平成31年(2019年)4月31日に天皇陛下が退位され、翌日の令和元年5月1日に今上天皇(きんじょうてんのう・現在の天皇)が即位なさいました。
明治、大正、昭和、平成の場合、天皇が崩御なさってから新しい天皇が即位されていましたが、令和は「生前退位」という形での新天皇即位となりました。
今回は、生前退位とはなにか、生前退位をすることでどうなるのかについてわかりやすく解説します。
生前退位とは?
本来、逝去に伴い後継者に引き継ぐ場合がほとんどである地位において、存命中に退位することです。
海外の王室では、国王の意思で存命中に地位を譲ることは珍しくなく、高齢や健康上の配慮という理由で生前退位しています。
2013年1月にオランダ王室では、在位33年(当時74歳)のベアトリックス女王が退位を表明し、同年4月にウィレム・アレクサンダー王太子に王位を譲りました。
オランダでは憲法で退位時の継承方法を定めており、3代続けて自ら退位しています。
ほかに、2014年6月にスペインのフアン・カルロス1世が、76歳という高齢で健康不安を抱えていたことから国王を退位しました。このとき、政府は必要な法改正を速やかに進めたそうです。
また、2013年7月にベルギーのアルベール2世が、79歳という高齢と健康上の理由から退位しました。ベルギー王室ができて以来、国王が自発的に退位するのは初めてだったそうです。
王室ではありませんが、2013年にバチカンのローマ法王ベネディクト16世が85歳で生前退位したことも大きなニュースになりましたね。これはローマ法王としては600年ぶりのことだったそうです。
日本では、皇位継承については皇室典範第1章4条に「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし・天皇や皇帝の跡継ぎのこと)が、直ちに即位する」とだけ記載されており、生前退位についての記載がありません。
そのため、生前退位をするためには皇室典範の改正も含めた検討が必要になるということで、話し合いを重ね、平成29年(2017年)6月に、今回に限って生前退位を認める特例法が成立しました。
元号(年号)はどうなるのか?
「元号(げんごう)」とは、特定の年代に付けられる称号のことで「年号(ねんごう)」と呼ばれることもあります。
慶応4年(1868年)を明治元年に改元(元号を改めること)したときに、一世一元と決められました。
一世一元とは、ひとりの天皇にひとつの元号ということで、在位中は元号が変わることはありません。
現在の元号の決め方は、昭和54年(1979年)に成立した元号法によって定められています。
元号法には「第1項:元号は、政令で定める。第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める(一世一元の制)」と書かれています。
ということで、生前退位のあと皇太子殿下が天皇陛下に即位すれば、新しい元号に変わることになります。
今回は、平成31年(2019年)4月30日に天皇陛下が生前退位され、翌日5月1日に皇太子殿下が新天皇に即位されましたので、5月1日から新元号「令和」が施行されました。
今上天皇の天皇誕生日が祝日になるのはいつから?
天皇誕生日は、国民の祝日に関する法律によって「天皇の誕生日を祝う」ことを趣旨としています。
今上天皇(きんじょうてんのう・現在の天皇)の誕生日は2月23日ですので、この日が祝日になります。
令和元年(2019年)の2月23日は存在しませんので、今上天皇の最初の「天皇誕生日」は令和2年(2020年)2月23日ということになります。
今までの天皇誕生日はどうなるの?
今上天皇が即位されたことで、生前退位をなさった天皇は「上皇(じょうこう)」となられました。
それでは今まで天皇誕生日だった上皇陛下の誕生日である12月23日は今後どうなるのでしょうか?
その前に今までの明治天皇以降の歴代天皇の誕生日がどうなったのか見ていきましょう。
明治天皇の誕生日11月3日は現在「文化の日」となっています。
明治時代(1868年~1912年)には「天長節(天皇誕生日のこと)」という祝日でした。
明治天皇が崩御されると、国民が「明治天皇が近代日本の礎を築いた功績を後世に伝えていくために11月3日を祝日としてほしい」という運動を起こし、昭和2年(1927年)に「明治節」という名称で祝日になりました。
しかし、敗戦後の昭和22年(1947年)、当時日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、「明治節」を廃止しました。
日本弱体化を考えていたGHQは、天皇と国民の繋がりを少しでも排除しようとしたのでしょう。
明治節が廃止された後、11月3日を「憲法記念日」にしようという動きがありました。
日本国憲法の前の大日本帝国憲法の公布日は2月11日です。
2月11日は「建国記念の日」ですが、もともとは「紀元節」といって、日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日です。
神武天皇の即位日という、縁起の良い日を選んで大日本帝国憲法を公布したことに倣(なら)って、新憲法(現在の日本国憲法)の公布日を明治節である11月3日にしたともいわれています。
そして、公布日である11月3日を「憲法記念日」にするという話があったそうです。
しかし、11月3日は明治節でもあったため、天皇と国民の繋がりを少なくさせたいと考えているGHQは、国にとって重要な憲法記念日と、明治天皇の誕生日を結びつけたくなかったので強く反対しました。
そのかわり「憲法記念日じゃなければいい」ということで、「文化の日」が祝日に加えられたそうです。
昭和23年(1948年)、近代文化が目覚ましい発展を遂げた明治の時代を念頭に「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨とし「文化の日」が定められました。
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大正天皇の誕生日は8月31日です。
しかし、8月31日は祝日として残っていません。なぜでしょう?
大正天皇が崩御されたあと「名称を変えて残そう」という運動がなかったことや、大正時代は15年間と短かったこと、明治天皇や昭和天皇のように後世に伝えたい偉業がないなど、さまざまな考え方があるようですが、祝日法で定められなかっただけのことです。
昭和天皇の誕生日であった4月29日は、ゴールデンウィークを構成する祝日となっていたことから、国民生活への影響が懸念され「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨とした「みどりの日」という祝日として残ることになりました。
その後、昭和天皇とともにあった昭和という激動の時代を忘れないためにも「昭和の日」としようという動きがあり、国民の要望もあったことから、平成17年(2005年)の祝日法改正により、4月29日は「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日に移動しました。
このように、明治天皇や昭和天皇の誕生日が祝日となっているのが特別と考えたほうが良いのかもしれません。
それでは上皇陛下の誕生日だった12月23日はどうなるのでしょうか?
平成29年(2017年)12月21日に政府は、退位後の12月23日は、当面の間は平日にする検討に入ったと発表しました。
この発表では菅官房長官(当時)は「どのような日を祝日にするかは多様な論点があり、皇位継承後の12月23日を平日とするのか、あるいは新たな国民の祝日とするかは国民各層の幅広い議論が必要だと思っている」と述べました。
12月23日を「上皇誕生日」として祝日にした場合、「二重権威」ともなりかねないため、当面は平日にするのがふさわしいとの指摘もあります。
令和元年(2019年)から令和4年(2022年)の12月23日は平日、令和5年(2023年)は土曜日、令和6年(2024年)と令和7年(2025年)は平日です。
今後も平日が続くと予想されますね。
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