相撲はいつから始まったの?歴史と由来を簡単に解説!

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日本の国技である「相撲」はいつから始まったのでしょうか?

今回は、相撲の歴史と由来を簡単に解説します!

 

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目次

相撲とは?

読み方は「すもう」です。

漢字で「角力」と書く場合もあります。

 

「すもう」の語源は、争うという意味の「争ひ(すまひ)」が「すまふ」となり、「すもう」となったといわれています。

また、「すまひ」は「相舞」と書くこともあったようで、神様に捧げるための舞だったのではないかという説もあります。

「相撲」は、土俵の上で行う格闘技・武道です。

土俵(どひょう)とは、土を盛って作る円形の競技場のことです。

「力士(りきし)」と呼ばれる選手が裸でまわしをつけ、1対1で土俵の上で組み合います。

土俵の内側に相手の足の裏以外の部分をつけるか、土俵の外側に相手を出したほうが勝ちです。

相撲は日本の国技といわれていますが、法律で定められているわけではありませせんし、どこかの団体が定めたわけでもありません。

いつの間にか日本の国技として認識されるようになったようです。

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日本相撲協会が主催する相撲を「大相撲(おおずもう)」といいます。

 

ほかにも

学生や社会人が参加する「アマチュア相撲」

女性が参加する「女子相撲」

子どもが参加する「わんぱく相撲」

などがあります。

 

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相撲はいつから始まったの?歴史と由来を簡単に解説!

相撲の歴史はとても古く、神話の時代にまでさかのぼるといわれております。

古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にも相撲の取り組みと考えられる力比べの話が出てきます。

 

 

古事記では、「建御雷神(たけみかずちのかみ)」「建御名方神(たけみなかたのかみ)」という二人の神様が力比べをしたと記されています。

 

天照大御神

天照大御神

神話の時代、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が出雲の国を自分の領土にしようと建御雷神を使わし、出雲の国の大国主命(おおくにぬしのみこと)に「領土を差し出すか、国を滅ぼされるか」の二択を迫ります。

大国主命

大国主命

その話を聞いた大国主命の息子のひとり建御名方神(たけみかずちのかみ)が建御雷神(たけみなかたのかみ)に力比べを挑み、出雲の国を守ろうとしますが負けてしまい、その時の傷がもとで命を落としたというものです。

 

 

日本書紀では、大和国の「当麻蹴速(たいまのけはや)」という怪力の持ち主と出雲国の力自慢の「野見宿禰(のみすくね)」という男二人の対決の話が出てきます。

垂仁天皇

垂仁天皇

当麻蹴速は「この世に自分と互角に力比べができる者はいない」と豪語しており、この話を聞いた垂仁天皇(すいにんてんのう・第11代天皇)は家臣に当麻蹴速と互角に戦えるものはいないか尋ねます。

家臣のひとりが「出雲国に野見宿禰という人物がいます、呼び寄せて当麻蹴速と戦わせましょう」と答え、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日に宮中で対決することとなりました。

現在の相撲とは異なり、お互いに蹴りあうことで決着をつけるもので、野見宿禰(のみすくね)の蹴りにより肋骨や腰の骨を砕かれ、当麻蹴速(たいまのけはや)は亡くなりました。

これが日本最古の天覧相撲といわれています。

最初のころ相撲は、農作物の収穫を占う儀式や感謝の儀式として行われており、神事として行われていたようです。

8世紀初めごろから宮中で相撲が行われていたと考えられていますが、記録に残っているのは734年です。

聖武天皇

聖武天皇

奈良時代(710年~794年)の734年7月7日に聖武天皇(しょうむてんのう・第45代天皇)が、日本書紀の当麻蹴速と野見宿禰の故事にちなみ、諸国から相撲人を集め宮中で相撲を取らせました。

日本書紀以降では、これが天覧相撲の最も古い記録です。

 

後に、この天覧相撲は「相撲節会(すまひせちえ)」という宮中の公式行事となり、毎年7月に七夕の宮中行事として開催され、およそ400年続きました。

相撲節会

鎌倉時代(1185年~1333年)になると源頼朝が相撲を奨励しました。

この頃の武家社会では神事としてよりも武士が心身鍛錬や戦闘訓練を目的として相撲が行われるようになり、「武家相撲(ぶけすもう)」と呼ばれました。

1189年、源頼朝は鶴岡八幡宮で上覧相撲(じょうらんずもう・将軍が観戦する相撲)を開催するなど相撲が盛んに行われました。

 

室町時代(1336年~1573年)には各地の大名が相撲の強いものを家臣として取り立てたり、相撲見物を楽しむようになり、中でも相撲が大好きだった織田信長(おだのぶなが)は各地から力士を集め、相撲を楽しみ、土俵の原型を考案したといわれています。

 

 

江戸時代(1603年~1868年)になると相撲を職業とする人たちが現れ、「勧進相撲(かんじんずもう)」が行われるようになります。

勧進相撲とは、神社や寺の修繕、建築の募金を目的とした相撲のことで、江戸、大坂、京都を中心に日本各地で行われていました。

この勧進相撲が現在の「大相撲(おおずもう)」の原型と考えられており、次第に庶民の楽しみのひとつになっていきました。

その後、大相撲としてさまざまなルールが決められ、スポーツとしての形態を整えました。

明治時代(1868年~1912年)になると日本相撲協会が誕生し、勧進相撲は「大相撲」となり現在に至ります。

相撲の歴史が神話の時代にまでさかのぼるとは驚きましたね!

日本で誕生し、とても古い歴史がありたものなので「日本の国技」と思うのも自然なことだったのかもしれません。

現在は海外出身の力士も増えており、外国人観光客が大相撲を楽しんでいる姿もよくみかけます。

日本だけではなく、世界中で愛されているのは嬉しいことですね。

 

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