新元号が「令和(れいわ)」と発表されたのはいつだったでしょうか?
また、「令和」の施行はいつだったでしょう?
新元号の決め方や、予想や候補などが何だったかなどについて振り返ってみましょう。
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新元号はいつから?

今上天皇が即位された2019年5月1日から「令和」が施行されました。
平成という元号は平成31年(2019年)4月30日をもって幕を閉じ、2019年5月1日から「令和」という元号になりました。
新元号の発表はいつ?
政府は皇太子殿下が新天皇に即位される2019年5月1日の改元を前に、新元号を4月1日に閣議決定し「令和」と公表しました。
「元号(げんごう)」とは、特定の年代に付けられる称号のことで「年号(ねんごう)」と呼ばれることもあります。
慶応4年(1868年)に明治元年に改元(元号を改めること)したときに、一世一元と決められました。
一世一元とは、ひとりの天皇にひとつの元号ということで、在位中は元号が変わることはありません。
昭和から平成に改元したときは、昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇が崩御され、その日のうちに「平成」の発表されました。
このように大正、昭和、平成は、天皇が崩御され皇位継承があってから新元号の発表されていました。
しかし、新元号「令和」は皇位継承の一か月前に発表されました。
これは、「在位中は元号は変わらない」というルールは変えず、国民生活に大きな影響を与えないために事前に発表することに決めたのだそうです。
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新元号の決め方とは?
現在の元号の決め方は、昭和54年(1979年)に成立した元号法によって定められています。
元号法には、
第1項:元号は、政令で定める。
第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める(一世一元の制)
と書かれています。
具体的には、内閣総理大臣が数名の有識者に委任し、それぞれが2~5個の候補を提出し、内閣官房長官が提出されたものを検討、整理し、結果を内閣総理大臣に報告します。
このとき、いくつかの条件があるようです。
●国民の理想としてふさわしいような意味を持つものであること
●漢字2字であること
●書きやすいこと
●読みやすいこと
●これまでに元号または諡(おくりな)として用いられたものでないこと
●俗用されているものでないこと
※諡とは、天皇がお亡くなりになられた後に贈られる称号のことです。
その後、総理府総務長官、内閣官房長官、内閣法制局長官らによって精査され、数個の案を選定し、全閣僚会議で新元号の原案について協議し、閣議において改元の政令の決定という形で決められます。
新元号の予想、候補はあるの?
明治・大正・昭和・平成がアルファベットでM・T・S・Hと略されて使われる場面がありますよね?
そのため、新元号はこれらのアルファベットではないものになる・・・といわれていました。
※新元号は「令和(R)」となりましたのでM・T・S・Hではないものになりましたね。

政府は新元号の候補については一切発表をしていませんでした。
そのため、ネット上ではさまざまな予想がされていました。
多くの人が予想したのは「安」という漢字が使われるのではないか?ということでした。
理由としては「安らかに暮らせる時代」という希望からです。
結局、新元号は「令和」になったため「安」という漢字は使われませんでした。
※新元号を「令和」と予想した方がひとりだけいたということで話題になっていましたが、ほとんどの方にとって予想外の元号になったのではないでしょうか?

昭和天皇が崩御された後、新元号が「平成」と発表されたときは、日本中が悲しみに包まれていました。
おそらく、崩御なさる前から新元号の検討は行われていたと思いますが、それは「昭和天皇が崩御なさるかもしれない」という苦しい気持ちを抱いてのものだったでしょう。
しかし、今回は天皇陛下がお元気なときに、新元号をあれやこれやと予想することができましたよね。
「平成」という元号は、平成31年(2019年)4月30日に幕を閉じ、5月1日から新しい「令和」という元号の時代が始まったのです。
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