「短歌(和歌)」は『万葉集』以来1300年もの長い間、たくさんの人によって詠われてきました。
人がまだ文字を持たなかった頃、人の口から口へと伝えられた口承文学。
その中から次第に五・七・五・七・七の短歌のリズムが生まれ、文字の発展とともに、日本独自の伝統的な詩のスタイルとなっていきました。
奈良時代から現代まで詠まれている短歌・和歌の魅力、それは、いつの時代も変わらない「人の心」を表現していることです。
自然に触れて感動したり、恋に悩んだり、孤独を悲しんだり、そんな日常に溢れる感情を、親しみやすいリズムで詠んでいることこそが、短歌・和歌の魅力なのでしょう。
今回は、短歌と和歌の違いと歴史をご紹介します。
また、短歌・和歌のルールや決まり、修辞法についてわかりやすく解説します。
短歌と和歌の違いと歴史とは?
五・七・五・七・七の三十一文字(みそひともじ)で表現する短歌(和歌)。
奈良時代に誕生した短歌はその頃、
「短歌」
「長歌」
「旋頭歌」
「仏足石歌」
「片歌」
という五七調の歌(五音と七音を基調とした歌)を全て含めた形で「和歌」と呼ばれていました。
それが平安時代に入ると、「短歌」以外の歌の文化が廃れていき、「和歌」というと自然と「短歌」の形式の歌を指すようになっていきました。
「和歌」の特徴は、まず、歌の中に修辞法が多く用いられていることが挙げられます。
当時、貴族やエリート層の人々にとって「和歌」は教養の1つであり、「和歌」が上手に詠めることが、出世や結婚に影響するということもよくある話でした。
そのため、内容はもちろん、それをいかに情趣あるものにしていくか、人々は工夫を凝らしながら詠んでいたのです。
また、「和歌」のもう1つの特徴として、貴族や文化人などが中心になって盛り上がった文化といえることです。
その表れとして、「和歌」が収められている歌集には、天皇や上皇の「勅命」によって編纂されたものが多くあり、また、宮中での「歌合(うたあわせ)」の様子は古典文学作品にもよく描かれていました。
長い間、多くの人に詠まれ、親しまれてきた和歌ですが、明治時代に入ると「和歌」の歌風を批判する声が上がり始めました。
それがきっかけとなり、同じ三十一文字(みそひともじ)の文学でありながら、明治時代以降の作品を「短歌」と呼び、これまでの「和歌」と区別するようになりました。
近代の「短歌」には、都市化・近代化していく社会を背景に、人生の苦悩や不安が多くあります。
それが現代になると、口語表現や外来語を用いて表現されるなど、時代と共に「短歌」も変化してきました。
また、「短歌」は「和歌」で使用されていた修辞法をあまり用いないこと、そして天皇や貴族など権力とも切り離された文学である、という特徴も押さえておきたいです。
和歌の修辞法について
和歌に用いられる 「修辞法」とは、表現を豊かにしたり、趣を添えるために、言葉を効果的に使う技法のことです。
明治時代以降に詠まれた「短歌」には「修辞法」はあまり用いられていませんが、「和歌」を鑑賞する上ではとても重要になってきます。
ここでは「和歌」に使用される代表的な「修辞法」とそのルールを、例文と一緒に解説していきたいと思います。
①掛詞(かけことば)
1つの音(言葉)に2つの意味を持たせる技法。
「あき」に「秋」と「飽き」を掛けるといった具合に、ダジャレのようなもの、と考えると分かりやすいでしょう。
例:『山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば』
意味:山里は特に冬は寂しさがまさるものだ。人の訪れも絶え、草も枯れてしまうと思うと。
※「かれ」に「枯れ」と、途絶えるという意味の「離(か)れ」を掛けています。
掛詞がある場合そのほとんどが、一方が「自然に関する事物」、もう一方が「人間の心情」というパターンで掛けてあります。
ここでは、「枯れ」が自然に関すること、「離(か)れ」が人間の心情となっていますね。
②枕詞(まくらことば)
ある特定の語句を導き出すための飾り言葉のこと。
普通は5音から成る句を言い、歌の解釈の際には訳さなくても意味が通じることがほとんどです。
例:
あをによし→奈良
あきつしま→大和
たらちねの→母・親
例:『ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しずごころ)なく 花の散るらむ』
意味:日の光がのどかにさしている春の日に、どうしてあれほどあわただしく、落ち着いた心もなく桜の花は散っていくのであろうか。
※「ひさかたの」は「光」「日」「天」「月」「空」を導き出す枕詞。ここでは「光」を導き出しています。
③序詞(じょことば)
働きは枕詞と同じで、ある言葉を導き出すための飾り言葉です。
音数が不定で5音以上のものが多く、枕詞が慣用的であるのに対して、序詞は作者が自由に作り出す1回限りの表現と考えて良いでしょう。
意味で繋がる「有心の序」と、発音でつながる「無心の序」とがあります。
例:
【有心の序】
『秋づけば 尾花が上に 置く露の 消ぬべくも吾(あ)は 思ほゆるかも』
意味:秋になると、すすきの上に露が置きます。その露のように今にも消えてしまいそうな程、私はあなたのことが切なく思われます。
※「秋づけば 尾花が上に 置く露の」は「消ぬ」を導き出すための序詞であり、「露」と「消ぬ」が意味(イメージ)で繋がっています。
【無心の序】
『みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見とてか 恋しかるらむ』
意味:みかの原を分けて、湧き出して流れるいづみ川。「いつみ」というその言葉のようにあなたをいつ見たのか。一度も逢ったことないのに、どうしてこんなに恋しいのだろうか。
※「みかの原 わきて流るる いづみ川」は「いつ見」を導き出すための序詞です。「いづみ川」と「いつ見」が発音で繋がっています。
※みかの原:「瓶原(みかのはら)」と書き、現在の京都府の木津川沿いの平地のことです。和歌によく詠み込まれる名所「歌枕」の1つでもあります。
④縁語(えんご)
つながりのある言葉を次々と意図的に詠み込み、面白みを添える技巧。
連想ゲームのようなもの、と考えると分かりやすいでしょう。
例:『鈴鹿山 うき世をよそに ふりすてて いかになりゆく わが身なるらむ』
意味:苦しみの多いこの世をきっぱり捨て、鈴鹿山を越えて僧侶になったのですが、この先わが身はどうなっていくのだろうと不安になってしまいます。
※「振り」「鳴り」「鳴る」は、鈴から連想される言葉であり、「鈴」の縁語となっています。
※鈴鹿山:三重県と滋賀県の県境付近の山々で、和歌によく詠まれる名所「歌枕」の1つです。
⑤本歌取り(ほんかどり)
当時の人なら誰もが知っている有名な古い歌の一部を詠み込んで一首を作る技法。
作者の新しい感動に古歌のイメージを重ね、感動を深めることができます。
例:
【本歌】
『小夜ふくる ままに汀(みぎわ)や 氷るらむ 遠ざかりゆく 志賀の浦波』
意味:夜が更けるにつれて、波打ち際は凍っていくのだろうか。音が遠ざかっていく志賀の浦の波よ。
※志賀の浦:滋賀県大津市の琵琶湖南西岸の地で「歌枕」としても有名な場所です。
【本歌取り】
『志賀の浦や 遠ざかりゆく 波間より 氷りて出づる 有明の月』
意味:志賀の浦よ。夜が更けるにつれて海が凍っていき、次第に波打ち際が岸辺から遠ざかっていく。その波の間から、氷ついたように冷たい光を放って出てきた明け方の月よ。
※「本歌」は「遠ざかっていく波の音」を中心に詠んでおり、屋内から聴覚的な冬の景色を想像する内容となっています。
一方、「本歌取り」の方は、本歌の内容・イメージを踏まえたうえで、光を放って出てきた「有明の月」という言葉を新しく入れたことにより、屋外の視覚的な景色へと変化させているのです。
⑥体言止め
終わりの句を体言(名詞)で終わらせる方法。
余韻や余情をもたらす効果があります。
例:『春の夜の 夢の浮橋 とだえして 嶺にわかるる 横雲の空』
意味:浮橋(水上にいかだや舟を並べて簡易的に作った橋)のように儚い夢が途切れて目を覚ますと、嶺のあたりから橋に棚引く雲が離れていく夜明けの空であるよ。
⑦見立て
比喩のこと。
ある対象を別のものに言い換えて表現することです。
例:『み吉野の 山辺に咲ける 桜花 雪かとのみぞ あやまたれける』
意味:吉野の山のほとりに咲いている桜は、雪ではないかと見間違えてしまう程だったよ。
※桜の花を雪に見立てています。
⑧折句(おりく)
各句の初めに物の名前などを一字ずつ置いて詠む修辞法。
例:『からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ』
意味:着慣れた唐衣(十二単の一番上に着る丈の短い衣)のように、長年親しんだ妻を都に置いてきたので、この美しい花を見るとその妻のことが思い出され、はるばる来た旅路の遠さをしみじみ感じるよ。
※これは、在原業平がモデルと言われる『伊勢物語』に出てくる有名な歌で「カキツバタ(杜若、燕子花)」を各句の最初に詠み込んでいます。
⑨句切れ(ぐぎれ)
一首の歌が意味の上でいったん切れる位置によって、初句切れ・二句切れ・三句切れ・四句切れの区別が生じます。
句切れを見つけるコツとしては、
1. 終止形がある
2. 終助詞がある
3. 係り結びがある
4. 命令形がある
というのが挙げられます。
但し、あくまでも「意味の上で切れる」ことがポイントであり、1~4の形があっても「句切れ」とならないケースももちろんあります。
初句切れ(五/七五七七)と三句切れ(五七五/七七)は七五調と言われ、『万葉集』に多く、荘重で重厚な印象を与えます。
また、二句切れ(五七/五七七)と四句切れ(五七五七/七)は五七調と言われ、『古今和歌集』に多く、軽快で流麗な感じを与えています。
例:
【初句切れ】
『尋ねばや ほのかに三輪の 市に出でて 命に替ふる しるしありやと』
意味:尋ねたいものだ。少し三輪(みわ 地名)の市場に出て、命に代わるものがあるのかと。
※「ばや」は願望の終助詞(~したいという意味を持つ終助詞)で、この和歌は初句切れになります。
【二句切れ】
『世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる』
意味:世の中には辛さから逃れる方法はないのだろうか。世間からずっと離れた山奥でさえ、鹿が悲しげに鳴く声が聞こえてくる。
※「道こそなけれ」は係り結びになっている。
【三句切れ】
『見わたせば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮』
意味:見わたすと、花も紅葉もないことだなあ。海辺にある粗末な家の秋の夕暮れよ。
※「けり」は詠嘆を表す助動詞の終止形で、この和歌は三句切れになります。
【四句切れ】
『昔思ふ 草の庵の 夜の雨に 涙な添へそ 山ほととぎす』
意味:昔の優雅な暮らしを思い出してみては寂しく感じられるこの雨の夜。わびしい草庵(藁や茅などで屋根を作った粗末な家)でしみじみ昔をしのびながら涙にくれているのに、さらに涙を添えるように悲しい声で鳴いてくれるな、山ほととぎすよ。
※「な」(文中の副詞)~「そ」(終助詞)は呼応して使われ、「~するな、~してくれるな」という禁止の意味を持ちます。「そ」は終助詞で、この和歌は四句切れになります。
⑩対句
表現の上で類似する語句を並べ、印象を強くさせる技法。
例:『これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関』
意味:これがあの、行く人も帰る人も知っている人も知らない人もみんなここで別れ、みんなここで別れ、ここで出会うと言う有名な逢坂の関なのだなあ。
※逢坂の関:京都から滋賀に向かう途中にある小高い峠「逢坂山」に置かれた関所で、人や物の出入りを見張るために設けられました。また、この「逢坂の関」は名前に「逢」の字が入っていることから、特に男女が「逢う」ことを掛け、詠まれた「歌枕」でもあります。
以上が和歌の修辞法の代表的なものです。
一つひとつ見ていくと、結構おもしろく、そんなに難しいものでもない、という感じがしませんか。
修辞法は和歌を味わう上では大事なものであり、大学入試などでもとても狙われやすいポイントです。
しかし、そこに囚われ過ぎることなく、あくまでも「想いを効果的に伝えるための工夫」ということを忘れず、難しく考え過ぎないで欲しいと思います。
その上で、修辞法にも注目し、表現を味わい、作者が何故この修辞法を用いたのかなど、色々想像して鑑賞するのも面白いことではないでしょうか。
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コメント
コメント一覧 (2件)
修辞法について有り難く勉強させていただいております。
藤原俊成の歌の意味が上の歌のコピペになっているようです。
ご報告まで。
ご指摘感謝いたします。修正させていただきました。