「浜辺の歌」の歌詞の意味とは?3番が難解な理由と4番にまつわる話

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「浜辺の歌」の歌詞の意味とは?3番が難解な理由と4番にまつわる話

「浜辺の歌」は、中学校の音楽の授業で歌ったことがある人も多いのではないでしょうか。

ところが、歌詞には「あした」「もとおれば」「星のかげ」など、今とは意味が違う言葉や、使わない言葉が出てきます。

また、ふだん歌われるのは2番までですが、実は3番もあります。

この3番は意味がわかりにくく、4番と混ざってしまったという話もあります。

今回は、「浜辺の歌」の歌詞の意味(現代語訳)を、1番から順にわかりやすく解説します。

 

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目次

「浜辺の歌」とは?

作詞は、林古溪(はやしこけい・1875年~1947年)

作曲は、成田為三(なりたためぞう・1893年~1945年)

成田為三の肖像写真

若いころの成田為三 出典:Wikimedia Commons

歌詞にある「浜辺」「貝」「波」などから夏をイメージする人が多い歌です。

中学校の音楽では、文部科学省が選んだ次の7曲の中から、各学年で1曲以上を歌います。

  • 「赤とんぼ」(作詞:三木露風/作曲:山田耕筰)
  • 「荒城の月」(作詞:土井晩翠/作曲:滝廉太郎)
  • 「早春賦」(作詞:吉丸一昌/作曲:中田章)
  • 「夏の思い出」(作詞:江間章子/作曲:中田喜直)
  • 「花」(作詞:武島羽衣/作曲:滝廉太郎)
  • 「花の街」(作詞:江間章子/作曲:團伊玖磨)
  • 「浜辺の歌」(作詞:林古溪/作曲:成田為三)

 

「浜辺の歌」の歌詞の意味とは?

今歌われている1番と2番の歌詞は、次の通りです。

一

あした浜辺をさまよえば

昔のことぞしのばるる

風の音よ雲のさまよ

寄する波も貝の色も

 

二

ゆうべ浜辺をもとおれば

昔の人ぞしのばるる

寄する波よ返す波よ

月の色も星のかげも

ここからは、1番から順に意味を解説します。

 

一

あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる

風の音よ雲のさまよ 寄する波も貝の色も

【意味】

「あした」は、明日ではなく、朝という意味です。

「さまよえば」は、あてもなく歩き回れば、という意味です。

 

【現代語訳】

朝、浜辺をさまよい歩いていると、昔のことが次々に思い出される。

風の音、雲の様子、岸に寄せる波、貝の色も。

 

二

ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞしのばるる

寄する波よ返す波よ 月の色も星のかげも

【意味】

「ゆうべ」は、昨夜ではなく、夕暮れ・夕方という意味です。

「もとおれば」は、歩き回る・散策するという意味です。

「昔の人」が誰なのかは、歌詞には書かれていません。

「星のかげ」は、星の光のことです。

 

【現代語訳】

夕暮れ、浜辺を歩き回っていると、昔のあの人のことが思い出される。

岸に寄せる波、沖へ返す波、そして月の光、星の光も。

 

「浜辺の歌」の歴史

「浜辺の歌」のもとになったのは、大正2年(1913年)8月に、林古溪が雑誌「音楽」に発表した「はまべ」という詩です。

詩の終わりには「作曲用試作」と書き添えられていて、曲をつけてもらうことを考えて書かれた詩でした。

 

雑誌に最初に載ったときの詩(初出の詩)は、以下の通りです。

ほとんどひらがなで、昔の仮名遣いで書かれていますが、1番・2番の言葉は今歌われている歌詞と同じです。

読みやすいように、文字の間隔を整え、一部に読み仮名を添えています。

はまべ

 

一

あした はまべを さまよへば

むかしの ことぞ しのばるる

かぜの おとよ くもの さまよ

よするなみも かひの いろも

 

二

ゆふべ はまべを もとほれば

むかしの ひとぞ しのばるる

よする なみよ かへす なみよ

つきのいろも ほしの かげも

 

三

はやち たちまち なみを ふき

赤裳(あかも)の すそぞ ぬれも ひぢし

やみし われは すでに いえて

はまべの 真砂(まなご) まなご いまは

出典:池田小百合「なっとく童謡・唱歌」掲載の『音楽』初出紙面

 

詩の舞台は特定されていませんが、林古溪が子どものころに遊んだ辻堂海岸(神奈川県藤沢市)に結びつける説があります。

古溪は、父が教えていた羽鳥(現在の藤沢市)で幼いころを過ごしており、辻堂海岸はそこから南へ約2.5キロメートルの場所にあります。

朝の辻堂海岸の砂浜と波、遠くに見える江の島

朝の辻堂海岸(神奈川県藤沢市)

成田為三がこの詩に曲をつけたのは、大正4年から5年(1915年~1916年)ごろと推定されています。

雑誌「音楽」の編集を担当していた牛山充(うしやまみつる)にすすめられたことがきっかけでした。

 

大正7年(1918年)10月には、セノオ音楽出版社から「濱邊の歌」という題名で楽譜(セノオ楽譜)が出版されました。

この時の表紙絵を竹久夢二(たけひさゆめじ・1884年~1934年、画家、詩人)が手掛けました。

 

この歌が広く知られるようになったのは、昭和22年(1947年)に発行された文部省の教科書「中等音楽3」に、2番までの歌詞で載ってからです。

大正7年のセノオ楽譜では、1番の「風の音よ」が「風よ音よ」になっていましたが、この教科書で初出と同じ「風の音よ」に戻りました。

今歌われている歌詞は、この教科書の形がもとになっています。

出典:埼玉大学 小野和彦「浜辺の歌:林古渓の原詩の研究および土佐日記との類似」

 

JR東海道線の辻堂駅(神奈川県藤沢市)では、平成28年(2016年)12月1日から、発車メロディに「浜辺の歌」が使われています。

駅の開業100年に合わせ、地元の人たちが集めた2万7704人分の署名がきっかけでした。

 

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3番の歌詞の意味とは?

初出の詩にも、大正7年(1918年)のセノオ楽譜にも、3番まで載っていました。

戦後の教科書では、3番が削られました。

林古溪自身が削ったという話もあります。

3番の歌詞は、初出の詩と、大正7年(1918年)のセノオ楽譜とで一部が違い、本や歌詞のサイトによって、載っている歌詞が違うことがあります。

ここでは、両方の歌詞と意味を見てみましょう。

 

初出の詩の3番

三

はやちたちまち波を吹き 赤裳のすそぞぬれもひじし

病みし我は すでにいえて 浜辺の真砂 まなごいまは

【意味】

「はやち」は、疾風という意味です。

「赤裳」は、赤い色の裳(も)のことで、裳は昔の女性が腰から下にまとった、スカートのような衣服です。

腰から下に赤い裳をまとった奈良時代の女性のイラスト

裳(腰から下の赤い部分)

「赤裳」は、万葉集にも出てくる古い言葉です。

作詞した林古溪は、万葉集などを研究した学者でもありました。

明治・大正のころは、古典から着想を得て歌詞を作ることも珍しくありませんでした。

「赤裳のすそぞぬれもひじし」は、「赤い裳の裾が、波にぬれてしまった」という意味です。

「ひじし」は、昔の仮名遣いでは「ひぢし」と書きます。

 

「病みし我は すでにいえて」は、「病気だった私は、もうすっかり治って」という意味です。

なぜ病気だったのかは、歌詞には書かれていません。

激しい恋のあとに心や体を病み、そこから立ち直ったところだとする解説があります。

「赤裳」という言葉から、歌詞の「我(われ)」は女性だと読めます。

作詞した林古溪は男性ですが、女性の立場で書いています。

男性が女性の立場で書いた古典に、平安時代に紀貫之が書いた「土佐日記」があります。

埼玉大学の小野和彦氏は、ほとんどひらがなで書かれている点なども含めて、この詩と「土佐日記」がよく似ていると指摘しています。

「土佐日記」には、亡くした娘を「むかしの人」と呼んで恋しく思う場面があり、小野氏は、2番の「昔の人」もこれと重なるとしています。

出典:埼玉大学 小野和彦「浜辺の歌:林古渓の原詩の研究および土佐日記との類似」

 

「真砂」は細かい砂のことで、「まさご」のほか「まなご」とも読みます。

初出の詩では「真砂」に「まなご」と読み仮名が付いていて、さらにすぐ後にも「まなご」が続きます。

「浜辺の真砂」は、今の自分を、寄せては返す波にさまよう浜辺の砂にたとえた言葉だとする解説があります。

後の「まなご」は、「愛子(いとしい子)」のことだとする解釈があります。

「愛子(まなご)」は、最愛の子という意味の古い言葉です。

ただし、前後がどうつながるのかが分からないため、誰を指すのかは確定していません。

 

【現代語訳】

疾風がたちまち波を吹き立て、赤い裳の裾は濡れひたった。

病気だった私は、もうすっかり治っている。

浜辺の細かな砂のような私。

最愛の子は、今は……

 

セノオ楽譜の3番

三

はやちたちまち波を吹き 赤裳のすそぞぬれもせじ

病みし我は すべていえて 浜辺の真砂 まなごいまは

初出の詩から、次の3か所が変わっています。

「ぬれもひじし」→「ぬれもせじ」
「すでにいえて」→「すべていえて」
「真砂」の読み仮名「まなご」→「まさご」

 

【意味】

「ぬれもせじ」は、「ぬれもしないだろう」という意味です。

初出の詩の「ぬれもひじし(びっしょりぬれてしまった)」とは、正反対の意味になります。

「すべていえて」は、「いくつもあった病気が全部治って」という意味です。

初出の詩の「すでにいえて(もうすっかり治って)」と、治ったことは同じですが、「もう」が「全部」に変わっています。

「真砂」は、「まさご」と読んでも「まなご」と読んでも、細かい砂という意味は同じです。

ただ、初出の詩のように「まなご まなご」と同じ音が続く形ではなくなります。

ほかの言葉の意味は、初出の詩と同じです。

 

【現代語訳】

疾風がたちまち波を吹き立て、赤い裳の裾はぬれもしないだろう。

病気だった私は、すべて治っている。

浜辺の細かな砂のような私。

最愛の子は、今は……

 

疾風が波を吹き立てたのに裾がぬれないのでは、意味が通りません。

林古溪も、セノオ楽譜の3番の間違いを誤植だと認めていました。

 

3番が難解なのは4番と混ざったから?

では、3番が難解なのはなぜでしょうか。

同志社女子大学の吉海直人氏の解説は、林古溪の長男・林大(はやしおおき)の証言として、当初は4番まであった詩の3番前半と4番後半が、雑誌掲載時に組み合わされたという話を紹介しています。

その解説によると、林古溪自身も、掲載された3番では意味が通らないと話していたそうです。

出典:同志社女子大学 吉海直人「『浜辺の歌』の謎」

 

この話のとおりなら、初出の詩の3番は、もう組み合わされた後の形です。

「はやちたちまち…」の行はもとの3番の前半、「病みし我は…」の行はもとの4番の後半で、その間には、今は残っていない言葉があったことになります。

一つひとつの言葉の意味は変わりませんが、前半と後半を、続いた一つの場面として読めるとは限りません。

 

林古溪が自分の手で直した楽譜も残っています。

昭和16年(1941年)発行のセノオ楽譜に、古溪が3番の「ぬれもせじ」を「ぬれもひぢし」に書き直し、3番の終わりに、4番があったことを示す「四」の字を書き添えていたのです。

 

ただし、もとの4番の歌詞は残っていません。

林古溪の手元にあった、もとの詩の写しも、早いうちになくなってしまいました。

夕日が沈む辻堂海岸の砂浜と打ち寄せる波

夕方の辻堂海岸(神奈川県藤沢市)

いかがでしょうか?

「浜辺の歌」は、朝と夕方の風景に、昔の出来事や人への思いを重ねた歌です。

3番には意味がはっきりしない部分もありますが、言葉の意味を一つずつ知ると、歌の世界をより味わえるのではないでしょうか。

 

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