「浮世絵」といえば、いくつかの有名な作品を思い浮かべることができますよね?
ですが、浮世絵がどんな絵なのか知らないという方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、浮世絵について簡単に解説し、有名な浮世絵と浮世絵師を一覧にしてご紹介します。
浮世絵とは?簡単に解説!
読み方は「うきよえ」です。
浮世絵の「浮世」とは、現代風や当世風、今様という意味をもつ言葉で、江戸時代(1603年~1868年)の初め頃に生まれた絵画のジャンルです。
江戸時代の庶民の日常生活の様子や、風景、猫や鳥などの動物、美しい女性、人気の歌舞伎役者・相撲の力士など身近なものを描写したもので、大衆文化として流行しました。
つまり、浮世絵とは、当時の風俗(世相や生活文化)を描写した絵画ということになりますね。
浮世絵は、
- 「肉筆浮世絵」
- 「浮世絵木版」
の2つに分けられます。
肉筆浮世絵とは?
「肉筆浮世絵(にくひつうきよえ)」とは、筆を使い紙や絹に直接に描いた浮世絵です。
一点もののため高価で、庶民ではなく裕福な人が浮世絵師に直接依頼をして描いてもらいました。
肉筆浮世絵は依頼を受けた浮世絵師が一人で完成させることが多かったようです。
描いた浮世絵を屏風や掛け軸にして飾りました。
浮世絵版画とは?
「浮世絵版画(うきよえはんが)」とは、木版画で刷られた浮世絵です。
木版画(もくはんが)とは、彫刻刀などで木を彫って版木を作り、凸部分に絵具や墨などを塗って、紙に転写するものです。
版木(はんぎ)とは、絵や文字などを彫った木のことです。
浮世絵版画の中でも複数の色を使ったカラフルな木版画は錦(にしき:高級な織物)のように美しいことから「錦絵(にしきえ)」とも呼ばれています。
浮世絵版画は同じものを何枚も作ることができ安価だったため、庶民に親しまれました。
浮世絵版画は以下のように作業を分担して完成させていました。
浮世絵師
浮世絵版画のもととなる絵を描きます。
彫師(ほりし)
浮世絵師が描いた絵を、木に書き写し、彫って版木を作ります。
摺師(すりし)
版木に色をつけ、和紙に転写します。
版元(はんもと)
絵の内容を監修したり、浮世絵師に絵を発注します。
出来上がった浮世絵を店に卸して販売してもらいます。
色とりどりの浮世絵に仕上げるには色ごとに分けた版木が必要になります。
何枚にもなる版木を彫師が作り、摺師が色ごとに転写するため、一つの浮世絵を完成させるまでに同じような作業を何度も繰り返します。
それぞれに技術が必要ですが、彫師や摺師の名前は記録に残ることはほとんどありませんでした。
浮世絵の起源や歴史
浮世絵は、江戸初期に本に描かれていた挿絵が独立し、一枚の絵画作品となったのが始まりです。
挿絵でしかなかった浮世絵を絵画作品にしたのが、浮世絵の始祖といわれる菱川師宣(ひしかわもろのぶ・1618年~1694年)です。
菱川師宣は、肉筆浮世絵「見返り美人図」(後ほど紹介します)で有名な浮世絵師ですが、浮世絵版画を一枚の絵として売り出すことを考え出しました。
当時、墨一色で描かれた版画は「墨摺絵(すみずりえ)」と呼ばれました。
浮世絵版画は大量生産でき安価だったため、庶民にも気軽に買うことができたことから、浮世絵は大衆文化として発展していきます。
その後、墨摺絵に筆で色を加える浮世絵「紅絵(べにえ)」や「丹絵(たんえ)」が作られるようになりました。
江戸時代中期になると、2色~4色の染料を版木で着色した「紅摺絵(べにずりえ)」が誕生しました。
「紅絵」や「丹絵」は墨摺絵に筆で違う色を加えますが、「紅摺絵」は版木で着色したものです。
その後、活躍したのが浮世絵師の鈴木春信(すずきはるのぶ・1725年~1770年)です。
春信は、豊富な資金のもと複数の色を使う技法を発達させた「錦絵」を誕生させました。
色鮮やかな織物である「錦織」のような美しい絵であったことから錦絵と名付けられました。
錦絵の誕生によってカラフルな浮世絵版画が量産できるようになり、数多くの浮世絵師が生まれ、江戸時代後期に浮世絵は最盛期を迎えます。
1867年のパリ万国博覧会には、日本を代表する美術作品として浮世絵も出展されました。
ヨーロッパにはなかった浮世絵の色彩や構図はヨーロッパの美術作品に大きな影響を与えました。
浮世絵が好きだったゴッホ(フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ・1853年~1890年、オランダの画家)は自画像や肖像画の背景にいくつも浮世絵を書いています。
日本では浮世絵は価値のある美術作品とは認識されておらず、19世紀末から20世紀初めにかけて多くの浮世絵がヨーロッパへと渡っていきました。
江戸時代の終わりに西洋からカメラや写真が伝わり、明治時代(1868年~1912年)になると写真は日本に広まっていきました。
浮世絵は人々の日常を描いたものですが、写真は浮世絵に比べて再現性が高く、短い時間で作ることができるため、人々は浮世絵から離れていきました。
日本の写真の歴史についての詳細は以下の記事をご覧ください。
関連:日本で初めて写真が撮られたのはいつ?日本最古の写真とは?
大正時代(1912年~1926年)になると、渡辺庄三郎(わたなべしょうざぶろう・1885年~1962年、浮世絵商、版画家)が写真とは違う創作的な浮世絵を作り始めます。
その結果、日本でも浮世絵は価値のある美術作品として認識されるようになり、現在に至ります。
有名な浮世絵と浮世絵師一覧
それでは、有名な浮世絵と浮世絵師をご紹介します。
冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)
葛飾北斎(かつしかほくさい・1760年~1849年)の作品です。
浮世絵木版です。
最初はタイトル通りに富士山をモチーフにした36図が販売されましたが、とても好評だったので10図が追加され、48図になりました。
最初の36図を「表富士」、追加の10図を「裏富士」といいます。
「神奈川沖浪裏(通称:波間の富士)」
「凱風快晴(通称:赤富士)」
が特に有名で、浮世絵といえばこれらの作品を思い浮かべる人が多いほど代表的な作品です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)
歌川広重(うたがわひろしげ・1797年~1858年)の作品です。
浮世絵木版です。
東海道の宿場町を中心とした景色や、その土地の人々を描いています。
東海道とは、江戸と京都を結ぶ街道で七道のひとつです。
街道(かいどう)とは、日本に古くから存在する道路のことで、七道は日本の主要な道路です。
七道(しちどう)は東海道のほかに東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道があります。
宿場町(しゅくばまち)とは、街道にある宿泊施設が集まっている場所のことで、五十三次とは、東海道にある53の宿場町のことです。
タイトルでは53図ですが、53の宿場町のほかにスタート地点の江戸日本橋、ゴール地点の京都三条大橋を加えて55図あります。
中でも有名なのは、
「日本橋 朝之景」
「箱根 湖水図」
「蒲原 夜之雪」
などです。
相馬の古内裏(そうまのふるだいり)
歌川国芳(うたがわくによし・1798年~1861年)の作品です。
浮世絵木版です。
山東京伝(さんとうきょうでん・1761年~1816年)の「善知鳥安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」という読本(戸時代後期に流行した伝奇風小説集)の一場面を浮世絵にしたものです。
平将門の娘である滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が、父の復讐をするために妖術を使って大きな骸骨を敵にけしかけているシーンが描かれています。
見返り美人図(みかえりびじんず)
菱川師宣(ひしかわもろのぶ・1618年~1694年)の作品です。
肉筆浮世絵です。
「見返り美人」とは、振り返って横顔を見せた姿が美しい女性を指します。
現在でも、美しい女性を称賛する言葉として「見返り美人」と言いますが、「見返り美人図」が語源といわれています。
婦女人相十品・ポッピンを吹く娘
喜多川歌麿(きたがわうたまろ・1753年~1806年)の作品です。
浮世絵木版です。
赤い市松模様の振袖を着た町娘が、当時流行していたポッピンを吹いている姿を描いています。
ポッピンとは、息を吹き込むと薄いガラス底が「ポッピン」と鳴るガラス製の玩具で「ビードロ」ともいいます。
婦女人相十品(ふじょにんそうじゅっぽん)は背景は描かずに女性の表情、しぐさなどを細かく描いています。
三代目大谷鬼次の江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのえどべえ)
東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく・生没不明)の作品です。
浮世絵木版です。
「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」という悲恋の物語の一場面を浮世絵にしたもので、三代目大谷鬼次が演じる江戸兵衛を描いています。
また、主役の竹村定之進を描いた「市川鰕蔵の竹村定之進(いちかわえびぞうのたけむらさだのしん)」も有名な作品です。
東洲斎写楽は、およそ10か月の間に140点ほどの浮世絵を世に送り出しましたが、忽然と姿を消したため謎の浮世絵師として有名です。
風流四季哥仙(ふうりゅうしきかせん)
鈴木春信の作品です。
「風流四季哥仙」は絵暦で、一年間の毎月を和歌と人々の絵で表現したシリーズです。
中でも、「二月・水辺梅(にがつ・みずべのうめ)」が季節感と人物を美しく表現していることで有名です。
『二月水辺梅』 鈴木春信
「添付の和歌」
末むすぶ 人の手さへや 匂ふらん
梅の下行 水のなかれは 平経章 pic.twitter.com/A0P2Mzw71i— 悠白 (@A3Fcb9) February 21, 2022
作品の上部には、平経章(たいらのつねあき・平安時代の貴族、詳細不明)の和歌が書かれています。
「末むすぶ ひとの手さへや 匂ふらん 梅の下行 水のなかれは」
(すえむすぶ ひとのてさへや におうらん うめのしたゆく みずのながれは)
「下流で水をすくい上げる人の手までも匂うことであろう、この梅の花の下を進んでいく水の流れは」という意味です。
和歌の下には小川のそばで梅の枝を折って娘に渡そうとしている少年が描かれています。
浮世絵がどのようなものかわかりましたね。
浮世絵は江戸の人々の娯楽として親しまれており、美しい女性や歌舞伎役者などを描いたものがとても人気だったそうです。
現在のポスターやブロマイドなどと同じような感覚だったのかもしれませんね。
当時の生活の様子や風景などを描いた浮世絵は、今は日本だけではなく世界中にファンがいるそうですよ。
関連:花火の掛け声、どうして「たまや」「かぎや」なの?由来や意味とは?
関連:【2024年】出初式はいつ?はしごに乗るのはなぜ?目的と意味とは?
関連:お正月に凧揚げをする意味や由来とは?昔はイカだった?凧の語源とは?
コメント