日本の代表的な料理として外国人観光客にも人気がある天ぷらですが、日本発祥の食べ物ではないということをご存知ですか?
世界中で「天ぷら=日本食」として広まっていますが、もともとは外国から伝わってきた食べ物なんだそうですよ。
今回は、天ぷらについていろいろ調べてみました。
Contents/目次
天ぷらの由来や歴史とは?
天ぷらとは、魚介や野菜などの食材を、衣をつけてから油で揚げる料理です。
関東風の天ぷらは、卵と小麦粉を水で溶いた衣をつけ、ゴマ油で揚げ、関西風の天ぷらは、卵を使わずに小麦粉だけをつけ、サラダ油で揚げます。
関東風は、主に魚を天ぷらにしていたため、魚の臭みをとるためにゴマ油を使い、ダシのきいたツユにつけて食べるようになり、関西風は、主に野菜を天ぷらにしていたため、野菜の味を生かすためサラダ油で揚げ、塩をつけて食べるようになったといわれています。
天ぷらは、室町時代(1336年~1573年)に、鉄砲の伝来(1543年)とともにポルトガルから伝わったといわれています。
このころの日本では、油は大変貴重なもので、調理の際に大量の油を使用する天ぷらは高級品でめったに食べることはできませんでした。

江戸時代(1603年~1868年)になると油の生産量が増え、天ぷらは江戸の庶民の間でも広がっていきます。
この頃は、屋台で揚げたての天ぷらを串に刺して立ち食いをするスタイルで提供されていたそうです。
江戸時代の終わりから明治(1868年~1912年)にかけて、屋台ではなく料亭や専門店などの店舗を構えるようになり、関東大震災(大正12年・1923年)で職を失った職人が日本各地へ移り住み、江戸前の天ぷらを広めたといわれています。
また、江戸から全国へ広まるのと同じころ、関西の職人が東京へ移り住んで関西風の天ぷらを広めたそうです。
その後、天ぷらは料亭や専門店だけではなく、総菜屋などでも提供されるようになり、子どものおやつや軽食として気軽に食べることができるようになりました。

さつまあげ
てんぷらが文献に登場したのは江戸時代の寛文9年(1669年)に「料理食道記」の中に「てんふら」という名称で書き記されたのが最初ですが、「食材を油で揚げる」という調理方法は精進料理などですでに日本で確立されており、その揚げ物と天ぷらが混同されることが多いようです。
そのため、現在でも西日本ではさつまあげやじゃこ天のような、魚のすり身を油で揚げたものも「天ぷら」と呼んでいます。
天ぷらの語源とは?
天ぷらの語源は、いくつかの説があります。
ポルトガル語の「テンポラ(四季の斎日という意味)」という説、ポルトガル語の「テンペロ(料理、調味料という意味)」という説、あぶらを当て字で「天(あ)麩(ぶ)羅(ら)」と言っていたのを別の読み方にして「天麩羅(てんぷら)」とした説などがあります。
”四季の斎日”とはキリスト教の行事で、季節のはじめの数日間に祈りを捧げ、節食する習慣のことで、この期間は肉を食べることが禁じられているので、魚などに小麦粉の衣をつけた料理を食べていたそうです。
かき揚げとの違いとは?
かき揚げは、天ぷらの一種ですので、「天ぷら」と呼ぶこともあります。
かき揚げと天ぷらの違いは調理の過程です。

かき揚げ
天ぷらは、魚介類や野菜などを食べやすい大きさ、揚げやすい大きさに切りますが、かき揚げほど小さく切ることはなく、食材をひとつずつ衣につけて油で揚げます。
かき揚げは、魚介類や野菜などを小さく切り、混ぜ合わせて衣でまとめたものを油で揚げたものです。
食材は一種類のみを切ってまとめる場合もありますし、複数の食材を切ってまとめる場合もあります。
「かき揚げ」という名前は「かき混ぜて揚げる」ことからきているそうです。
鉄砲の伝来とともにポルトガルから伝わってきた天ぷらは、現在、日本を代表する料理になっています。
食べ方もさまざまで、食材に合わせて塩やツユ、醤油などいろいろな楽しみ方がありますし、ご飯の上に乗せる天丼や、蕎麦に添える天蕎麦など、どれも美味しいですね!
また、ビスケットや梅干し、紅ショウガ、リンゴ、アイスクリーム、干し柿、バナナ、ミニトマトなど、変わり種の天ぷらもありますので、興味のある方は試してみてはいかがでしょうか。
関連:【日本語じゃないの?】外来語とは知らずに使っていた意外な日本語