日本刀の歴史とは?有名な名刀ランキング!値段はいくら?

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日本刀

昔は、武器として使われていた日本刀。

現在は美術工芸品や文化財になっており、多くの人を魅了しています。

今回はそんな日本刀の歴史をわかりやすく解説し、有名な日本刀をランキング形式でご紹介します。

また、日本刀の値段はどれぐらいなのでしょうか?

 

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目次

日本刀とは?

 読み方は「にほんとう」です。

 

刀の数え方は「振り(ふり)」です。

一振り(ひとふり)、二振り(ふたふり)・・・と数えます。

刀は振るものであることが由来です。

関連:【ものの数え方の単位】変わった・特殊な・珍しい数え方と由来

 

刀を振る

 

「日本刀」とは、日本固有の鍛冶(かじ)製法によって作られた刀類の総称です。

鍛冶とは、金属に熱を加えて叩いたり打ったりして強くし、形を整えて刃物を始め、工具、農具などを作ることです。

刀を作る人のことを「刀鍛冶(かたなかじ)」や「刀工(とうこう)」といいます。

刀鍛冶

日本で作られた刀類全体(槍・薙刀を含む)を「日本刀」と呼ぶこともありますが、一般的に平安時代(794年~1185年)以降に作られ、片側のみに刃(は)があり、反りが付いているの刀のことを指します。

 

日本刀は以下のように分類されます。

「太刀(たち)」「打刀(うちがたな)」

太刀・打刀

長さが2尺(60.6㎝)以上のもので、重さは時代や大きさによって異なりますが、平均的な重さは刀身だけで600~700gです。

外装である拵(こしらえ)を含めると1~1.5㎏程度になります。

拵とは、拵

  • 刀身を納めるための鞘(さや)
  • 刀を掴む場所である柄(つか)
  • 刀身と柄の間につける金具の鍔(つば)

などのことです。

太刀と打刀

「太刀(たち)」とは、主に騎馬戦で使う刀で、馬上でも刀を抜きやすく、敵を切りやすくするために反りが強く、身につける時は、刃を下向きにして紐で吊るして腰に下げるのが特徴です。

長さが3尺(約90.9cm)以上のものを「大太刀(おおだち)」と呼びます。

 

「打刀(うちがたな)」は、「刀」ともいいます。

主に徒歩で戦うときに使う刀で、素早く刀を振り回せるように反りが弱く、身につける時は刃を上向きにして腰に差すのが特徴です。

 

脇差(脇指)

脇差

1尺(30.3㎝)以上、2尺(60.6㎝)未満のものをいいます。

室町時代~江戸時代の武士は腰に二振りの日本刀を差しており、長い方が刀、短い方が脇差です。

破損などにより刀が使えなくなった時の予備です。

平均的な重さは刀身だけで300~500gです。

拵を含めると500~700g程度になります。

 

短刀(たんとう)

短刀

1尺(30.3㎝)以下のものをいいます。

反りがほとんどない短い刀で、女性や子どもでも扱いやすいため護身用として重宝されました。

平均的な重さは刀身だけで100~200gです。

拵を含めると200~300g程度になります。

 

日本刀の歴史とは?

日本で刀と呼ばれる刃物が使われるようになったのは、弥生時代(紀元前3~5世紀ごろ~3世紀中ごろ)といわれています。

中国大陸から鉄器や青銅器が伝わり、3世紀ごろには鍛冶の技術も伝来していたようです。

弥生時代の遺跡で日本最古の王墓といわれる福岡県福岡市の吉武高木遺跡(よしたけたかぎいせき)からは銅製の剣が多数発見されています。

吉武高木遺跡 出土品

吉武高木遺跡 出土品

出典:wikipedia

3世紀中ごろの遺跡である福岡県久留米市の祇園山古墳(ぎおんやまこふん)では鉄製の剣が発見されています。

また、古墳時代(3世紀中ごろ~7世紀ごろ)から奈良時代(710年~794年)の古墳や遺跡からは、鉄製の剣が発見されています。

このころの日本刀は、反りのない直刀でした。

直刀

平安時代(794年~1185年)になると、直刀は次第に反りのある湾刀(わんとう)へと変化していきます。

このころに戦が、騎馬戦(きばせん)が主流になったことから、馬の上で刀を素早く扱えるように反りのある湾刀が作られるようになり、「太刀(たち)」と呼ばれるようになりました。

反りが大きいほど振り下ろした時の攻撃力が増し、騎馬戦では威力があったそうです。

 

 平安時代後期になると日本各地で戦が起こったため、刀の需要が増え、刀工たちが日本各地に工房を構えるようになります。

後鳥羽天皇

後鳥羽天皇

鎌倉時代(1185年~1333年)になると、武士が力を持つようになり刀の需要が増し、さらに後鳥羽天皇(ごとばてんのう・1180年~1239年、第82代天皇)が番鍛冶(ばんかじ)の制度を作ったことで日本刀の黄金期を迎えます。

番鍛冶とは、後鳥羽天皇の命令によって集められた刀工たちのことです。

諸国からなどから技術の優れた刀工を招き、1か月交代で刀を作らせました。

日本刀の目利きができ、自ら日本刀を作ったともいわれている後鳥羽天皇は、武士の士気を高めることや、日本刀の技術継承・向上を目的に番鍛冶制度を作ったと考えられています。

 

室町時代(1336年~1573年)後期ごろになると、戦は徒歩の集団戦が主流になります。

 

打刀

 

そのため、目の前の敵に素早く刀を振り回せるように、太刀とは逆に刃を上にして腰帯に差す打刀(うちがたな)が多くなりました。

打刀は日本刀の主流となり、打刀と脇差を腰帯に差すスタイルもこのころ生まれたようです。

打刀と脇差

安土桃山時代(1573年~1603年)は1560年の桶狭間の戦いや1600年の関ケ原の戦いなど、歴史上でも有名な戦が数多く繰り広げられ、刀の需要は高まりました。

このころは、交通が発達したことから良質な鉄の入手が可能となり、各地の刀工は江戸や大坂など城下町へ移住し、藩主や武士のために品質が良い刀を多く作りました。

江戸時代(1603年~1868年)になり、戦がない平和な世の中になると、実戦で日本刀を使うことはほぼ無くなっていました。

武士は剣術を学ぶことが推奨されていたので日本刀を持ち、贈答品としても重宝されていましたが、実戦で使われないことで需要はそれほど多くなく、刀工たちの多くは剃刀(かみそり)や包丁などを作る職人へと転職していきました。

幕末になると、アメリカから開国を促され、幕府を倒そうとする運動が活発になると、刀工たちは武士の需要にこたえるため、実戦に向いた日本刀が多く作られました。

明治9年(1876年)に廃刀令(はいとうれい)が発令されたことで、日本刀の需要はほとんどなくなり、刀工たちは職を失いました。

廃刀令とは、最上級の正装である大礼服(たいれいふく)や、軍人・警察官の制服着用時以外は、刀剣の携帯を一切禁止するというものです。

 

昭和(1926年~1989年)になり、第二次世界大戦がはじまると、日本刀の需要が高まり再び作られるようになりましたが、この日本刀は軍事用に機械によって大量生産されたもので、本来の日本刀の鍛冶製法ではないため「昭和刀」と呼ばれ区別されています。

第二次世界大戦後、日本の非武装化を求めたGHQ(連合軍総司令部)は日本刀を武器とみなし、民間からすべての武器を取り上げるために日本刀も没収され、多くの日本刀が処分されました。

しかし、日本政府は「日本刀は武器ではない」と主張し、GHQに美術的価値や文化財としての保護を訴えました。

その結果、日本刀は登録制による所持が可能となりました。

居合道

 

現在は、居合道(いあいどう)や抜刀道(ばっとうどう)など武道の道具としてや、美術品としての目的であれば、制作や所持が認められています。

 

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有名な日本刀の名刀ランキング!

日本刀は数多くありますが、その中でも有名なものをランキングしてみました!

 

1位 正宗(まさむね)

正宗(生没不明)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に活躍し、「相州伝(そうしゅうでん)」と呼ばれる作風を確立した刀工の名前です。

相州伝とは、相模国(さがみのくに・現在の神奈川県)で誕生し、多くの刀が中反り(なかぞり)です。

中反りとは、反りの中心が刀身のほぼ中央にあることをいいます。

刃文

刃文

また、刃文(はもん)の焼幅(やきはば)が広いのも特徴です。

刃文とは、焼き入れ(やきいれ)を経て生まれる模様です。

焼き入れとは、日本刀を作る際に高温に熱した鉄を水の中に入れ、急激に冷やす工程のことです。

正宗が作った日本刀を「正宗」と呼び、数多くの名刀を残しています。

その中でも特に以下の二振りが有名です。

 

刀無銘伝正宗(かたなむめいでんまさむね)

孝明天皇(こうめいてんのう・1831年~1867年、第121代天皇)が所持していた日本刀です。重要文化財に指定されていますが、所在不明です。

外部リンク:刀〈無銘伝正宗/〉

 

石田正宗(いしだまさむね)

戦国時代の武将、石田三成(いしだみつなり・1560年~1600年)の所持品だったことが名前の由来です。切り込みの跡が残っていることから石田切込正宗(いしだきりこみまさむね)や切込正宗(きりこみまさむね)とも呼ばれています。

重要文化財に指定されており、東京都台東区の東京国立博物館が所蔵しています。

外部リンク:刀_無銘_正宗(名物石田正宗)

 

2位 村正(むらまさ)

村正は、室町時代後期から江戸時代中期にかけて、6代にわたり日本刀を作った刀工の名前です。

村正が作った日本刀を「村正」と呼びます。

「妖刀(ようとう)村正伝説」があるため、「村正」の知名度はとても高く特定の一振りを指しているわけではないようです。

 

妖刀村正伝説とは、以下のような話です。

●徳川家康(とくがわいえやす・1543年~1616年、江戸幕府初代将軍)の祖父が家臣に殺害されたが、その時の日本刀が村正だった。

 

●家康の父も家臣に斬られ、その傷がもととなり命を落とすが、その時の日本刀が村正の脇差だった。

 

●家康が幼少期に小刀で手を負傷したが、その小刀が村正だった。

 

●家康の妻と長男が切腹をした際、介錯(かいしゃく)に使われたのが村正だった。

 

●家康の強敵といわれていた真田幸村(さなだゆきむら・1567年~1615年)が使っていたのが村正だった。

これらの話から、村正は徳川将軍家に災いをもたらす呪いの刀といわれるようになり、家臣たちも村正を所持することを避けるようになったそうです。

 

3位 三日月宗近(みかづきむねちか)

平安時代中期に三条(現在の京都市中京区)を拠点に活躍した刀工である三条宗近(生没不明)が作った日本刀です。

日本刀の中でも最高傑作と呼ばれる天下五剣(てんかごけん)の一振りです。

天下五剣の中で最も美しいのが三日月宗近で、「名物中の名物」といわれています。

国宝に指定されており、東京都台東区の東京国立博物館が所蔵しています。

天下五剣は、他に以下のものがあります。

外部リンク:刀剣 – 展示・催し物

 

童子切安綱(どうじぎりやすつな)

詳細は5位で説明します。

 

鬼丸国綱(おにまるくにつな)

鎌倉時代の刀工である粟田口国綱(あわたぐちくにつな・生没不明)が作りました。

御物(ぎょぶつ・私有財産)として皇室が所蔵しています。

 

大典太光世(おおでんたみつよ)

平安時代の刀工である三池典太光世(みいけてんたみつよ・生没不明)が作りました。

室町幕府初代将軍である足利尊氏の愛刀であり、十五代将軍足利義昭が豊臣秀吉へ贈り、その後前田利家に贈られたとされています

東京都目黒区にある公益財団法人前田育徳会が所蔵

外部リンク:太刀〈銘光世作(名物大典太)/〉

 

数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)

鎌倉時代の刀工である青江恒次(あおえつねつぐ・生没不明)が作りました。

兵庫県尼崎市にある本興寺に所蔵されています。

外部リンク:本興寺 太刀銘恒次(数珠丸)

 

4位 へし切長谷部(へしきりはせべ)

南北朝時代に山城国(やましろのくに・現在の京都府)の刀工である長谷部国重(はせべくにしげ・生没不明)が作った日本刀です。

織田信長から豊臣秀吉へ渡り、豊臣秀吉の軍師であった黒田孝高(くろだよしたか・1546年~1604年)に下賜(かし)されました。

下賜とは、高い身分の人が低い身分の人に物を与えることです。

福岡藩の黒田家で家宝として保管され、昭和53年(1978年)に黒田家から福岡市へ寄贈されました。

国宝に指定されており、福岡県福岡市の福岡市博物館が所蔵しています。

外部リンク:刀 名物「圧切長谷部」

 

5位 童子切安綱(どうじぎりやすつな)

平安時代中期に伯耆国(ほうきのくに:現在の鳥取県)の刀工大原安綱(おおはらやすつな・生没不明)が作った日本刀です。

天下五剣(てんかごけん)の一振りです。

平安時代後期に、武将である源頼光(みなもとのよりみつ・948年~1021年)が酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼を斬った伝説が名前の由来です。

国宝に指定されており、東京都台東区の東京国立博物館が所蔵しています。

外部リンク:太刀 銘安綱(名物童子切安綱)

 

日本刀の値段はどれぐらい?

日本刀の値段はさまざまです。

手ごろなものは10万円程度で販売されています。

有名な刀工が作ったものや、古くて保存状態が良い物などは数百万円以上~数千万円になります。

 

ここでは史上最高額の日本刀をご紹介します。

 

山鳥毛(さんちょうもう・やまとりげ)

値段は5億円です。

鎌倉時代に栄えた「備前福岡一文字派」の作品と考えられている名刀です。

山鳥毛が作られたのは岡山県瀬戸内市といわれており、瀬戸内市では地元で生まれた名刀を買い戻すための「山鳥毛里帰りプロジェクト」が発足され、日本だけではなく海外からもプロジェクトに賛同する人々の寄付によって、2020年(令和2年)に個人所有者との間で売買契約が成立し5億円で取引されました。

国宝に指定されており、岡山県瀬戸内市が所有しています。

外部リンク:国宝「太刀 無銘 一文字(山鳥毛)」について

 

大包平(おおかねひら)

値段は2億6,000万円です。

昭和42年(1967年)に当時の文部省が個人所有者から購入し、その時の値段は6.500万円でした。

現在の貨幣価値に換算するとおよそ2億6,000万円です。

山鳥毛が5億円で取引される前は、大包平が最高額の日本刀でした。

平安時代末期の刀工一派である「古備前派」に所属する包平(かねひら)という刀工の作品です。

包平は、以前はひとりの刀工の名前と考えられていましたが、現在は複数の刀工が「包平」と名乗ってグループ活動していたと考えられています。

国宝に指定されており、東京都台東区の東京国立博物館が所蔵しています。

日本刀は古い歴史があり、時とともに変化しながら現在まで続いていることがわかりましたね。

現在は武器ではなく美術品や文化財としての役割が大きく、日本国内だけではなく海外にも多くのファンがいます。

日本刀は、日本各地の博物館や美術館、お寺や神社、お城などで見ることができます。

常設していることもあれば、期間限定で展示されていることもありますので、事前にどこでなにが展示されているのか確認しておくと良いですね!

 

関連:【社会人の常識】似ている言葉の意味の違い一覧!

 

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