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新紙幣はいつから?渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎とはどんな人物?

      2019/04/15


 

2019年4月9日、政府が1万円札、5千円札、千円札のデザインを刷新すると発表しましたね。

新紙幣はいつから使用されるのでしょう?

また、新紙幣の肖像として挙がっている、「渋沢栄一」「津田梅子」「北里柴三郎」とはどんな人物なのでしょう?

新紙幣がいつ発行されるのか、デザインはどうなるのか、現時点でわかっていることを調べてみました!

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日本の紙幣の歴史とは?

日本で最初の紙幣は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう・1288年~1339年)が1334年に発行したと「建武記(けんむき)」という書物に書かれていますが、現物が残っていないため実際に発行されたのかどうか疑問視されています。

 

現存する最古の紙幣は、江戸時代の1610年ごろに伊勢(現在の三重県)の商人が発行した「山田羽書(やまだはがき)」という紙幣です。山田羽書は明治時代のはじめまでの約250年間に渡り、伊勢周辺で流通していました。

 

また、江戸時代には各藩が財政難の打開策として「藩札(はんさつ)」を発行しました。

「藩札」とは、藩の中でのみ通用する通貨ですが、江戸幕府が正規の通貨としていた金貨・銀貨・銅貨と交換することも可能でした。

最初に発行したのは1661年の越前(現在の福井県)だといわれています。

江戸時代には、藩だけではなく、旗本が発行した「旗本札(はたもとさつ)」、各地の町や村が発行した「町村札(ちょうそんさつ)」、商家など個人が発行した「私人札(しじんさつ)」などがありましたが、これらは日本全国で通用するものではなかったようです。

 

日本全国で通用する紙幣が作られたのは、明治時代(1868年~1912年)になってからです。

明治元年(1868年)に日本初の全国で通用する紙幣である「太政官札(だじょうかんさつ)」が明治政府により発行されました。

太政官札は単純な作りだったため偽造されることが多く、偽札が出回ったことなどからなどから流通させるのが難しかったようです。

 

明治5年(1872年)にはドイツに依頼して「明治通宝(めいじつうほう・通称ゲルマン紙幣)」を作り発行しました。

これと並行して銀行制度が整備され、政府発行の紙幣は明治32年(1899年)に廃止され、銀行が取り扱う「銀行券」へと変わりました。

 

明治6年(1873年)に国立銀行条例によって第一国立銀行(現在のみずほ銀行)が設立され、その後次々と国立銀行が開業し、それぞれが「銀行券」を発行しました。

 

明治15年(1882年)には日本銀行が設立され、日本銀行が独占して「日本銀行券」を発行するようになりました。

日本の流通する紙幣は正式名称は「日本銀行券」といい、日本銀行が発行しています。

 


 

日本の紙幣の最初の人物肖像は明治14年(1881年)に発行された一円紙幣で、「神功皇后(じんぐうこうごう)」の肖像が描かれていました。

その後、菅原道真(すがわらのみちざね)や藤原鎌足(ふじわらのかまたり)、聖徳太子(しょうとくたいし)など多くの偉人が紙幣の肖像となりました。

また、第二次世界大戦後はGHQの指示により聖徳太子の肖像を除いて使用できなくなったため、明治期の政治家の肖像画が描かれました。板垣退助(いたがきたいすけ)、岩倉具視(いわくらともみ) 高橋是清(たかはしこれきよ)、伊藤博文(いとうひろぶみ)などです。

近年では福沢諭吉(ふくざわゆきち)、新渡戸稲造(にとべいなぞう)、夏目漱石(なつめそうせき)など文化人から選ばれています。

 

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新紙幣はいつから?

紙幣はこれまでに20年周期で刷新されてきました。

その最も大きな理由は「偽造防止」のためだといわれています。

日本の紙幣の偽造防止技術は大変優れていますが、どんな技術でも時間がたてば偽造される可能性があるため、最新技術を導入することで偽造を防いでいるんですね。

 

また、もうひとつ大きな理由が「技術の継承」だといわれています。

「適当なタイミングでデザインを変えないと、新紙幣をつくる技術の継承もできなくなる」ということで20年周期で刷新が行われているのです。

 

現在、私たちが使用している紙幣は、平成16年(2004年)11月1日に新しいデザインで発行されたもので、人物の肖像は以下の通りです。


一万円札 福沢諭吉(1835年~1901年、教育家、慶應義塾の創始者) 裏は平等院の鳳凰像
五千円札 樋口一葉(1872年~1896年、小説家であり歌人) 裏は尾形光琳(おがたこうりん)の燕子花図(かきつばたず)
千円札 野口英世(1876年~1928年、医学者、細菌学者) 裏は逆さ富士
 

その前は昭和59年(1984年)11月1日で、人物の肖像は以下の通りでした。


一万円札 福沢諭吉(1835年~1901年、教育家、慶應義塾の創始者) 裏は国鳥である雉(きじ)
五千円札 新渡戸稲造(1862年~1933年、教育者、思想家) 裏は逆さ富士
千円札 夏目漱石(1867年~1916年、小説家、英文学者) 裏はタンチョウ

一万円札は40年間「福沢諭吉」が肖像として使われており、肖像を見比べても違いがあまりわかりませんが、偽造防止のための技術が異なるそうです。

 

さらに前になると、昭和33年(1958年)に一万円札、昭和32年(1957年)に五千円札、昭和38年(1963年)に千円札が発行されています。


一万円札 聖徳太子(574年~622年、飛鳥時代の皇族) 裏は鳳凰
五千円札 聖徳太子(574年~622年、飛鳥時代の皇族) 裏は日本銀行
千円札 伊藤博文(1841年~1909年、日本の初代内閣総理大臣) 裏は日本銀行

新紙幣のデザインとは?

●新一万円札

新一万円札の肖像は「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」です。紙幣の裏側には東京駅の丸の内駅舎が描かれます。東京駅は、明治・大正を代表する建築物であることが大きな理由だそうです。


出典:財務省ウェブサイト https://www.mof.go.jp/currency/bill/20190409.html


●新五千円札

新五千円札の肖像は「津田梅子(つだうめこ)」です。紙幣の裏側には藤の花が描かれます。


出典:財務省ウェブサイト https://www.mof.go.jp/currency/bill/20190409.html



 

 
●新千円札

新千円札の肖像は「北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)」です。紙幣の裏側は葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」が描かれます。


出典:財務省ウェブサイト https://www.mof.go.jp/currency/bill/20190409.html



 

今回、政府は令和6年(2024年)に新紙幣を発行する予定であると発表していますが、具体的な日にちまではまだわかりません。

 

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渋沢栄一とはどんな人物?

「渋沢栄一(しぶさわえいいち・1840年~1931年)」は「日本資本主義の父」と呼ばれています。

武蔵国(現在の埼玉県深谷市)で豪農の長男として生まれ、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ・後の徳川慶喜。江戸幕府最後の将軍)に仕え幕臣となります。

明治時代になると明治政府の官僚を経て実業家となり、生涯で500余りの会社を設立に関わり、日本の政財界に大きな影響を与えました。

渋沢栄一が設立に関わった会社は現在の「東京ガス」「王子製紙」「みずほ銀行」など多く残っています。

また、現在の「一橋大学」や「日本女子大学」などの設立にも携わっており、孤児や貧しい人を保護する施設を設立するなど、教育や社会事業にも尽力しました。

 

津田梅子とはどんな人物?

「津田梅子(つだうめこ・1864年~1929年)」は、津田塾大学の創始者で、日本の女子教育の先駆者です。

江戸牛込(現在の東京都新宿区)で幕臣の次女として生まれ、父は江戸幕府が崩壊してからは北海道開拓使となります。

明治4年(1871年)、父が梅子を女子留学生に応募したことで、6歳だった梅子は岩倉使節団の留学生としてアメリカへ行きます。

明治6年(1873年)にキリスト教の洗礼を受け、初等・中等教育を卒業後は、明治11年(1878年)に私立の女学校へ進学し、ラテン語やフランス語、心理学や芸術などを学ました。

明治15年(1882年)7月に日本へ帰国すると英語教師として働きます。

明治22年(1889年)から3年間、再びアメリカへ留学し、日本に帰国後、現在の学習院女子中・高等科で教師として働きます。そして、女子の教育への関心が高まった明治33年(1900年)に女子英学塾(現在の津田塾大学)を創設しました。

花嫁修業(料理や裁縫、所作など)が中心だったこの時代、女子英学塾を設立したことは革新的なことでした。

女子英学塾は独自の教育方針を貫き通すために、資金援助を最小限にとどめました。そのため経営はとても厳しく体調を崩してしまうほどだったのですが、梅子は日本女性の自立を目指し、女子の高等教育に尽力しました。


北里柴三郎とはどんな人物?

北里柴三郎(きたざとしばさぶろう・1853年~1931年)は、ペスト菌の発見や、破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献し、「日本の細菌学の父」と呼ばれています。

肥後国(現在の熊本県阿蘇郡)の庄屋の家に生まれ、明治8年(1875年)に現在の東京大学医学部へ進学します。

在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信し、予防医学を生涯の仕事とする決意をし、明治16年(1883年)に内務省衛生局に就職します。

明治18年(1885年)にドイツベルリン大学へ留学し、病原微生物学研究の第一人者であるコッホに師事しながら研究に励み、明治22年(1889年)に世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功しました。さらにその毒素に対する免疫抗体を発見し、それを応用して血清療法という画期的な手法を開発し世界的な研究者となりました。

明治25年(1892年)に日本に帰国、福沢諭吉の援助によって設立された、私立伝染病研究所の初代所長となり、伝染病予防と細菌学に取り組みます。

明治27年(1894年)、ペストが蔓延していた香港に派遣され、ペストの原因調査中にペスト菌を発見しました。

大正3年(1914年)に伝染病研究所が東京大学の下部組織になると同時に柴三郎は所長を辞任し、私費を投じて私立北里研究所(現在の社団法人北里研究所、北里大学の母体)を設立し、狂犬病や赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。

大正6年(1917年)に慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部部長、付属病院長となり、日本医師会などの医学団体や病院の設立などに尽力しました。

 

 

新紙幣の発行は、2024年なのですね。

発行するためには5年程度の準備期間が必要ということで、2019年に発表されたそうですよ。

新紙幣が発行されることで「旧紙幣が使えなくなるので回収します」といった詐欺行為が行われるのではないかと心配されています。

新紙幣が発行されても、現在使われている紙幣は問題なくそのまま使うことができますので、くれぐれもご注意くださいね!

 

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