したときの様式に従って作られ、産地、形状、伝承経緯などにより約10種類の系統に分類されています。

土湯系(福島県)

伝統こけし三大発祥地のひとつ。
頭がはめ込み式で、首をまわすとキイキイと音が鳴ります。
胴の模様は線の組み合わせが主体です。
鳴子系(宮城県)

伝統こけし三大発祥地のひとつ。
頭がはめ込み式で、首をまわすとキイキイと音が鳴ります。
胴は中ほどが細く、菊の花を描くのが一般的です。
遠刈田(とおがった)系(宮城県)

伝統こけし三大発祥地のひとつ。
切れ長の細い目、なで肩の細い胴が特徴で、胴の花模様は菊や梅を重ねたものが一般的です。
弥治郎(やじろう)系(宮城県)

頭頂にベレー帽のような多色のろくろ模様が特徴で、胴にくびれがあります。
作並(さくなみ)系(宮城県・山形県)

山形作並系ともいい、山形を独立系として扱う場合もあります。
遠刈田から伝わった技をもとに発展したといわれています。
蔵王系(山形県)

遠刈田の影響を受けて発展したといわれています。
胴は、菊や桜のほかにもさまざまな草花を模様として描きます。
肘折(ひじおり)系(山形県)

鳴子と遠刈田の混合の系統として発展したといわれています。
にんまりした表情が特徴です。
木地山(きじやま)系(秋田県)

頭と胴を一本の木から作る「作り付け」の手法が特徴です。
胴は太く、縦縞の着物に梅の花の前垂れ模様を描いたものが一般的です。
南部系(岩手県)

「キナキナ」と呼ばれるおしゃぶりが原型といわれています。
頭部がゆるいはめ込み式で、クラクラと動きます。
津軽系(青森県)

頭と胴を一本の木から作る「作り付け」の手法が特徴です。
津軽藩の家紋である牡丹模様や、アイヌ模様、ねぶた絵が胴に描かれています。
新型こけしの種類

新型こけしは、全国の観光地で土産物として売られている「こけし人形」や、工芸的な「創作こけし」があります。
子消しが語源って本当?
こけしは、地域によって呼び名が異なっていました。
木で作った人形だから木偶(でく)という言葉をつかって「きでこ、でこころ、でくのぼう」、赤ちゃんがハイハイする様子を指す「這子(ほうこ)」という言葉から「きぼこ、こげほうこ」、芥子人形(けしにんぎょう・衣装を着た小さい木彫りの人形)という言葉から「こげす、けしにんぎょう」など、様々です。
「こけし」も戦前には「木偶子、木形子、木芥子、木削子、小笥子」など多くの当て字がありましたが、昭和15年(1940年)7月27日に、東京こけし会総会「第一回現地の集まり・鳴子大会」が開催され、ひらがな三文字の「こけし」に統一されました。

ところが、こけしの語源を「子消し」や「子化身」などの当て字をし、貧困のために堕胎した子どもを慰霊するため作られたとする説が、1965年ごろからいわれはじめました。
これは、詩人である松永伍一(まつなが ごいち)が創作童話の中で唱えたもので、これが引用されていろいろなところで書かれるようになり、テレビなどでも取り上げられました。
印象に残りやすい悲しい物語だったこともあり、一般的に広がってしまったといわれています。
しかし、この説を裏付けるものは存在せず、民俗学的には根拠のない俗説とされています。

こけしはもともと湯治客のお土産だったのですね。
「子消し」が語源という説も、根拠のない俗説といわれていますが、そういう悲しい時代が実際にあったことから、人々の間で広まったのかもしれません。
現在のこけしは、お土産としてだけではなく、インテリアとして人気があったり、各地のこけしをコレクションしてその違いを楽しんでいる人もいるようです。
表情がやさしい、かわいらしいこけしも増え、購入する人の心をくすぐるのかもしれませんね。