何かを始めるとき「〇〇に手を染める」といいます。
しかし、何かをやめるときは「手を洗う」とはいわずに「足を洗う」といいます。
手を染めたのなら、洗うのは手なのでは?と思いますよね。
今回は「手を染める」と「足を洗う」という言葉についてわかりやすく解説します。
「手を染める」とは?
読み方は「てをそめる」です。
「物事に着手する」
「何かを始める」
「物事に取り掛かる」
「関係を持ち始める」
などの意味があります。
「手を染める」の語源は定かではありませんが「染める」はもともと「初める(そめる)」だという説があります。
「初める」は、
「書き初め(かきぞめ・新年最初に画や字を書くこと)」
「お食い初め(おくいぞめ・生後100日のお祝い)」
などに用いられているとおり「はじめる」という意味です。
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「初める」が「染める」に変化したのは、藍染めが関係しているという説があります。
藍染め(あいぞめ)はタデ科の植物である藍を染料とした染物(そめもの)のことです。
素手で藍染めをする職人の手は、染料か落ちないため元に戻すことが難しく、一生色が落ちないともいわれています。
そのため、物事をはじめてしまうとなかなか抜け出せないことから、「手を染める」という言葉が生まれたのではないかという説があるのです。
「手を染める」といえば「犯罪に手を染める」「悪いことに手を染める」のように悪いことにしか使えないと思っている人が多いようですが、そうではありません。
たとえば、
●事業に手を染める
●剣道に手を染める
●新しい趣味に手を染める
このように、いろいろなことに用いることができます。
しかし、最近は「手を染める」という言葉は悪いこと限定で使われることが多くなってしまいました。
藍染めは一度手を染めると色が落ちないことから、
「その世界から抜け出せない」に繋がり、
さらに
「悪い世界から抜け出せない」
「悪いことをやめられない」
に繋がってしまい、
「悪い事限定で使う言葉」と考える人が増えたようです。
「足を洗う」とは?
読み方は「あしをあらう」です。
「悪いことをやめる」
「悪い仲間から離れる」
「好ましくない生活や仕事をやめる」
などの意味があります。
「足を洗う」の語源は仏教です。
仏教では、寺の中は救いの世界、寺の外は迷いの世界という考え方があります。
昔の僧侶は、修行のために寺の外を裸足で歩いていたそうです。
一日中外を歩いた僧侶は寺に戻ると足の汚れを洗い流しました。
この時、足の汚れだけではなく、体についた外(迷いの世界)の煩悩(ぼんのう・欲望や妬みなど心を迷わせるもの)も一緒に洗い流し、体を清めていました。
このことが転じて「足を洗う」という言葉は「悪いことをやめる」という意味で使われるようになったといわれています。
たとえば、
●ギャンブルから足を洗う
●彼は犯罪集団から足を洗って罪を償っている
こちらは「手を染める」と違い、悪いことにしか使いません。
しかし、最近は悪いことに限らず物事や行為をやめるときに「足を洗う」と表現することが許容されつつあります。
たとえば、
●芸能界から足を洗う
●小説家から足を洗う
このように、芸能界も小説家も悪い事ではありませんが、単純になにかをやめるときにも用いられるようになってきているようです。
始めるときは「手を染める」、やめるときは「足を洗う」といわれるのはなぜ?
もともと
「手を染める」=物事をはじめる
「足を洗う」=悪いことをやめる
という意味で、それぞれ語源も全く違う言葉です。
しかし、「手を染める=悪いことをはじめる」と悪い意味で使われることが多くなってしまい、2つの言葉が対をなしているように見えるため、このような疑問が生じるのでしょう。
本来、2つの言葉は全く別の由来から生まれた言葉であり、対をなす言葉ではないのです。
「手を染める」と「足を洗う」という言葉は、無関係の言葉だったことがわかりましたね。
悪い事だけではなくいろいろなことに用いることができる「手を染める」という言葉ですが、実際に「ボランティアに手を染める」と言ったら、「使い方を間違っているよ」と注意されそうですよね。
それほど、「悪い事限定に使う言葉」というイメージが定着してしまっています。
一方、悪いこと限定で使われていた「足を洗う」は現在は良いことにも用いられるようなってきています。
言葉と言うものは、時の流れの中で変化していくものですが、この2つの言葉の関係性は非常に面白いですよね。
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