6月16日は「和菓子の日」です。
日本では365日、なんらかの記念日が制定されています。
記念日は、国民の祝日として日本人の多くが知っているもののほかに、企業や団体などが制定したものがあり、和菓子の日もそのひとつなのです。
日本のお菓子でもある和菓子を記念した日にはどのような由来があるのか、また、その由来となった嘉祥菓子についても調べてみましょう。
Contents/目次
和菓子の日の由来とは?
和菓子の日は、昭和54年(1979年)に全国和菓子協会が制定した記念日です。
平安時代(794年~1192年ごろ)の中期、仁明天皇(にんみょうてんのう)の時代に疫病が蔓延してしまったことから、仁明天皇は元号を「承和(じょうわ・しょうわ)」から「嘉祥(かしょう・かじょう)」へと改めました。
嘉祥と改めた元年(848年)の6月16日に、厄除け・健康招福を願って16個の菓子や餅を神前に供えた「嘉祥(かじょう)の儀式」が行われました。
これを起源とし、毎年6月16日に菓子を食べる「嘉祥(かじょう)菓子」の習慣ができ、江戸時代まで続いたそうです。
明治時代になると、嘉祥の儀式は廃れてしまいます。
全国和菓子協会は、美しい日本の四季と歴史の中で育まれた和菓子の素晴らしさを楽しみ、日本の食文化を正しく後世に伝え残すために一層の努力を積み重ねることを目的として、江戸時代まで続いたといわれる故事にちなんで6月16日を「和菓子の日」として制定しました。
嘉祥(かじょう)菓子ってなに?
平安時代に始まったとされる嘉祥の儀式では、16個の菓子や餅が神前に供えられ、宮中で食べていたそうです。
しかし、16個の菓子や餅というのは数が多すぎて準備も大変ですし、食べるのも大変です。
江戸時代になると16個ではなく、1と6を足して7ということで7個にしたそうです。
これを「七嘉祥」といい、現在も嘉祥菓子といえば7個のものが多いようです。
嘉祥菓子の種類には決まりがなく、お店によってさまざまです。
6月16日限定で嘉祥菓子を販売するお店や、和菓子の日前後の期間限定で販売するお店もあり、この時期にしか食べることのできない和菓子を楽しむことができます。
和菓子の日には、期間限定の和菓子の販売の他、手作り和菓子の教室が開かれるそうです。
和菓子を手作りする機会はあまりないと思いますので、興味のある方はお住いの地域で手作り教室が開かれるかチェックしてみてください。
また、江戸時代に庶民が嘉祥菓子を笑わずに食べることを習慣としていたという話もあり、大阪では「笑わず餅」という和菓子が販売されています。
「笑わず餅」は平成になってから、大阪府生菓子組合の青年部が「和菓子の日に盛り上がることはなにかないか?」と考えて作られたそうです。
江戸庶民の「堅苦しい儀式の和菓子を楽しく食べる」という気持ちが、現代の大阪に引き継がれているのでしょうか?想像するとなんだか面白いですね。
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