お盆時期に長崎県では「精霊流し」という行事があります。
このとき、爆竹をたくさん鳴らすので初めて見た人はびっくりしてしまうそうですよ。
この爆竹にはどんな意味があるのでしょうか?
今回は、長崎の精霊流しについてわかりやすく解説します。
精霊流しとは?
読み方は「しょうろうながし」です。
精霊流しは、初盆(はつぼん・亡くなった方の初めてのお盆)を迎えた遺族が行います。
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どのような行事かというと、
初盆に帰ってきていた故人の霊を8月15日に再び極楽浄土へ送り出すため、遺族が提灯や花などで飾った「精霊船」を作成し、故人の霊を乗せ「流し場」と呼ばれる終着点まで運ぶ行事です。
精霊船には、長崎特有の飾りつけがあります。
精霊船の先端に突き出した波切のことを「みよし」といいます。
これは、水押(みおし)が転じて「みよし」になったといわれています。
みよしの中にはろうそくや電球を灯し、家紋や名前を書いた紙を貼り、夜でも見分けられるようになっています。
精霊流しでは、家紋などを描いた「印灯籠(しるしとうろう)」が先頭を進みます。
次に「鉦(しょう・金属製の皿状の楽器)」をチャーンチャーンと打ち鳴らしながら歩きます。
その後に、ハッピ姿の縁者が精霊船を引き、正装した遺族が続きます。
このとき、鉦の音にあわせて「ドーイドイ」と掛け声が唱えられますが、これは「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」がなまったものだといわれています。
長崎の精霊流しの歴史と由来とは?
精霊流しの歴史と由来ついては、諸説あるようです。
中国の「彩舟流し」が由来という説
中国の「彩舟流し(さいしゅうながし)」が由来という説があります。
彩舟流しは、江戸時代(1603年~1868年)ごろに貿易や通訳のために中国から日本へやってきた「唐通事(とうつうじ)」と呼ばれる人たちが日本で亡くなった際、その霊を弔(とむら)うために行われていました。
彩舟流しは、毎年行われる「小流し」と20年~30年に一度行われる「大流し」があります。
「小流し」は、4m程の船を作り、その年に亡くなった人々を供養して海に流すことで今後事故がないように安全祈願を行ったそうです。
「大流し」は、実物大の船を作って港を回った後に浜で船を焼いて、亡くなった人々を弔ったそうです。
「万灯流し」が由来という説
全国各地で行われている小舟にちょうちんを置いて流す「万灯流し(まんとうながし)」が、長崎で独特の変化を遂げ「精霊流し」になったのではないかといわれています。
「長崎名勝図絵」の記録が由来という説
「長崎名勝図絵(ながさきめいしょうずえ)」という書物には、江戸時代享保年間(1716年~1735年)の頃に、「物好きな男が小舟に供物を積んで流した」と記されています。
それをほかの人たちが真似をしたことから精霊流しが始まったという説があります。
儒学者の「盧草拙」が由来という説
同じく享保の頃、長崎の中島聖堂の学頭(がくとう)をしていた儒学者の「盧草拙(ろうそうせつ)」が、市民が死者へのお供え物を菰(こも・藁などで編んだむしろ)に包んで流しているのを見て、
「これでは霊に対して失礼ではないか」
ということで、小舟に乗せて流したのが起源であるという説もあります。
以上のように諸説いろいろありますが、未だ定説はないようです。
爆竹の意味とは?
精霊流しで爆竹が使われるのは、彩舟流し(さいしゅうながし)の唐通事(とうつうじ)の風習が影響しているようです。
中国で爆竹は魔除けの意味があるため、精霊船が通る道を清めるために爆竹を鳴らしたことが由来といわれています。
しかし、近年は「派手に鳴らしてやろう」という意味合いが強くなり、その危険行為が問題視されているそうです。
そのため、交通整理にあたる警察官たちも、爆竹が鳴る時は耳栓をしているそうです。
それくらいものすごい音がするのでしょうね。
精霊流しが行われる周辺のコンビニでは耳栓が売られているようですので、見に行く際は忘れずに準備しておくといいですね。
場所は長崎市中心部で、日程は毎年8月15日の17時ごろ~22時ごろです。
ただし、一斉に17時ごろ始まるわけではないので、家庭によっては昼過ぎに爆竹を鳴らして精霊流しをすることもあるそうです。
公共交通機関を利用して、早め早めに行動するといいですね。
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