神道の信仰で神々を祀るための建物を神社といいますが、神社には、いろいろな名称があります。
例えば、伊勢神宮や出雲大社、太宰府天満宮や日光東照宮などなど。
地名などのあとに「神社」「神宮」「大社」「八幡宮」「天満宮」「東照宮」「権現」「稲荷」「明神」などの名前がついていますが、これらの名前にはどのような意味や違いがあるのでしょうか?
神社・神宮・大社の意味と違いとは?
まず、神社・神宮・大社について見ていきましょう。
社号は第二次世界大戦前までは神社の格式を示していましたが、戦後、神社と国民の強い結びつきをなくそうとしたGHQ(連合国最高司令官総司令部)によって、社号による格付けは廃止されました。
現在は神社の格式に順番はなく、すべての神社が平等だといわれていますが、人々の心の中では昔の順番がそのまま引き継がれています。
社号は6つあり、
最も格式が高いのが「神宮」
続いて「宮」「大神宮」「大社」「神社」「社」という順番です。
それぞれどのような意味があるのでしょうか?
神宮(じんぐう)
「神宮」は皇室とゆかりの深い由緒ある神社の社号です。
第二次世界大戦までは天皇の許可がないと「〇〇神宮」と名乗れませんでした。
戦後は自由に名乗れるようになったとはいえ、格式が高く特別な由緒を持つ神社だけが名乗っています。
皇室の祖先神(そせんしん・先祖の霊を神として祀ること)を祀っているところが「〇〇神宮」と呼ばれています。
例えば、明治天皇(めいじてんのう・第122代天皇)をお祀りする東京都の「明治神宮」や桓武天皇(かんむてんのう・第50代天皇)をお祀りする京都府の「平安神宮」などです。
「伊勢神宮」は、天皇の祖先とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られ、すべての神社の上に位置する神社ということで別格の扱いになっています。
そのため、「伊勢神宮」は通称で、伊勢神宮の正式名称は「神宮」の2文字だけです。
宮(みや・ぐう)
神宮に次いで格式が高く、特別な由緒を認められた神社の社号です。
天皇や皇室にまつわる人物を祀る神社。
たとえば大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう・後醍醐天皇の第三皇子)を祀る神奈川県の「鎌倉宮」や、安徳天皇(あんとくてんのう・第81代天皇)を祀る「水天宮」などがあります。
また、菅原道真を祀る「天満宮」や徳川家康を祀る「東照宮」のように歴史上の人物を祀る神社も「〇〇宮」と名乗ることがあります。
大神宮(だいじんぐう)
伊勢神宮の内宮(ないくう・天照大御神をお祀りしているところ)のことを指します。
広い意味では、東京大神宮や山口大神宮など、伊勢神宮と同じ御祭神(ごさいじん)を祀る神社の社号です。
大社(たいしゃ)
「大社」は地域信仰の中心となる格式が高く規模の大きな神社の社号です。
第二次世界大戦前までは「大社」といえば「出雲大社」のことでした。
戦後は格式が高く、規模の大きな神社の名前として用いられるようになりました。
「出雲大社」は一般的には「いづもたいしゃ」と読みますが、の正式な読み方は「いづもおおやしろ」です。
もともと出雲大社は「杵築(きづき)」という地名に由来して「杵築大社(きづきのおおやしろ)」と呼ばれていましたが、明治時代に「出雲大社」と改称しました。
また、「大社」の2文字で「おおやしろ」と読むと「出雲大社」のことを指します。
それ以外の神社では「〇〇たいしゃ」と読みます。
たとえば、
長野県の「諏訪大社(すわたいしゃ)」
奈良県の「春日大社(かすがたいしゃ)」
などがあります。
神社(じんじゃ)
「神社」は一般的な神社に用いられる社号です。
社(しゃ)
「神社」の略称で比較的小さな規模の神社の社号です。
また、大きな神社の御祭神の分霊を祀る神社に用いられます。
八幡宮・天満宮・東照宮・権現・稲荷・明神の意味と違いとは?
先述したとおり、「八幡宮」や「天満宮」、「東照宮」などのように「宮(みや・ぐう)」がつく神社は、格式が高く、特別な由緒を認められた神社のことです。
また、「〇〇宮」の他に、「〇〇稲荷」や「〇〇権現」という名前がついている神社もあります。
名前にどのような意味があるのか、ひとつずつみていきましょう。
八幡宮(はちまんぐう)
「八幡宮」は、武運の神とされる八幡神(はちまんしん・やはたのかみ)を御祭神(ごさいじん・祀られている神様)とする神社のことです。
八幡神とは
応神天皇(おうじんてんのう・第15代天皇)
比売神(ひめがみ・神道の女神のこと)
神功皇后(じんぐうこうごう・応神天皇の母)
の3神のことです。
「八幡宮」は全国に約44,000社あるとされ、大分県宇佐市にある宇佐神宮が総本社で、通称「宇佐八幡」と呼ばれています。
725年に創建された宇佐神宮は、八幡宮の起源となったといわれており、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟(そうびょう・皇室の祖先神を祀ったやしろ)として、奈良時代(710年~794年)から皇室の崇敬を受けてきました。
八幡神社、八幡社、八幡さまと呼ぶこともあります。
天満宮(てんまんぐう)
「天満宮」は、学問の神である菅原道真を御祭神とする神社のことです。
道真は仕事ができ、異例のスピードで出世していくのですが、それを良く思わなかった人たちによって、京から太宰府へ左遷され、亡くなったといわれています。
道真が亡くなった後、平安京では天変地異が相次ぎ、左遷に関わったとされる人々が次々に亡くなりました。
天変地異は道真の祟りと言われ、雷の神である「天神」と道真を関連付けて考えるようになり、京都に北野天満宮を建立して道真を鎮めようとしました。
「天満」という名前は、道真の神号(しんごう・神の称号、神格化されてからの呼び名)「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」から来たといわれています。
それ以降、大災害が起こるたびに日本各地に道真を信仰する神社が建立されたといわれています。
「天満宮」は「天神社(てんじんしゃ)」とも呼ばれ、全国に約12,000社あるとされ、京都府の北野天満宮が総本社です。
道真は優れた学者だったので、現在は「学問の神様」「受験の神様」と呼ばれています。
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東照宮(とうしょうぐう)
「東照宮」は、徳川家康を御祭神とする神社のことです。
家康は、江戸幕府の初代将軍で、1616年6月に駿府城(現在の静岡県静岡市)で亡くなりました。
家康の遺言に従って、ご遺体は久能山(静岡県静岡市)に運ばれ、東照社(現在の久能山東照宮)が建立され、家康は「東照大権現」の神号を与えられ神格化されました。
江戸幕府は、日光(栃木県日光市)にも東照社を建立し、家康の一周忌に、久能山から日光(栃木県日光市)にご遺体を移したといわれています。
家康のご遺体が久能山と日光のどちらにあるのか明確にはわかっておらず、ご遺体を移したのではなく、分霊(ぶんれい・神社の祭神の霊をほかに分けて祀ること)したという説もあります。
1645年に天皇の命(めい)により、「東照宮」と名乗るようになりました。
東照宮の総本山は日光東照宮です。
そして、「日光東照宮」の正式名称は「東照宮」なのですが、他の東照宮と区別するために地名をつけ「日光東照宮」と呼ばれています。
稲荷(いなり)
「稲荷」は、稲荷神(いなりしん・いなりのかみ)を御祭神(ごさいじん・祀られている神様)とする稲荷神社のことをいいます。
稲荷神社は全国に3万社あるといわれ、総本社は京都の伏見稲荷大社です。
稲荷神とは稲を象徴する農耕神のことで、
他に
「稲荷大明神(いなりだいみょうじん)」
「お稲荷様(おいなりさま)」
「お稲荷さん(おいなりさん)」
とも呼ばれます。
稲荷神と五穀をつかさどる農業神である宇迦之御魂(うかのみたま)が同一視されていることから、多くの稲荷神社で宇迦之御魂が御祭神となっています。
宇迦之御魂は、奈良時代の和銅4年(711年)2月に伊奈利山(いなりやま・京都市東山連峰)へ降臨されたといわれ、その時に豊作を願ってお祀りしたことが伏見稲荷大社の始まりといわれています。
その後、時の流れのなかで多くの人々の篤い信仰心によって「衣食住ノ太祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」と崇められ、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、交通安全、諸願成就の神様として全国で広く信仰されるようになりました。
日本人は古来より農作物を荒らすネズミを食べてくれる狐を崇め、神聖なものとして考えていたことや、宇迦之御魂が農業神であることから、稲荷神社では白狐(びゃっこ)が神の使いとして祀られています。
白い毛を持つ白狐は神様と同じように人の目には見えない存在で、人々に幸せをもたらすと考えられています。
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権現(ごんげん)
「権現」は、人々を救うために仏教の仏が、神や人など仮の姿でこの世に現れることを意味し、本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考え方がもとになっています。
本地垂迹とは、552年の仏教の伝来により、神と仏を一緒に祀る神仏習合(しんぶつしゅうごう)の考え方のひとつです。
本地垂迹では日本の神々は、仏が姿を変えて現れたものだと考えます。
宗派や神社などで異なりますが、
例えば、
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、大日如来(だいにちにょらい)や十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)が姿を変えたものであり、
大国主命(おおくにぬしのみこと)は大黒天(だいこくてん)が姿を変えたもの
だと考えます。
そして、平安時代(794年~1185年)ごろには仏様が神様と結び付けられ、多くの神社が「〇〇権現」と呼ばれるようになったそうです。
たとえば、東京都の「根津神社」には、須佐之男命(すさのおのみこと)と十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)が結び付けられて「根津権現(ねづごんげん)」としてお祀りされていました。
現在は、地元の人々に「権現様」と呼ばれたり、通称で「根津権現」と呼ばれたりしています。
しかし、江戸時代(1603年~1868年)になると神仏分離(しんぶつぶんり・神と仏は別々に祀ること)によって、神社とお寺、神様と仏様が区別されるようになりました。
そして、明治時代(1868年~1912年)の神仏判然令(神仏分離令)によって神仏習合が禁止され「〇〇権現」という呼び方が禁止されました。
そのため現在「権現」は通称としてしか用いられていないようです。
有名なところでは、滋賀県大津市にある「日吉大社」が現在でも通称で「山王権現」と呼ばれています。
明神(みょうじん)
もともと日本に神道がありましたが、仏教が伝来した後、神仏習合によって神社とお寺が同じ敷地内に作られたり、神道の神様と仏教の仏が一緒に祀られるようになりました。
その際、もともと神様として祀られていたご祭神に崇敬(すうけい・心から尊敬すること)の意を表して、神名の下に「明神」とつけるようになったようです。
神道の神様を排除したり、蔑(ないがし)ろにして争いを生ないように仏教を広めるため、「明神」と尊称をつけて呼んだようです。
特に崇敬される神様は「大明神」と呼ばれることもありますが、同じ神様でも「明神」「大明神」の両方の呼び方があったりと、呼び方に明確な基準はありません。
たとえば、豊臣秀吉は亡くなったあとに「豊国大明神」という神号を与えられました。
また、稲荷神に尊称として付けて「稲荷明神」「稲荷大明神」という風に呼びます。
神社の名前には、それぞれ意味があることがわかりましたね。
日本各地に同じ名前の神社があるのを不思議に思っていましたが、同じ神様を祀っているということで、実はとてもわかりやすくなっていたのですね。
神社を参拝する時には、その神社がどのような神社なのかを調べてから行くと、より神様を身近に感じられるかもしれませんよ。
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