空也上人像を初めて見たとき、口からなにか出ていると不思議に思ったことがありませんか?
あれは、6体の仏像なのだそうです。
今回は、空也上人像の口から6体の仏像が出ている理由について解説します。
また、空也上人像はどこで見られるのかなどについてご紹介します。
空也上人像とは?
読み方は「くうやしょうにんぞう」です。
正式には「空也上人立像(くうやしょうにんりつぞう)」といいます。
鎌倉時代(1185年~1333年)に、運慶(うんけい・不明~1244年、仏師)の四男である康勝(こうしょう・生没不明、仏師)によって作られました。
運慶は東大寺(奈良県奈良市)南大門にある「金剛力士像」の作者として有名ですよね。
空也上人像は、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えながら人々に念仏を広めた空也上人の姿を像にしたものです。
高さは117.6㎝あり、草履を履いた足で大地を踏みしめています。
胸には金属製の打楽器である鉦鼓(しょうこ)を下げており、右手には鉦鼓を叩く撞木(しゅもく)を持っています。
左手には鹿の角のついた鹿杖(かせづえ)を持っており、腰には鹿の皮を巻いています。
これらは空也上人が可愛がっていた鹿のもので、平定盛(たいらのさだもり・詳細不明)という人物によって射殺されてしまったそうです。
深く悲しんだ空也上人は、その鹿の角を杖の頭につけ、毛皮で衣をつくり身につけ、念仏を唱えて歩きました。
このことを知った平定盛は鹿を射殺したことを悔いて、後に空也の弟子になったといわれています。
空也上人は何をした人?
空也上人(くうやしょうにん・903年頃~972年)とは、平安時代(794年~1185年)中期の僧侶です。
「阿弥陀聖(あみだじり)」
「市上人(いちのしょうにん)」
「市聖(いちのひじり)」
などと呼ばれることもあります。
空也上人については史実に基づく文献などが少なく、醍醐天皇(だいごてんのう・885年~930年、第60代天皇)の子どもだという説もあるそうですが、真偽は不明です。
空也上人は、幼いころから仏教の修行者として日本各地をめぐり、922年頃に尾張の国(おわりのくに・現在の愛知県)で出家し「空也(くうや)」と名乗るようになりました。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を唱えることで、どんな人も阿弥陀如来によって救われ、極楽浄土へ行けるという教えを説きました。
そのため、空也上人は浄土教または浄土信仰の先駆者とされています。
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀如来の教えを全身全霊で信じ、拠り所にし、教えに従って生きます」という意味があります。
空也のこの教えは、当時の貧困に苦しんでいた庶民にとって大きな心の支えになりました。
南無阿弥陀仏の詳細は以下をご覧ください。
関連:「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」との違いと意味とは?唱えるとどうなる?
また、京都で疫病が流行したとき、空也上人が疫病退散や死者の霊を慰めるために始めたのが「空也踊躍念仏(くうやゆやくねんぶつ)」という踊り念仏です。
踊りながら念仏を唱えることで死者を供養し、現在を生きる誰もが極楽浄土に行けると説きました。
空也上人の活動で念仏を信仰する人が増えると、鎌倉時代には人々の団結を畏れた幕府によって念仏が禁止され、弾圧されました。
弾圧から逃れるために「南無阿弥陀仏」を「モーダナンマイトー」と言い換えたり、夕暮れにひっそり隠れて行われていたため、別名「かくれ念仏」とも呼ばれています。
また、村上天皇(むらかみてんのう・第62代天皇、在位946年~967年)の時代に疫病が流行った際、空也上人は梅と昆布の入ったお茶を病人に与え念仏を唱え、疫病を鎮めたといわれています。
その後、村上天皇はお正月に梅と昆布の入ったお茶を飲むようになり、その習慣が庶民にも広まりました。
現在も主に京都で一年の初めに無病息災を願って飲む「大福茶(おおふくちゃ)」として伝わっています。
大福茶については以下の記事をご覧下さい。
関連:若水の読み方と意味とは?いつの季語?若水汲み、福茶って何?
空也上人は、念仏信仰を広めただけではなく、貧困や疫病に苦しむ人々を助けたり、井戸を掘り、橋を架け、道や寺院を作るなど社会事業にも尽力しました。
『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(みをすててこそうかぶせもあれ)』
ということわざは、空也上人が詠んだ以下の歌が由来といわれています。
『山川の 末に流るる 橡殻も 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ』
(やまかわの さきにながるる とちがらも みをすててこそ うかぶせもあれ)
「山あいの川を流れてきたトチの実は、自ら川に身を投げたからこそやがては浮かび上がり、広い下流に到達することができたのだ」という意味です。
つまり「一身を犠牲にするだけの覚悟があって、はじめて活路も見出し物事に成功することができる」という意味になります。
口からなぜ6体の仏像が出ているの?
口から出ている6体の仏像は、空也上人が「南無阿弥陀仏」と唱えたときに、その一音一音が阿弥陀如来(あみだにょらい)の姿に変わったという伝承を立体的に表現したものです。
空也上人像の口から仏像が出てくるのは、空也上人が念仏を広める様子を表しているといわれています。
空也上人像はどこで見られる?
空也上人像は六波羅蜜寺の文化財収蔵庫「令和館」で見られます。
令和館の営業は8時30分~16時45分(最終受付16時30分)で、休館日はありません。
・<大人> 600円
・<大学生・高校生・中学生> 500円
・<小学生> 400円
外部リンク:六波羅蜜寺参拝のご案内
六波羅蜜寺は、京都市東山区ある真言宗智山派の寺院で、空也上人が951年に創建しました。
現在も六波羅蜜寺で「空也踊躍念仏」が年末に行われており、重要無形民俗文化財に指定されています。
空也上人像がどのようなものかわかりましたね。
何も知らずに見ると「なぜ口から仏像が?!」と驚いてしまいますが、「南無阿弥陀仏」の一音一音を表現していることがわかると、空也上人が人々を救いたかった気持ちが伝わってきそうですよね。
京都を訪れた際には、ぜひ六波羅蜜寺の空也上人像もご覧になってくださいね!
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