日本文化研究ブログ – Japan Culture Lab

ジャパン カルチャー ラボ 日本の文化の疑問を簡単にわかりやすく説明します。

*

京都の大文字焼きの意味とは?どうして大の字?五山送り火の起源と歴史とは?

      2016/12/04

photo_d_01

夏の夜空に浮かび上がる大文字焼き。

日本各地で行われるお盆の伝統行事ですが、特に有名なのは京都の五山送り火です。

テレビや新聞のニュースでも取り上げられますので、一度は見聞きしたことがあると思います。

今回は、京都の大文字焼き、五山送り火についていろいろ調べてみましょう。

 

スポンサードリンク


京都の大文字焼きの意味とは?

 「大文字焼き」の読み方は「だいもんじやき」です。

毎年8月16日に、お盆に帰ってきていたご先祖様を再びあの世へ送り出すために、「大」という字を松明の炎で描く行事で、京都以外でもお盆の送り火として行う地域があります。

 京都では、ご先祖様を送るために灯す厳かな火であり、宗教行事でもあり、「山焼き」ではないことを強調するため「大文字焼き」という表現は不適切とされ、「五山送り火」「大文字の送り火」と表現するそうです。

また、1571年に織田信長によって行われた比叡山の焼き討ちを連想するため「焼き」という言葉を使わないという人もいるそうです。


どうして大の字?

お祭り商店街西参道商店街振興組合-お祭りプラザ-お祭り紹介-五山送り火5

●「大」という字は、魔除けの象徴でもあるの五芒星(ごぼうせい)の意味があるという説。

●一年を通して位置が変わらない北極星(神の化身とみなされている)を象(かたど)っているという説。

●弘法大師空海が大の字に護摩壇(ごまだん・護摩を焚く炉を据える壇)を組んでいたから大の字にしたという説。(護摩とは、供物や願い事を書いた木を焼いて祈願する儀式のこと)

●密教での教えでは、五山の送り火は弘法大師空海による護摩供とされています。

平安時代、京の都に疫病が流行りました。そこで空海は都全体を浄化するため、護摩焚きしようと思いつきました。

空海は東寺にいて御所の位置を「護摩壇」に見立てました。銀閣寺の上方にある「大」は胎蔵界の大日如来、金閣寺の「大」が金剛界の大日如来を表しています。

●「大」という漢字は「一」と「人」という漢字に分解することができる。これを一人の人間(人形・ひとがた)と見立てて、無病息災を願う目的があったという説。

このように諸説ありますが、正確なことはわかっていません。

 

スポンサードリンク


五山送り火の起源と歴史とは?

20110816230018002

 五山送り火がいつから行われているのか、誰が始めたのか、公式な記録が残っておらず不明のままです。

雍州府志(ようしゅうふし・1682年~1686年に記された山城国、現在の京都南部に関する地誌)に、大文字焼きは盂蘭盆会(うらぼんえ・お盆のこと)や施餓鬼(せがき・お盆に行われることが多い仏教行事)の行事として行われていたとあることから、江戸時代(1608年~1868年)前期ごろにはすでにあったと考えられます。

それ以前、平安時代(794年~1185年)や室町時代(1336年~1573年)には行われていたという人もいるようですが、定かではありません。

五山の送り火は宗教的行事ではありますが、地元の人たちが行い、受け継いできたことから、正式な記録として残らなかったのではないか・・・という考えもあるそうです。

img_0

五山の送り火は、その名の通り「五つの山」で灯されます。

最も有名なのは東山如意ヶ嶽(別名、大文字山)の「大」(右大文字という)です。

ほかに、松ヶ崎西山・東山の「妙・法」(二山二文字ですが、一山一字として扱われる)、西賀茂船山の「船形」、金閣寺付近大北山の「大」(左大文字という)、嵯峨仙翁寺山(別名、曼荼羅山)の「鳥居型」の五つです。

ほかにも「い」「一」「竹の先に鈴」「蛇」「長刀(なぎなた)」という文字も送り火として灯されていた時代があるそうですが、明治時代(1868年~1912年)から昭和(1926年~1989年)初期にかけて徐々に数が減り、現在の五山となり「五山送り火」という呼称が定着したといわれています。

 map (1)

お盆に行われる五山の送り火はとても有名ですが、その起源や由来は不明のままなのですね。

記録には残っていなくても、人々の間で長い年月受け継がれてきたものです。

そこには、ご先祖様を想う気持ちが今も昔も変わらずあるものだと思います。

五山の送り火は毎年8月16日の20時から始まります。

お盆の送り火という意味があるのでよほどの悪天候ではない限り、延期や中止はしないそうです。

スポンサードリンク

 - 8月